第26話

「……どういうこと?」

 ただならぬあらたの様子を見て、あかりは真剣な口調で問いかける。

 その声に、新は心臓を素手で握られたかのような切迫感を覚えた。

 本当のことを伝えた時、明はどんな気持ちになるのだろうか。

 深く傷つけてしまうのではないか。


 ……そんなことは関係ない。


 それらの疑問は、全て、あとの祭りだ。

 たとえ、どんなふうに受け取られても。

 一連の選択をしたのは自分だ。

 せめて、最後くらい、その結果から逃げるという間違いは犯したくない。


「今日の出来事は……全部、俺と、めぐねぇで計画した、いたずらだったんだ……」

「……え?」

 新の告白に、明は表情を固くする。

「本当は俺、最初から知ってたんだ!これ、めぐ姉の仕掛けたドッキリで。俺も、明の驚く顔が見たくて、軽い気持ちで作戦に乗っちゃって……」

「……」

「でも、明が本当に辛そうな顔をしているのを見て……なんてバカなことをしてるんだろうって思って……だから、ホントごめん!!」

 新は一息にすべてをぶちまけた。

 そして、ありったけの誠意を込めて、明に深く頭を下げた。

 どんな言葉でも受け入れるつもりだった。

 顔を数発張られたとしても、絶対に文句は言えない。

 できるのはただ、次の言葉を待つことだけだ。

「……そう」

 風にさらわれそうなほど、とても静かな明の声。

 しかし、新には殊更ことさら大きく、その耳朶じだを打つ響きだった。

 そして、


「な~んだ。それ聞いて安心した~」


 心底胸をでおろすかのような声で、あかりはそう言ってのけた。

「……は?」

 あまりに予想外な一言に新は下げていた顔を思わず上げた。

 顔を上げると、いつもと変わらぬ、しかし、少しだけ困ったような笑顔を浮かべた明が立っていた。

「……怒らないのか?」

「え、なんで?」

「何でって……だって、お前――!」

 許してもらえた。そんな風には思えない。

 なぜかちっとも喜ぶという感情が湧いてこない。

 むしろそこにあったのは、あまりにも理不尽な、明への苛立いらだちだった。

「俺はお前のこと傷つけたんだぞ!お前が怖いもの苦手なのも知ってて、こんなことに巻き込んだ!危うくケガもさせるとこだったし、それに……!」

 新はこれでもかというほどに自分の拳を握りしめた。

「それに、お前の両親……おじさんと、おばさんのことも思いださせた……」

 その言葉に、明の表情にはじめて、悲痛な思いが見て取れた。

 知らず、明は自分をくようにした右手に力をこめる。

「そうだね……。確かにあの時、もし新が……お父さんとお母さんみたいに、突然いなくなっちゃったらどうしようって、すっごく怖かった……」

「それなら!」

「でもね、それだけなんだよ?」

「なっ――」

 本気で言っているのか?

 新には明の言葉が本当なのか分からなかった。

 およそ予測していなかった言葉に、ただ目を丸くすることしかできなかった。

「それだけ?」

「そ。それだけ」

 お互いにその言葉を反芻はんすうしあう。

 偽りなどなく、すんなり、あっけなく明は口にする。

「そりゃ、あの時は怖かったよ?でもさ、それってしょうがないじゃん?あれっていわば、私のトラウマみたいなもんだし」

 あっけらかんと、明は自分の内側をさらけ出す。

「それに、新だって、わざわざ私のトラウマを掘り返したかったわけじゃないんでしょ?」

「あ、当たり前だろ!」

「なら、いいじゃん?はい、木元きもと あらた君は私のトラウマスイッチを間違えて踏んでしまいました。次からは気をつけましょう。――ね?ただそれだけだよ?」


 街灯の少ない道の上。

 まるでスポットライトのように限られた光の下で、目の前の少女はいつも通りまぶしく微笑んで、そう言ってのけた。

 言葉も、表情も。

 それは、新にとって、あまりに鮮烈で。

 あまりにも眩しい姿だった。


「――は」

 だからこそだ。


「ははっ!やっぱ、明、すげぇわ」

 笑いながら、少しだけ目頭が熱いのは、面白いからではない。

 自分はきっと、嬉しいのだ。

 そして理解する。

 きっとこういう部分なのだろう。

 自分が幼馴染だった少女に、これほどにかれ、恋焦がれるようになった理由は。



 昔から、同じ道を歩いてきた。

 小さい頃から一緒で、進む学校も、クラスもずっと同じだった。

 けれども、その過程で感じてきたものは違う。

 その痛々しい傷に、あらたはできる限り触れないようにしてきた。

 だが、あかりは違った。

 彼女はきっと、ずっと向き合ってきたのだ。

 それを受け入れられるよう。

 受け入れて前に進めるように。

 自分はもう大丈夫だと言えるような、そんな強さを求めて。

 持ち前の明るさ、強がりな部分、責任感の強さ。

 種を明かせば単純なこと。

 そのルーツはすべて、彼女の人生の最大の傷にある。

 そして、その積み重ねがいつしか。

 隣にいた小さな少女をまばゆいばかりの大輪の花に変えてみせた。

 そのあまりに鮮烈な変化に目を奪われないものがどこにいるだろうか。


「――あかり

「ん?」

「その……きれいに、なったな」

「んなっ!?」

 口にした途端、まさに顔から火が出そうなそんな言葉。

 それでも今は、言葉を伝えたい。

 その衝動だけは抑えられなかった。

 いや、抑えたくなかった。

「い、いや、ほら!人間的な意味で?ちゃんと自分の苦手なものに向き合っててすごいな~みたいな?」

「あ……あ~、そういうことね!イヤ、もちろん知ってたけど!?」

 ……とはいえ、本音をさらすのなんて数秒が限界だ。あまりに恥ずかしすぎる。

 だから、咄嗟とっさに弁明の言葉でお互いの想いにおおいをかける。


「……けどさ」


 均衡きんこうを崩したのは明だった。その声のトーンが静かに色合いを変える。

「けど……それだけ?」

「えっと……それって……」

「だから!その……女の子としては、どうなのかって……」

「ええっ!?」

 最後の方はあまりに小さくて、ほぼ途切れ途切れにしか聞こえなかった言葉。

 しかし、それだけでもあらたの平常心を揺さぶるには十分だった。

 時間差で恥ずかしさがこみ上げてきたのか、明は少し身をよじらせるようにして返答を待っている。

(なんだコレ!?どう返答するのが正解なんだ!?)

 実際、女子としてどうなのかと問われれば、あらたの返答は実に明快ではある。

 それでも、そのカードを切るのが果たして今なのか、新は決断を下せずにいた。

 脳内で選択肢がものすごい勢いで浮かんでは消える。

 その時だ。

 先に状況を動かしたのは、あかりの方だった。


「ねぇあらた……」

 後ろで手を組みながら、不敵ふてきな笑みを浮かべ、にじり寄ってきた。

 目線を下げれば明の顔がある。

 扇情的に濡れた大きな瞳と薄桃色うすももいろの唇。

「私のこと、好き?」

「すっ――!?」

「ね、どうなの?」

 もはや状況に脳の理解が追い付いていなかった。

(なんだコイツ!?なんでこんなに今日はグイグイくるんだ!?)

「す……」

「す?」

「少しは――まぁ、すき、かもな」

 それが、新の踏み越えられる限界ギリギリのラインだった。

 これ以上先へ行くには、いくらなんでも状況がいきなりすぎる。

 若干ヘタレな返事ではあったが、それでもあかりは満足げな表情を浮かべ、


「ハイ、いただきました~」


 と、後ろ手に持っていた自分のスマホを勝ち誇ったようにかかげた。

「お、お前、まさか……」

 瞬間、あらたはすべてを理解する。

 新は自分の血がどこかから一斉に漏れ出たのではないかと思うほどに寒気が身を駆け抜けた。

「その、ま・さ・か」

 してやったりと笑顔を浮かべ、スマホに表示された再生ボタンをタップする。

 ご丁寧に、最大音量で、だ。


『少しは――まぁ、すき、かもな』


「やめろーーーーーーーっ!!」

 余りに恥ずかしすぎるセリフが、静かな夜の通学路に響き渡る。

 自分の声でこんな恥ずかしいセリフを聞くのは、思いのほかダメージが大きかった。

 顔がやたら熱く、きむしりたくなるような寒気がする。

「あっははははは!私をめた罰よ、自業自得ね」

「ここ住宅街だぞ!ご近所さんが聞いてたらどうする!」

 というか、絶対聞こえてる気がしてならない。

「大丈夫だよ。声だけじゃ、誰だかわかんないだろうし」


 ぽちっ。

『少しは――まぁ、すき、かもな』


「リピートするな!!」

 手をむんずと伸ばして明からスマホを奪おうとするが、ひらりと身軽に回避した。

 本当に、無駄に運動神経だけは良い。

「あはは、だ~め。絶対に消してあげないから」

 どこか浮かれた様子で宣言し、あかりは先を歩き出した。

「だったらせめて、外で流すのはやめてくれ……」

「うん、わかってる……」

 あちこちに水たまりの残る雨上がりの夏の夜。

 まばらな街灯と月明かりによってわずかにきらめくそれらを、時折ときおり跳ね上げて、踊るように二人は道を行く。


「絶対、消してあげないんだから……」


 一瞬にしてかき消えそうなつぶやきとともに、明は両手に持ったスマホの液晶を見つめる。

 真っ黒な画面に映るのは、嬉しそうにほころんだ自分の顔。

 そして、いつもより早鐘はやがねを打つ自らの鼓動を、あかりは確かに感じていた。

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