第23話

 あらたはほっとした様子で、その言葉をことげに言い放った。

 さながら映画監督が「カット!」と宣言するかのような、そんな幕引きの一言。

 その言葉に、同じく相手も動きを止める。

「ったく、やっぱめぐねぇの言葉になんか乗るんじゃなかったよ。何が『あかりと青春させてやるから協力しろ』だ。いたずらにしても限度があるだろ。明、途中から本気でおびえてたぞ?」

「……」

「……だから、俺、今日のこと、ちゃんと明に謝ろうと思う。そりゃあ、確かに明の驚いた顔は見てみたいって思ったけど。でも、なんか今日みたいなのは違うって思うんだ。ここに来るまでも、明、結構辛そうだったし……」

「……」

「……おい、めぐ姉。ちゃんと聞いてるか?」

「……」

「だから、その演技はもういいって……」

「……ウ」

「う?」

「ウアアアアアアア!!」

「うぉっ!」

 その叫びとともに、新は自分の身体に謎の浮遊感を感じた。

 その瞬間に見えたのは、めぐ姉ことおおつかめぐみが腕を払って新の身体からだを押しのけようとした映像だ。


 そう、その映像は見えた。


 にも関わらず、それにずいするはずの触覚や痛覚、力感の一切がそこには生じなかった。

 まるで何の前触れもないままに身体は持ち上げられ、次の瞬間、自分の両側の景色が猛スピードで流れた。

「――っハッ!」

 吹き飛ばされた先、治療用のピンセットや薬品、包帯なんかが入った二段式の小さなワゴンに背中を思い切り打ち付け、新の体内の空気が強制的に排出される。

 立ち上がろうにも、うまく呼吸できない息苦しさがその足を引っ張った。

 もがきながら、薄く開いた目にうつったその光景。

『それ』は弾むベッドの上で器用に直立し、背を丸めて両腕を前方でぷらんと垂れ下げていた。

 背を丸め、どよんとうなだれたような。

 普通の人間なら「元気出せ」と励まされかねないような姿勢。

 だが、相手が『人をかたどった何か』なのであれば。


 それはまぎれもなく、獲物をらえるための準備行動に他ならない。


「オイ……まさか本当に……?」

 思わず漏れたかわいたわらい。

 だが、それとは裏腹に、確信めいた一つの事実が、あらたの恐怖をさいげんなく肥大化させた。



 これは、芝居なんかじゃない。

 目の前にいるのは大塚恵ではなく。

 その姿をした、本物のものだ。



 どくん、と自分の心臓が猛烈な勢いで動き始めたのが分かった。

 身体中の脈という脈に血液を回そうかというほどのはやがね

 だが、それとは真逆に全身からはこおりみずが漏れ出たかのような冷や汗が吹き出し、驚くほどに身体中が寒い。

「グ――」

 ベッドの上で、怪物が身を沈めるのが見えた。

 その瞬間に駆けだしたのは、もはや生存本能ゆえの行動だった。

「グガアアアアアア!!」

 咆哮とともに怪物はバネで弾かれたかのように自らの身体を射出した。

 驚くべきは先ほどまであらたがいた場所ではなく、新が走り抜けるであろう場所へと、予測込みで向かってきたことだ。

「くっそおおおおおっ!!」

 無我夢中で身を動かした結果、本能はなぜか前方へのヘッドスライディングを選択した。

 空中でその身を思い切り伸ばすと、何かがわずかに服の背中部分をかすめたのが分かった。

 だが、想定外の行動のツケは着地の時点で払わされることになる。

 クッションも受け身もない、まして半袖シャツにハーフパンツというラフを極めたかのような格好でのこの行動。

 結果、したたかに腹を打ち付け、その上顎うわあご右肘みぎひじをコンクリートの床に強打する醜態しゅうたいを演じる羽目はめになった。

「痛ってえええええええ!!」

「ガアアアアアアアアッ!!」


「……?」


 まるで自分の痛みに共鳴するかのように、もう一つ、どこからともなく特大の悲鳴が上がった。

 そしてやって来た異様なにおい。これは……


「……チャーシュー麺?」


 くんくんと鼻をひくつかせながら、さながら警察犬のような気分で辺りを探る。臭いの主はすぐさま分かった。

「ガアアアアアウウウウウ――!」

 先ほどまで暴れまわっていた怪物は、なぜかショートカットをした頭からチャーシュー麺が垂れ下がり、顔からはスープがぽたぽたとしたたっている。

 まるで、昔見た映画に出てきたエイリアンだ。

 しかも、どうやらそれによってもだえ苦しんでいるらしい。

 ただよってくる豊潤ほうじゅんな香りは、出前から少しばかり時間が経ってはいても、中身がまだその熱さを保っていた証拠だ。

 その少し後ろには先ほど明がチャーシュー麺を置いたテーブルが吹き飛ばされ、ひっくり返っていた。激突した反動で、チャーシュー麺だけ頭からかぶったらしい。

「ナイスだ、あかり!」

 ここが勝機だと踏んで、あらたは怪物に背を向けるのも構わず、保健室の入り口まで全速力でダッシュした。

 後ろで怪物がまた咆哮を上げるのが聞こえたが、もうかまっていられない。

 勢いよく扉を開け、新は廊下を左側に走り出た。

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