第22話

 ベッドの近くには書類などがまばらに乗ったままの大きめの白いテーブルがあった。

 そこにおかちをゆっくりと置き、中のチャーシュー麺を取り出す。

 あらたもそれに合わせて、そちらに懐中電灯の光を向ける。

 一瞬、あかりどんぶりふたを少しだけ開けて、中身を確認すると、ほのかに温かな湯気が立ちのぼったのが見てとれた。

 あとは戻ってきて、学校を後にするだけだ。

 チャーシュー麺を置いて、照らされた足元を確実に踏みしめながら明がゆっくりとこちらに戻ってくる。

 さしずめ、横断歩道の白いラインだけを渡るゲームをしている子供のような足取り。

 時間は少しかかったものの、目的は達成された。あとは明が無事に戻ってくるだけだ。


 ――そう、それだけだった。

 そこに横たわる存在が、明の目に入らなければ。


「お、おい明?」

 不意に足を止めた明に新が呼びかける。が、返事はない。

 その視線は、ベッドの上、そこに横たわる存在の方へと注がれていた。

 そして吸い寄せられるようにそちらに足を向ける。

 焦燥が新の全身を走り抜けた。

 イヤな予感がした。

 明とベッドの間の距離はいつの間にかなくなり、ぼんやりとその人物の顔を見下ろしている。

 新は明の表情を確認するために顔付近に光を向けた。

 しかし、それこそが、先ほどまで見えなかったその存在の表情を明らかにしてしまった。


「……お姉ちゃん?」


 なんでこんなところに――。

 じゅんぜんたるそんな疑問が込められたその言葉があかりの口からこぼれる。

 それこそが何かのがねだったのか。

 突如とつじょとして先ほどまで寝ていた女性らしき人物はベッドから跳ね起き、


「アアアアアァァァァッ!!!」


 闇をつんざくような慟哭どうこくを上げ、猛然と明に飛び掛かった。



 あかりは目の前に迫る『それ』をただ茫然ぼうぜんと見ていた。

 何かが自分の身に迫っている。

 しかし、それが何なのか、脳が理解することを拒んでいるかのようだ。

 いや、いかにつぶさに観察し、時間をかけてそれを認知したとしても、結果はきっと同じだろう。

 仮に認知したとして、果たしてどうするべきなのか。

 こんな埒外らちがいの事態に対する対処法など持ち合わせていようはずもない。


「――!!」


 何かが明の鼓膜を揺さぶっている。

 あまりに馴染なじみのあるその音の意味するところを、明は理解できなかった。


(私、もしかして、死ぬの――?)


 迫りくる脅威がもたらすであろう自分の結末が、まるで他人事のように漠然と脳裏をかすめる。

 だからだろうか。

 何も行動がとれないこの状況において。

 かろうじて本能に刻まれた反射行動だけがしっかりと作用したようで、明はただ、ぎゅっと目をつぶった。


あかり!!」


 先ほどと同じ、よく聞き知った響きの声が、今度こそ明の意識を現実に引き戻した。

 そして、瞑っていた目をゆっくりと開け、眼前にあった光景に驚愕した。

「ウウウウ、アアアアアァァァッ!!」

「クソッ!こいつ、とんでもない力だ!おい、明!今のうちに早く逃げろ!!」

 先ほどまで、謎の存在が寝ていたベッドの上。

 あらたはあろうことか馬乗りになって『それ』を力づくで押さえつけていた。

 無論、その表情に余裕などなく、かろうじて力比べを拮抗きっこうさせているという様子だった。

「で、でも……それじゃあ、あらたが!」

「いいから早く!!俺のことは気にするな!後で絶対追い付くから!校門まで走れ!」

 狼狽ろうばいしきった声を上げる明に、怒鳴り散らすように言葉を叩きつける。

 それが奏功そうこうしたのか、明は数秒間おろおろと逡巡しゅんじゅんしていたが、意を決して全速力で保健室の外へ駆け出した。

 その気配と足音を背中越しに感じ、


「やっと行ったか……!」


 新は腕に込める力をそのままに、それでも少しだけ安し、思わず声を漏らした。

 押さえつけられた『それ』はいまだに首を左右に振りながらもがき続け、唸り声を上げていた。

 そろそろお役御免やくごめんだ。腕の力も限界に近い。

 だから、新は目の前の存在に向けて告げた。


「――もう大丈夫だよ、めぐねぇ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る