第9話 まさかの記憶喪失

「うわわ、痛い……うう」


「嘘だろおい」


 季里はいきなり泣き出したことに、どうしても先ほどとのイメージの乖離が激しく困惑を隠せない昇。


「おい、お前」


「ひ……」


 昇は今武装を解いている状態ではあるが、目つきが人より悪く、傷だらけの服から戦士として発展途上ながらも完成に近い肉体が垣間見せていれば、そんな男が迫ってくれば怯えるのも無理はない。


「お前」


「ひ、は、はい!」


「調子狂うな」


 そう言いながらも実は昇はかなり接近の際に警戒をしていた。いつでもその場から離れられるように〈爆動〉――テイルによって可能になる高速移動の技の総称――の準備をしていた。


 季里のだまし討ちの可能性も考えて、彼女が地面に落としたままの剣にも同時に意識を向けたまま、昇は今の季里の状態を確かめるべく質問をする。


「……名前は?」


「馬鹿かお前」


「ぐ、やっぱそうなるよなぁ」


 記憶喪失お決まりの質問だと昇も自覚はしていた。しかし後ろから明奈の指摘を受けるとやはり質問はもう少し考えてからするんだったと今さらながら後悔する。


 確かにこの訊き方では、真に季里が記憶を失っているかどうかは判別できない。


「頭より先に体が動くお前に手本を見せてやる」


 明奈は銃を少し上へと向けて光弾を一発放つ。狙いが逸れているため当然光弾はそのまま飛んでも季里には当たらない。


 しかしそもそも現代においての銃は旧時代と利点が異なる。テイルを使えば光弾も実弾も弾速と射程はその人間の想像が及ぶ範囲まで保証される。故に銃だけが高速の射撃を可能にする時代は終わっているのだ。


 射撃武器は主に用途によって使い分けられるようになった。


 光弾を直接宙に浮かせてそのまま放つ方法は、道具がいらない分、威力は落ちるものの弾丸のみをテイルで作れる点で低コスト。


 銃は、銃身を生み出すのに高コストだが、弾丸に特殊効果を添付できる点で相手の意表をつく戦い方が可能になる。


 そして弓矢は、弓をテイルで作るコストと連射が不可能なものの、溜めが長ければ長いほど、撃ちだす弾の威力と貫通力を上げられ、一撃ごとの威力が非常に高い傾向にある。


 話を戻して、明奈が今使っているのは銃。彼女は自分の放つ弾丸に特殊な性質を撃ちだすことができるということ。例えば空中で弾丸の軌道を変えることくらいならテイルでは容易いことだ。


 空中で急に方向転換した弾丸は、へたりこんでいる彼女の元へと向かって行く。


(嘘だろ……? 来ないよな? 殺す気かよ、下手したら俺に当たるんだが)


 昇は明奈のブラックジョークだと信じていたようだが、残念ながら明奈は器用に冗談を言えるような性格ではない。


(いや来るなコレ!)


 一向にまた方向転換する様子もない弾丸が2人の元へと迫っていく。


「え……あ、どうすれば」


 季里は剣をとるようすもシールドを出す様子もない。ただ唐突に訪れた命の危険に恐怖からか体を動かせない状況だ。


 先ほどまで命の奪い合いをしていた昇は、季里の動きを観察していて、先ほどよりも動きや判断が遅くなっているように感じ取った。


(マジかもしれない記憶無いなったの!)


 このままでは弾丸に季里が貫かれる。昇は季里をかばうように立ち、テイルを原料に半透明の青いひし形の盾を空中に浮かせた。季里に迫っていた光弾はそれに阻まれる。


「あ、ありがとうございます……」


「お前。何やってるんだよ。デバイスを使えって」


「デバイス……?」


 季里は自分とその周りを捜して、近くに剣を見つけると、

「アレのことでしょうか?」

 と昇に丁寧な言葉づかいで尋ねる。


「マジかよ……」


 季里のデバイスは本来、今も右手にはめている歩家特注の指輪型のものだ。デバイスの形はいろいろなものがあるが、多くは運動を阻害しないような装飾品や小道具にその機能をつけたり、体に埋め込んでしまっていたりする。


 もちろん英国の騎士が治める区域では剣や鎧にその機能をつけていたり、倭でも領によっては呪符と呼ばれる特殊な紙や帯刀にその機能をつけたりという例外はある。


 しかし伊東家にはそのような慣習はなく、この辺りは一般的な傾向に沿っていると考えて問題はないはずだ。


 伊東家の直下である歩家の令嬢がそのような常識を知らないはずがない。さらに、


「ああ、でもこれは私のではありませんよね……。申し訳ございません、あの、その、私のものみたいな言い方。このような危ないものを振るえるはずがありませんもの……お返しいたします」


 なんと季里は武器を拾って、そして昇に躊躇いなく渡したのだ。武器とはその人間が想像力の修業を行った証であり、その使い手を勝利へと導く機能を持つ媒体だ。敵にネタ晴らしをすればそれは自身の敗北、すなわち死に直結する。


 とりあえず昇は差し出されたものを拒まずに受け取ってしまったが、その後、すっかり変わってしまった季里の様子にどうすればいいか分からない昇。


「やっぱり馬鹿、いや慎重という言葉を知らないのか」


「なんでだよ」


 明奈は呆れ、目を細め彼に教導するように語る。


「もしそれに何らかの罠、例えば爆弾が仕掛けられていたらお前はそこで死んでいたぞ」


「は? なら言えよ」


「それくらい自分で考えてもらわないと困る。私は協力者だがお前の面倒を何から何まで見るつもりはない。それに今は私も、そいつは大丈夫だろうと判断したからな」


 昇は、明奈の協力者とは思えない遠慮ない『お前は馬鹿だな』という趣旨の発言が気に入らないが、今の自分がいるのが敵の領地であり、明奈の言う通り警戒が足りなかったのも事実。


 結局何も反論が思い浮かばず心の中で悔しがるしかない。


 その苛立ちを目の前の彼女に向けるのがただの八つ当たりになってしまうことは自覚していたので、しばらくはこの悔しさを胸に秘めることにした。


 昇は一度深呼吸をして、季里に尋ねる。


「あんた名前は?」


「季里、という名前は覚えてます」


「どこが出身だか分かるか?」


 しばらく思い出そうと空に視線を向けたきりだったが首を横に振る。


「この国では?」


「違う違う、どこ領かって話」


 季里はまたも首を横に振る。


「俺がどう見える?」


「……不良、ヤンキー? という生物に似ていると」


「な……!」


 明奈が失笑する。昇は記憶喪失の季里にすら悪く言われ心底面白くない。


 しかし、今はそれどころではない。声とトーンと、内容的に記憶喪失でもかなり重度の喪失が見られることが明らかだ。


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