第2話

 リミちゃんは普段は本当におとなしくて、いつもにっこりほほえんでいて、僕も付き合うまでは四六時中穏やかな子なのかと思っていた。

 でも実際はすごく気にしいで、嫌なことがあってもその場では飲み込んで、家に帰って一人で泣いていたらしい。たまにその悲しい気持ちが爆発すると、昨日のように、激しくドラミングして暴れてしまう。その度に椅子やら家電やらを壊してしまって、また落ち込む。

 はじめて見たときはまあ驚いたけど、普段のリミちゃんをみていると、そりゃ暴れたくもなるよ、と思う。


「ゴリ美くん」

「はい」

 仕事をするフリすら放棄して、肘をついてコピーを取るリミちゃんの後ろ姿をぼんやり眺めていたら、部長がリミちゃんに声をかけた。

 部長のだいぶうっすらしてきている後頭部と、リミちゃんの艶やかな黒髪……黒毛が並ぶ。コントラストが激しい。

「それ終わったら紙ゴミ捨てに行ってもらえるかな? パンパンになっちゃって」

「わかりました」

「いやー助かるよ、ゴリ美くんから。頼りにしてるよ!」

 部長はぽんぽんとリミちゃんの二の腕に触れる。彼氏としてはイラッとするが、ここで僕が声を上げるとリミちゃんにしわ寄せが行きそうで躊躇してしまう。セクハラって言ってもいいけど、部長全然悪気ない人だしなあ……今もニコニコえびす顔でリミちゃんに向かって力こぶのポーズをしている。

 と。

「部長ッ!」

 フロアを切り裂くような一喝。

 僕も、リミちゃんもビクッと肩を震わせた。声の出どころは――案の定、新人の清野さんだった。

「ゴリ美先輩にセクハラするのやめてくださいって何度言えばわかるんですか!?」

 まだ幼さすら感じる高い声で、叫ぶように言いながら清野さんはツカツカと部長に詰め寄る。

「セクハラって清野くんそんな大げさな」

 部長はへらへらと笑っている。この会社で出世するにはああいう神経の図太さが必要なのかもしれない。

「大げさじゃないです! いいですか? お尻を触ったり、デートに誘ったりするだけがセクハラじゃないんですよ! 生まれつきの体型のことを茶化したり、たとえば『ゴリ美くんって毛深いね〜』とか、直接ゴリ美先輩に言わなくても聞えよがしに『黒くてふさふさだ〜』とか言うのも、全部ハラスメントですよ!」

 ――いやあとの二つは部長言ってねえし! お前が言ってるんだろうが! それになんだその物言いは! 毛深いことが悪いみたいに言いやがって!

 僕が震える拳を握って唇を噛み締めていると、リミちゃんが控えめに声を上げた。

「あの……清野さん、わたし、別に気にしてないから。力仕事好きだし」

「ゴリ美先輩もそうやって上司の顔色ばっかり伺ってちゃダメです! 嫌なことは嫌って言わないと!」

 リミちゃんに人差し指を突きつけて(失礼だぞ!)言ったあと、清野さんはふたたび部長を振り返り、

「次に見かけたらわたし人事部と弁護士に相談しますから!」

 カーン! と踵を返し、自席じゃないどこかに去っていった。

「……」

 気づけば、狭いフロア中の全員が、コピー機の方を見ていた。

「……すみません」

 リミちゃんが部長に謝る。弁護士、というワードが出てきてさすがにポカンとしていた部長は我に返り、「まあ、ゴミ捨てお願いね」とだけ言った。

「……ごめんなさい」

 リミちゃんは自分に注目しているフロアにも頭を下げる。みんな曖昧にああ、とかなんとか言って、それぞれ仕事に戻った。

 顔を上げたリミちゃんと目が合う。困ったような、苦笑いするような顔だった。僕が小さくドラミングの仕草をしてみせると、リミちゃんは笑って首を振った。

 今夜はリミちゃんの好きな、ちょっと高いギリシャヨーグルトを買って帰ろう、と僕は思った。

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