第30話 エピローグ

 時間が移って終業式の日。


 今日は一学期の最後の登校日だ。


 これから先は夏休み。

 学生にとっては一年で最も嬉しい期間だろう。

 他のクラスメイトは今後の夏休みの予定を話し合っている。

 普段はあまり友達とつるまないような奴も、長い休みの直前でそわそわしている。


 俺もその一人だった。


 家が好きな俺にとって、一日中家にいられる夏休みは最高の時だ。

 毎年この季節だけは、嬉しくてしょうがない。


 しかし今年は、別の理由で夏休みを楽しみにしていた。



 日比乃と過ごす夏。


 それが、今年の夏休みを俺が楽しみにしている理由だ。


 俺は数日前に日比乃と思いを伝えあって、恋人同士になった。


 今年は初めての彼女と過ごす夏休みだ。

 楽しみにするなと言う方が無理がある。


 夏休みに入ったら何をしようか。


 まあ海かプールは絶対だな。絶対行く。

 恋人との夏休みは、海かプールにはいかなければいけない。

 むしろそのための夏休みと言っても過言ではない。


 他には、遊園地か。

 でも夏休みには遊園地に行く人はたくさんいるだろう。

 家族連れ。友人同士。カップル

 休みで時間があるから、遊園地は混んでいるだろう。

 まあ海と違って遊園地はいつでも行けるから今行く必要はない。


 他にはどこに行こうか。

 水族館とかいいかもしれない。

 近くのショッピングモールに行って、ゲームセンターやスイーツ店に一緒に行くのもいいだろう。


 行きたいところを思い浮かべるときりがなかった。


 夏休みは四十日もある。

 行こうと思えば大体のところへは行けるはずだ。



 と、こういう風に今後の予定を考えている間に、担任の三滝先生からの話は終わった。


 三滝先生。

 覚えているだろうか。

 彼女は広報委員の顧問の先生なのだが、俺のクラスの担任の先生でもあった。


 ちなみに終業式自体はさきほどすでに終わっている。

 長い校長先生の話も同じように今後のことを考えて乗り切っていた。


 式が終わって今はホームルームの時間だ。


 すでに夏休みの宿題も配り終えられているから、もう残すことはないはず。

 あとは帰りのあいさつをして、夏休み突入だ。


 そう思っていたら、先生が鞄からプリントの束を取り出した。

 なんだあれ?


「それでは最後に広報誌を配ります」


 そう言って先生は広報誌を配り始める。

 生徒たちはもらったプリントの束を一枚とって、後ろの席に回す。

 俺の元にも広報誌が来た。


 広報誌。

 それは俺たち広報委員会の面々が、苦心して作ってきたものだ。


 俺たち生徒は記事を作って先生に提出するだけだった。しかしそれらをまとめて広報誌として作ったのは先生だ。

 もちろん市販で売られている本ほど豪華な蘇張ではないが、それでも大変な作業だったと思う。

 感謝しないといけないな。


 それに、こうやってできあがると感慨深いものがある。

 苦労してつくってきたものだ。

 できは良くはないかもしれないが、大切にしたい。


 そう思い、他の人はどういう感想を持ったのか気になって周りを見渡してみると。



 誰も読んでいなかった。



 みんな配られた広報誌を速攻で鞄にしまって、友達と話すか早く帰ろうとしていた。


 うん。そうだよね。

 わかってたわかってた。


 俺も何回も思っていたことだ。

 こんなの誰が読んでるのかわからないものだ、と。


 ほんとに誰も読んでないんだな。


 わかっていた。わかってたんだが、苦心して作ってきたものを誰にも読まれない光景を目にすると、少し――いや大分切なくなった。


 なんだろう。

 悲しいわけじゃないんだけどね。

 そこまで出来がいいわけじゃないことも自覚してたことだし。


 でもいざ誰にも読まれないという事実を突きつけられると、切ないものを感じる。


 裏路地でひとり誰にも知られぬうちに死んでしまったノラネコを見てしまったような。

 そんな切なさだった。


 まあでもいつまでも切なさ感じていてもしょうがないな。

 切り替えるか。

 広報誌の感想は、同じ広報委員会の知り合いにでも尋ねよう。

 彼らなら少しは読んでくれていると信じたい。


「それでは、皆さん一学期お疲れさまでした。夏休みも節度を持って楽しんでください。さようなら」


 三滝先生はそう締めくくる。


 そして、一学期最後のホームルームのあいさつも終わり、夏休みへと突入した。




 さて、下校の時間になった。

 クラスメイト達は割と多くの人がまだ帰らずに、教室に残っている。

 夏休みの遊びの予定を話し合っているのだろう。


 それを尻目に、俺は教室をでる。

 帰りは日比乃と待ち合わせをしているのだ。


 俺は待ち合わせ場所の校門前に行こうとして廊下にでると。


「先輩」


 日比乃が教室の前にいた。

 校門で待ち合わせのはずだったのに、教室に来てしまったわけだ。


「先輩。待ちきれなくて来ちゃいました。一緒に帰りましょう!」


 日比乃はぴょんと俺の横にきて、腕をとる。


「わかったわかった。一緒に帰るから。ていうか校内で腕を組もうとするのはやめてくれ」


「なんでですか?」


「なんか恥ずかしいんだよ」


「えー。別に何にも恥ずかしいことはありませんよ。むしろ誇らしいです。見せつけちゃいましょう?」


「いや、なんというか。その、いちゃついてるところを見られるのはやっぱり恥ずかしいっていうか」


「まったく。なんですか先輩。相変わらずシャイですねぇ」


「う、うるさいな。こういうのは二人きりのときにしてくれ」


「えー。もっと外でも先輩とくっつきたいなー」


「知り合いがいないときはやっていいから。少なくとも校内では頼む」


「どうしましょうかねー」


 日比乃がそう言って、にやにやしたいつもの笑みで俺を焦らしていると。


 後ろから声を掛けられた。


「あれ。柳川君」


「ん? ああ、邪魔だったか。すまん」


 廊下の真ん中に位置していたから邪魔だったのかもしれない。

 そう思って端のほうによる。

 そのとき腕が離れてしまった。


「あ、いや邪魔じゃないよ。というよりその子」


「はい? 私ですか?」


 日比乃が声をかけてきた人の方を向く。

 それにつられて俺もそっちを向くと、声を掛けてきた人が木村さんだと気づいた。


 木村さん。

 ちょっと前に俺が日比乃と廊下で偶然会った際に話した女子だ。

 同じ実験班という程度のつながりの人。


「その子、前に会った子だよね。確か後輩の」


「ああ。委員会の後輩の日比乃だ」


「あ、そうそう委員会の。確か広報委員だったよね」


「そうだよ。よく覚えていて――」


 と、話をしていたら、横からくいと制服の脇腹の部分をひかれた。


 見てみると、日比乃が俺の制服をつまんでいる。

 そしてジトー、と俺のことを軽くにらんできていた。


 どうしたんだ?


「先輩。違います」


「はい?」


「委員会の後輩は、少し違います。間違ってないですけど、それじゃないです」


 ふくれっ面でそう言う日比乃。

 まるで拗ねているような声色だった。


 俺は日比乃の言葉をきいて、その意味を理解した。

 言いたいことはわかった。

 少し恥ずかしいけれど、しょうがない。

 俺は日比乃の彼氏なんだから。


 俺は木村さんに向かって、先ほどの言葉を少し訂正した。


「あ-。委員会の後輩で、俺の彼女の日比乃だ」


 その言葉に、横の日比乃が嬉しそうにする。


「はい。彼女の日比乃京香です!」


 日比乃は再び俺の腕をとり、抱き着く。


 その様子に、木村さんは面食らったように目を丸くしていた。


 「そうなんだ……。この間は彼女じゃないって言ってたけど、最近付き合ったの?」


「ああ。少し前にな」


「へーえ。それはそれは。おめでとうございます」


 木村さんは大袈裟に頭をさげてお祝いを告げる。


「ありがとうございます!」


 日比乃は嬉しそうに満面の笑顔でお礼を述べる。


「ありがとう」


 続いて俺も礼を言う。


「あはは。そんなお礼を言うことないって」


 それを聞いた木村さんはおかしそうに笑っていた。


「付き合い立てのカップルを邪魔するのも悪いから、そろそろ帰ることにするよ。じゃーね」


「さよならです!」


「それじゃあ」


 木村さんが挨拶し、俺たちはそれに挨拶を返す。

 そして大きく手を振ったあと、木村さんは帰っていった。


 あの人もけっこう仕草が大きくて面白い人だな。

 夏休みがあけたらもっと話してみよう。


「先輩。帰りましょう」


「ああ。そうだな。ところで日比乃」


「はい?」


「恥ずかしいから離れてくれ……」


「いやです」


 日比乃は笑顔でそう告げた。





 学校からの帰り道。

 俺たちは歩きながら今後の予定を話していた。、


「海は絶対行くとして、他にどこに行く?」


「私は温泉とか行ってみたいですね」


「温泉か……。ということはもしかして泊まり?」


「はい。もちろんです!」


 温泉。

 しかも泊まり。


 泊まりで温泉か……。

 それは、魅力的な提案だな。

 何を期待しているのかは、あえて言わないが。


「一緒に温泉に入りましょうね!」


「いや一緒は無理だろ」


 さすがにそれは期待していなかった。


 一緒に温泉に入るためには混浴でなければいけないが、混浴の湯なんて今の時代にはほとんどない。

 あったとしても宿は経営していないことが多いはずだ。


「えー。じゃあ一緒に温泉に入るのは諦めます」


「ああ」


「代わりに今度、一緒にお風呂に入ってください。家のお風呂で」


「ああ!?」


 一緒にお風呂って。

それは、お前、まじか。


「…………善処しよう」


「やった! 絶対ですよ、先輩!」


 えへへと日比乃は笑う。


 なんでこいつの方が嬉しそうなんだろう。

 こういうのって普通男の方が喜ぶものじゃないか?

 いやまあ俺も一緒にお風呂に入るのは嬉しくはあるから、負けてはいないのだが。


「ところで先輩」


 俺が考えていると、日比乃が話題をふってきた。


「なんだ? 温泉以外にどこか行きたいのか?」


「それはまた後で決めましょう。そうじゃなくてですね」


「ん?」


「大事なことを言っておきたいと思いまして」


「大事なことってなんだ」


「呼び方です」


 日比乃は立ち止まり、俺に向かってビシッと指さす。


「その呼び方はちょっといただけませんね」


「呼び方って。日比乃って呼んでることか」


「はい。私たちはもうただの先輩後輩じゃありません。恋人同士です。なら、それにふさわしい呼び方っていうものがあるんじゃないでしょうか」


「まあ、言いたいことはわかるよ」


 恋人相手に苗字呼びというのも、距離があるようでなんか寂しい。

 だから呼び方を変えろと言っているのだ。


 恋人に対する呼び名か。

 普通に考えて、名前呼びかな。 

 あだ名をつけるカップルもいるのだろうが、さすがにそれは恥ずかしい。

 なんだかバカップルぽくなってしまう。


 やはり名前がいいだろう。


「京香」


 俺は恋人の名前を口にした。


「これでいいか?」


「は、はい……」


 京香は喜びながらも少し照れていた。

 頬が少し赤くなっている。


 抱き着くことには抵抗ないのに、名前で呼ばれることには照れるなんて。おかしな奴だ。


「俺のことも名前で呼んでくれよ」


「はい。アラタ先輩」


「もう一回」


「ア・ラ・タ・せ・ん・ぱ・い!」


 一言ずつ強調しながら、京香は俺のことを呼ぶ。


 それがなんだか、とても嬉しかった。

 天にも昇る、とまではいかないが、それでも胸が弾んでいるのは確かだ。

 スキップでもしてしまいそうなほどに、浮かれている。


 名前を呼ばれているだけなのに、これだけ嬉しくなってしまうんだから。

 恋人関係ってのは不思議なもんだな。


 そして思う。

 俺はつくづく、こいつのことが好きなんだと。

 だって、名前を読んでもらうだけで喜んでいるのだから。そうとう好きなはずだ。


 じゃあ、京香はどうなのだろうか。

 名前を呼んだだけで喜んでいるのは彼女も同じだ。



 こいつ、もしかして俺のことが好きなんじゃないか?



「なあ京香」


 俺は横の彼女に尋ねる。


「はい!」


「俺のことは好きか?」


 その質問に、京香は「あはは!」と笑った。


「何をわかりきったことを訊いているんですか。大好きですよ、もちろん!」


 京香はそう言って、腕を絡めてくる。

 そして俺の肩のあたりに頭をおく。


「そうか。俺も大好きだぞ」


 京香に向かって俺はそう言った。


 ていうかすごいな、こいつ。

 今日はめっちゃ腕を絡めてくるじゃん。


 まったく。


 やたらと距離が近い後輩が俺に絡んでくる。

 だがしかし、俺は騙されないぞ。


 これは俺をからかっているのではなく、俺のことが好きだからやっているのだ。



 やたらと距離が近い後輩が俺に絡んでくるけれど、俺は絶対に騙されないからな。




 終わり

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