第29話 告白

 日比乃のことが好き。

 それが、俺が出した結論だ。


 たとえあいつの言ったことが信用できなくても。

 あいつの思いが真実でもそうじゃなくても、俺の気持ちは変わらない。


 なら、俺のすることは一つだ。

 この気持ちを日比乃に伝える。


 あいつの告白に対して、俺なりの答えを返さなければいけないだろう。


 だから俺はテスト返却日の翌日、彼女を呼び出した。


 場所は学校のパソコン室。

 俺たちがいつも一緒にいる場所だ。


 告白の返事が学校の一教室というのもいかがなものかと思うが、他にいい場所が思い当たらなかったのだ。

 告白にちょうどいいムードのある場所なんて知っているわけもない。


 ラインで『昨日の返事をしたいから午後二時に学校のパソコン室に来て』と送った。


 既読はすぐつき、『絶対行きます』という返事が返ってきた。

 いつもはメッセージのやり取り中によくスタンプが送られてくるのだが、今回ばかりはスタンプはなかった。


 あいつも余裕がないと見える。



 余裕がないのは俺も同じなのだが。


「ふー」


 座りながら、深く息を吐く。

 こうすると少しは緊張が和らぐのだ。


 現在は午後一時半。

 待ち合せの時刻は午後二時なのだが、俺はその三十分も前にパソコン室に来ていた。


 理由は簡単だ。

 緊張して、いてもたってもいられなかったんだ。

 なんとも情けない理由だが、本当なんだからしょうがない。


 そう。

 まだ日比乃が現れてもいないのに、俺は緊張していた。


 心臓は病気にでもなったかのように激しく鼓動している。

 深呼吸を繰り返しても平静になることはできず。

 足は意識しておかないと貧乏ゆすりが止まらない。

 意味もないのに手を開けたり閉じたりして、それをじっと一分近く見つめたりしている。


 いっこうに落ち着かない。

 煙草でも吸える年齢だったなら、一服していたところだ。

 それで落ち着くとは思わないけれども。


 今は周りに人はいないが、端から見れば、煙草が切れた依存症の人だとでも勘違いされるかもしれない。

 挙動不審だっていうのは自分でも理解できている。


「ダメだ。めっちゃ緊張する」


 俺は一人呟いた。


 やばいよ。

 なんでこんなに緊張すんだよ。


 下手すると高校受験の時よりも――いや、人生で一番だなこれは。

 人生で一番緊張している。


 日比乃はよく俺に告白できたなぁ。

 あいつもこれと同じくらい緊張していたのか。


 そうは見えなかったが、うまく隠していたのかもしれない。

 それとも単に俺がヘタレで、めちゃくちゃ緊張しているだけかもしれない。


 両方だな。

 そうに決まっている。


 そんなことを考えて俺は少しでも気を紛らわそうとしていた。


 残念ながら全然気は紛れなかったけど、時間だけは経っていた。


「あと十五分か」


 教室にかけられた時計を見る。

 時計の長い針は四十五分を指していた。


 あと十五分で待ち合わせの時間だ。


 二時になれば、俺は日比乃に自分の気持ちを伝える。

 告白の返事ではあるが、気持ちを伝えるということには変わりない。


 その後は、なにかしら関係性が変わるだろう。

 少なくとも今までと同じではいられないはずだ。


 今までの関係。

 同じ委員会の先輩と後輩という関係。

 放課後のパソコン室で他愛ない雑談を交わす関係。


「そういえば、あいつとも色々あったよな」


 初めて会ったころは、そこまで仲は良くなかった。

 俺はあいつのあのちゃらちゃらした感じが苦手だったし、あいつは俺のような地味なタイプは目にはいってすらいなかっただろう。

 けれど放課後同じ部屋で作業していくうちに、話すようになっていき。

そしてどんどん仲が良くなっていった。


 それがいつの間にか、日比乃は俺をからかってくるようになって。

 やたらと距離が近くなってきたんだったな。

 抱き着いてきたり手を触ってきたりと、ボディタッチを頻繁にするようにもなった。


 それから、日比乃は止まらなかった。

 やりたい放題だ。


 後ろから抱き着かれて胸を押し付けられることがあった。

 イヤホンを共有して、一緒に音楽を聴いたこともあった。

 肩を揉んであげたと思ったら、翌日に耳を甘噛みされたこともあった。

 愛してるゲームをして互いに顔を真っ赤にしたことあるし。

 クッキーをあーんして食べさせてもことも覚えている。

 休日に偶然再会してぬいぐるみを取ってあげたこともあった。

 くっついて写真を撮って、それをネットにあげたり。

 勉強を教えて、その後に日比乃にからかわれて。

 相性診断をした時には相性が最高と出たり。

 あいあい傘で帰ったり。

 試験前日にも肩を揉んでもらったこともあった。


 そういうことをたくさんしてきた。

 後から考えれば、けっこうイチャイチャしていたようにも思える。


 そういえば、とふと思い出す。


 日比乃は昔――と言っても少し前、二か月ほど前の話だが、こんなことを言っていた。


『私が先輩の彼女になってあげますよ?』


 あの時は、あれは日比乃の冗談だと思っていた。

 俺をからかっているだけで、本気ではないのだと。

 その時は、からかいに乗ったとたんには日比乃から嘲笑されて、痛い目をみるのだと警戒していた。


 だから俺はそんなものに騙されないようにと自分に言い聞かせていたんだ。

 俺のことを好きなんじゃないか、などと勘違いしてはならない。

 そう自分に言い聞かせてきた。



 だけど、今になって考えてみると、あれは本気だったのではないだろうか。


 だって日比乃がそんな嘘や冗談を言うことなんてできない。


 ここ数か月、あいつと関わってわかったのだが、日比乃はそこまで器用なタイプじゃないんだ。


 相性診断のアプリがよかったくらいで喜んで。

 俺が他の女子と話をしたくらいで警戒して。

 風邪をひいたときには自分のせいだと思い込んで謝りに来る。


 そんな不器用な女の子が、冗談であんなことはできない。


 少なくとも、冗談で胸を押し付けたりあーんすることなんてできないはずだ。



「ははっ」


 思わず笑いがこぼれた。


 なんだ。考えるまでもなかった。



 あいつも前から俺のことを好きだったんだ。



 そのことが、やっと理解できた。


 今ならば、心の底から信じることができる。


 妹の言う通りだ。大した問題じゃない。

 ああだこうだ悩んでいたのが馬鹿らしい。


 なんだかすごくすっきりした気分になっていた。


 緊張もずいぶん和らいだ。


 そう思った時。


「――い」


 ふと声がかかった。


「先輩」


 声のした方を見ると、いつのまにか日比乃が来ていた。


「先輩。そっちから呼び出したのに、なんでボーっとしてるんですか。もう」


 日比乃は呆れてぼやきながら、近くの椅子に座る。


「もう来てたのか」


 日比乃が来たことに驚く。

 そして時計を見ると、すでに午後二時になっていた。

 どうやら昔のことを思い出しているうちに、結構時間が経っていたようだ。


「すまんな。日比乃」


「ほんとですよ。こう見えても私は忙しいんですからね、もう」


 日比乃はぶつぶつ文句を言っている。

 ただ、その目は別の場所を行ったり来たりしていて落ち着かない。

 完全に挙動不審だ。


 まるでさっきまでの俺をみているかのようだ。

 日比乃も緊張しているのだろう。


 そりゃそうだよな。

 告白の返事が相手からくるわけなんだから、緊張するに決まっている。

 今朝俺からラインのメッセージを貰ったときから気が気じゃなかったはずだ。


 ここは俺から何か言った方がいいだろう。


「なあ日比乃」


「は、はいっ! 先輩!」


 日比乃はこちらを見て、少し大きな声を出しながら返事をする。


「今から告白の返事をする」


「は、はい!」


 彼女の手はぎゅっと握りしめられていた。

 そして足は少し震えている。


「わかりました」


 日比乃は頷く。

 そのまま俺は彼女に話し続けた。


「日比乃。俺は日比乃のことが好きだ」


「――!!!!」


 そう告げられて、日比乃は驚きに満ちたように目を丸めた。


 日比乃はこの返事を期待はしていたとは思う。だがやはり実際に告げられるときの衝撃は大きいのだろう。

 数秒ほど放心したように驚いていた。


 そしてその後、言われたことを理解したのかだんだんと笑顔になる。

 笑顔になりながらも、その目の端には涙が溜まっていた。


「せ、先輩……」


「気づいたのは昨日だが。俺もお前のことは好きだ。意識していたのはだいぶ前からだったな」


「そう、だったんですね」


 涙声になりながらも、日比乃は言う。


 そんな彼女の顔を見ながら俺は告白した。


「だから、俺と付き合ってくれ」


 その返事は。



「はい! よろしくお願いします!」



 日比乃は笑顔でそう言ってくれた。


 告白の返事のはずなのに、なんだか俺の方が告白したみたいになっている。


 まあそれもいいだろう。

 よく考えると、昨日こいつは付き合いたいと思っている、と言っただけで付き合おうとは言っていない。


 正確には好意を伝えただけ。

 なら付き合いたいと伝える権利は俺にだってあるはずだ。


「日比乃」


 俺は涙を拭いている日比乃の手を取った。


「先輩?」


「これで俺たちはもう恋人同士だよな?」


「はい。そうですけど」


「恋人同士なら、キスしてもいいだろ?」


「せ、せんぱ――」


 日比乃の手を離し、顔を優しくつかむ。


 俺の彼女は顔を真っ赤にして慌て始めた。


「待って下さい。私いま、ちょっと泣いちゃって、それで顔とかぬれちゃって」


「関係ない」


 慌てる日比乃にそう言って迫る。


 自分でも少しおかしなテンションになっていると感じる。

 でもそれも無理はないだろう。

 なんせ初めてできた彼女なのだ。


「日比乃はいや?」


「…………いやじゃ、ないです」


「じゃあしたい。お願い」


「わ。わかりましたよ……。もう……」


 日比乃は抵抗を止めた。

 そして唇を突き出して、目を閉じる。


 俺は日比乃の唇に自分の唇を押し付けて。

 キスをした。


「ん……」


 日比乃が甘い声を出す。


 その声に、なんだか辛抱たまらなくなる。

 日比乃が愛おしくてたまらなくなる。


 俺は彼女をギュッと抱きしめた。


 そうすると日比乃の匂いが漂ってくる。

 それはいつもの甘い匂いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る