第27話 帰宅後
テスト返却日の夜。
俺は布団にくるまっていた。
別に寝ているわけではない。
ベッドの中にはいるが、むしろ目は覚めている。
ダラダラしたいというわけでもない。
夜にダラダラとするのは嫌いじゃないが、そんな気分でもなかった。
じゃあなんで布団の中にいつまでもいるのかというと、それは考え事をしているからだった。
家に帰ってからからずっと。
かれこれ五時間ほどだ。
考えているのは今日あった出来事についてである。
今日は、期末試験のテストの返却日だった。
今回の期末試験は割と勉強したため、成績はいつもよりよかった。
中の上といったくらいだ。
いつも成績は中の下、あるいは下の上である俺にしてはなかなかにいい成績を取ったと思っている。
そしてただテストが返却されるだけではなく、他にも大事なことがあった。
それは、日比乃と行った試験結果での勝負だ。
試験の前に日比乃と俺は試験結果で勝負することを決め、勝った方は負けた方になんでも命令できるという褒美を決めた。
そして勝負の結果は俺の負け。
つまり日比乃は、俺に対してなんでも命令をするという権利を得たというわけだった。
命令自体は大したことはない。
日比乃の命令は『これから自分が言ったことを信じる』というものだ。
それ自体は特に困難というわけでも避けたいと思うものでもなく、簡単に命令に従うことができた。
問題は、その後に言われたことだ。
日比乃からすれば、そっちが本命だったのだろう。
『私は先輩のことが好きです』
『私と付き合ってほしいと思っています』
日比乃から言われたのは、そんな言葉だった。
そのことを言われた俺は、固まってしまった。
突然のことに困惑して、何もすることができなかったのだ。
驚いたまま、何も言わずにだまっていた。
そして日比乃の方は逆にすぐに行動を起こした。
自分の言動に照れてしまったのか
『そういうことですから。それじゃ!』
という言葉を残して、すぐに鞄をもって帰ってしまった。
俺が我に返り、行動を再開し始めた時にはもう彼女の姿はもうなかった。
「はあ……」
昼のことを振り返り、自分の醜態を思い出して落ち込む。
なんであの時固まってしまったのか。
なんで何も言葉を返さなかったのか。
そんな後悔が頭を支配する。
そしてその次に来るのが困惑だ。
日比乃の言葉に対する困惑。
彼女のあの言葉が真実かどうか。
というわけではない。
さすがに、あの状況での言葉を疑うようなことはしない。
俺の中の困惑は、自分の気持ちについてだ。
日比乃のあの言葉は、間違いなく告白だ。
『好きです』『付き合って欲しいと思ってる』
シンプルで、だからこそ気持ちを伝えられる告白。
俺なんかのどこがいいとかそういうことを思う気持ちはあるけれど、今はそんなことはどうでもいい。
俺は日比乃の告白に対して、どうするべきかを悩んでいた。
告白された以上、返事をするべきだ。
今日はそれをする間もなく日比乃は帰ってしまったが、次に会う時には返事をしなければいけないだろう。
じゃあ、いったいどんな返事をするべきなのか。
いったいどんな返事をしたいのか。
俺はそれを迷っていた。
告白の返事なんて簡単だ。
要は付き合うか、振るか。
日比乃に対してどちらにしたいのか、俺はよくわかっていなかった。
日比乃と付き合いたいのだろうか。
それとも日比乃とこのまま先輩後輩どうしの間柄でいたいのか。
そのことを家に帰ってきてからずっと悩み続け、今でも考え続けている。
「どうしたらいいんだ……」
布団の中でひとり呟いた。
「どうしたら――」
もう何度目になるかわからない「どうしたらいいんだ」というつぶやきを行おうとしたとき。
「兄貴。飯だぞ」
部屋のドアをあけ放って、妹が来た。
●
「早くしろ。兄貴。早く来い」
「わかってるよ」
妹に呼ばれて、俺は布団から出る。
掛け布団を払いのけて体を起こし、のろのろとベッドから降りてドアの方へ向かう。
そのとき、自分がまだ制服だったことに気づいた。
帰ってきてすぐ布団に入り、着替えることを忘れていた。
でも別に制服でも問題はないか。
俺はそう判断する。
明日以降はもう終業式以外の学校行事はない。
その終業式だってすぐに終わる。
ホームルームでの先生からの注意や夏休みの宿題の配布時間を含めても数時間もない。
ならば制服が多少しわになったり汚れたりしたところで、大した支障はないだろう。
夏休み中に洗えばいいだけの話だ。
「ねえ兄貴」
廊下を歩くと、先を歩いていた妹から話しかけられた。
「あんなに布団にうずくまって。どんだけ試験悪かったの?」
「悪かねえよ」
俺は反射的にそう答えた。
これは嘘ではない。
実際いつもより成績は良かったわけだし。
その返答を聞くと、妹は振り返っていぶかしげにこちらを見てきた。
「じゃあなんでふさぎこんでたの?」
「別にふさぎこんでたわけじゃない」
ただ考え事をしていただけだ。
「家に帰ってから何時間も部屋にこもってたのに、ふさぎこんでないって。無理あるでしょ」
「寝てただけだ」
「ときどき『あー』とか『うー』とかうめき声だして、『俺はどうすればいいんだ』とか声に出して言っていたのに?」
「全部聞こえてたのか……」
確かに妹とは部屋が隣だが。
そんな一人ごとまで聞こえるほど壁は薄いらしい。
「成績のことじゃないなら、日比乃さんのことか」
「な、なんで日比乃が出てくるんだよっ!?」
先ほどまでずっと考えていた人のことを話題に出されて、俺は驚きのあまり大きな声で反応してしまった。
「わかりやすいなあ」
呆れたように、妹はため息をつく。
「そんなのどうでもいいだろ。飯食うぞ」
リビングに行き、夕食の準備をしている母の配膳でも手伝おうとキッチンの方を向く。
しかし、そこには母の姿はなかった。
というか、見まわすと母の姿はどこにもなかった。
「今日お母さんいないよ。仕事が遅くなるんだって」
「まじかよ」
うちの両親は共働きだから、時々仕事で母の帰りが遅くなって、夕食が作られないときがある。
しかし、おかしい。
いつもは遅れるならそう連絡があるはずなのだが、今日に限ってなかった。
「一時間前にラインで連絡来たぞ。見てないの?」
「……見てない」
連絡はあったらしい。
俺がそれを無視していただけだ。
ずっと考え事してたから、スマホをみてなかった。
もちろん連絡がきてるなんて思ってもなかった。
「おいおい。どんだけ重症なんだか」
「そ、それはいいとして」
俺のことを聞かれたくないから、かなり強引に話題を変える。
「じゃあ夕飯は?」
何か出前でも取るのだろうか。
それとも飲食店に行くのか?
「ピザ頼んだ。テーブルを見ろ」
「……」
妹の言う通り、テーブルを見た。
そこには宅配ピザ(サイズはL)が置かれていた。
蓋の部分が開けられ、香ばしいチーズの匂いがしてくる。
テーブルに置かれているのだ。
ちょっと見ればすぐにわかっただろうに、今まで気づかなかったとは。
……さすがに注意力がなさすぎるな。
どうしたんだ。俺は。
今の自分の状況を確認し、落胆してしまう。
「これはちょっと、事情を詳しく聞かなきゃいけないようだなあ」
妹はこちらを見ながら言う。
「まあ。ピザでも食べながら聞きましょうかね。何になやんでいるのか。日比乃さんと何があったのか」
「……別に日比乃のことで悩んでいるとは限らないぞ」
「いやでも日比乃さんのことでしょ?」
「どうしてそう思うんだ」
「簡単なことだよワトソン君」
妹はどや顔でそう告げる。
「成績のことじゃないなら、学生の悩みなんて部活か人間関係くらいだ。兄貴は部活に所属してないから部活関係は除外。人間関係にしたって、友達の少ない兄貴が関係性で悩むような仲のいい知り合いなんて日比乃さんくらいでしょ。なら日比乃さんに関することが悩みだ」
「友達少ないこと自体に悩んでるってのは思わないのか?」
「そんなことで何時間も悩むくらい繊細なら、兄貴はとっくに不登校だよ」
……何か反論したかったが、実際その通りなんだから何も言えない。
「じゃあ、聞かせてもらおうじゃないか。今日何があったの?」
「そうだなぁ」
観念した俺は、今日あったことを話し始めるのだった。
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