第26話 命令

「先輩が75点。私が92点ということは」


 点数の結果を日比乃が呟く。

 その内容を自分の中で反芻し、次第に理解していった。


「ということは、私の勝ちですね」


 ポツンと呟く。


「やった! 私の勝ちですね!」


 日比乃は大きな声で、そう言った。


「やったぁ! 私が先輩に勝ったということなんですね!


「何度も言わなくてもわかるわ」


 俺は日比乃に注意する。


「ていうか店の中なんだから声抑えろ」


 他の客の何人かは俺たちの方をちらちらみているし、店員などは迷惑そうな視線をむけてくる。

 これ以上騒ぐと声を掛けられて注意されそうな雰囲気だ。


 急に大声をあげた日比乃が悪いから、ただ申し訳ないとしか言えない。


「あ、すみません。つい嬉しくて」


「まったく。そんなに騒ぐほどのことでもないだろ」


「えー。騒ぐほどのことですよぉ。だって私は先輩に勝ったんですもの」


 くそ。

 なんだこいつ、俺に勝ったことをやけに強調してくる。


 こんな勝負で勝った程度で。

 こんな、こんな勝負で負けたことなんて……。


 悔しい!

 すごく悔しい!


 声や表情に出さないように我慢していたが、とっても悔しい。


 なんだろうなあ。

 先輩として、やはり後輩より上に行きたかったというのもあるし、先輩後輩は関係なく個人的に日比乃には勝ちたかった。


 でも勝つことはできなかった。

 俺は日比乃に負けてしまった。

 それがとても悔しい。


「先輩。すごく悔しそうですね……」


 そんな声がかけられて、俺は気づく。


 俺はいつのまにか机につっぷして、こぶしを握り締めていた。


 傍から見ると、とても悔しそうだった。

 全身でそれを表している。


 顔にでないように気をつけていたつもりだったが、体が反応してしまっていたようだ。

 全然我慢できていない。


 恥ずかしくなった俺は姿勢を戻し、顔を上げる。


「大丈夫ですか先輩」


「大丈夫だ。こういうときは下手に同情せず、そっとしておくものだぞ」


「あ、はい」


 日比乃が呆れたように言う。


 ちょっと引いてんじゃねえか。


 まあ俺も大袈裟なリアクションだったとは思うが。


「それで、お前が勝ったわけだが」


 切り替えるために話を進める。


「これでお前は俺に何かしら命令できるということだ」


「あ、そうですよね」


 事前に取り決めていた勝者への褒美。

 それは相手にどんな命令でもできるというものだ。


 今回は日比乃が勝ったから、彼女が俺にどんな命令でもできるのである。


「どんなことにしましょうかねえ」


 うーん、と指をあごにあてて悩む日比乃。


「やっぱり私の奴隷になるというのは?」


「だめだ。というかやめてくれ」


「拒否できたら命令の意味ないと思うんですが」


 それもそうだ。

 命令自身はめちゃくちゃだが、それは正論ではある。


 こいつの言葉に心の中で同意してしまう。

 しかし、こんな一回の結果で、一生こいつの奴隷になるというのは嫌だった。


「……せめて期限でも決めてくれ」


 これが最大限の譲歩だ。


「期限付き、ですか。まあそれが落としどころですかね」


 日比乃は考える。


「期限付きならどれだけの期間にしましょうか」


「一日、とか?」


 俺の言葉に日比乃は「えー」と不満そうな声を上げる。


「それじゃあつまんないですよ。というか二週間近くがんばった褒美としては一日は短くないですか?」


「……じゃあ三日」


「一週間にしましょう」


 俺の言葉を無視し、日比乃は強引に決めてしまった。


 これも勝者の特権だ、ということで納得するしかない。


「じゃあ命令は、一週間俺はお前の奴隷になるということでいいのか?」


「あ、いえいえ。さすがに冗談ですよそれは。そんな命令しません」


 日比乃は「あはは」と笑う。


「ちょっとだけ先輩をからかっただけですよ」


「そうか、それならいいんだが」


 どうやらさっきまでのは冗談だったらしい。


 ……。

 わかりにくいわ!

 お前が言ったら冗談に聞こえないんだよ!


「せっかく一回しか使えない命令権ですからね。もうちょっと真面目に考えましょう」


 日比乃は「うーん」と左手を頭に当てて悩む。


 数分ほど悩んだ後、何か思いついたように「あ」と言った。


「やっぱり、今言うしかないですよね」


「どうした?」


 日比乃は何かしら呟いていた。

 聞こえてはいるが、よく意味がわからない。


 今言う、って何を言うつもりなのか


「先輩、決めました」


 日比乃は顔を上げて、はっきりと述べる。


「何にするんだ?」


「簡単なことです。たぶん、先輩も反対はしないと思います」


「ふーん。とりあえず言ってくれ」


「はい」


 そして日比乃はいつものにやにやした俺をからかうときの顔――ではなく、張り詰めた、真剣な顔をしていた。


「いいですか? 今から命令を言いますからね?」


 再度確認する日比乃。


 ずいぶんもったいぶる。

 いったいどんなやばいことを言うのだろうか。


 少し不安になってくる。


 さっきの奴隷云々は冗談にしても、それと同じくらいおかしなことを言われるのかもしれない。


 例えば、今からここで踊りだせとか。


 ……それは確かにつらいが、そういうのではないだろう。

 日比乃がそういう罰ゲームを俺にさせるようなタイプではない。


 じゃあ、夏休みにどっか連れて行ってほしいとかか?


 これはありうるだろうな。

 日比乃は遊びに行くのが好きだし、タダでそれができるとなれば大喜びするだろう。

 それなら小遣いも減らないだろうから。


 そんな風に、俺はいくつか想定していた。


 そして、日比乃からの命令を待つ。


「私から先輩への命令は――」


 彼女は告げる。



「これから私が言うことを信じて下さい」



「おう」


 日比乃の言葉に、俺はうなずく。


 さて、いったいどんな命令がくるんだ?


 俺が黙って待ち構えていると、日比乃が言う。


「今のが命令です」


「は?」


 その言葉に、俺は唖然とした。

 どういうことだ? いまのが命令?


「日比乃。今のがお前が俺への命令なのか?」


「はい。わかりましたか?」


「あ、ああ。まあわかったけど」


 なんだろう。

 言われた命令がいまいち具体的ではなく、一瞬それが命令なのだとわからなかった。


 想定していたようなものとはかなり違う。

 どこかに連れて行ってほしいとか、何かしらおごってほしいとか。

 そういうものを考えていた。


 その想定が外れてしまい、また言われたことは具体性を欠いている。


 どこかひょうしぬけな感覚がする。

 不安になってしまったのがバカみたいだ。


 そう一瞬思ったのだが、少しして俺は今の考えを否定した。


 そうではない。


 肝心なのは、この後だ。


 『今から言うことを信じろ』と命令を下したからには、その言葉がなければ俺が信じられないようなことを言うんだろう。

 先ほどの命令は、そのための前振りのようなもの。


 どういうことを言うのかわからないが、よほど大それたことでも言うのだろうか。

 ならば俺も覚悟を決めなければならないだろう。

 ひょうしぬけなんて感想は、こいつに対して失礼だ。


 どんなことを言われても、俺は日比乃の言葉を信じる。

 そう心に決めた。


「じゃあ先輩。わかっていただけたなら、言いますね。今から言うことに嘘はないですから、信じてください」


「ああ。信じるよ」


 彼女の台詞に言葉を返す。


 それを聞いた日比乃は緊張した面持ちで俺の方を向く。


 そして日比乃は俺の顔を見て、言った。





「私は先輩のことが好きです」






「私と付き合って欲しいと思ってます」



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