第23話 家に来た 後編

「ていうか先輩。意外と部屋綺麗ですね」


 俺の部屋を見まわした日比乃がそう言った。


「意外ってなんだよおい」


「いえいえ悪い意味じゃないですよ? 意外性のある男の人って素敵ですよね」


「ごまかせてねえぞ。俺が部屋を汚すようなだらしない人間だと思ってたのか?」


「細かいこと気にする男の人ってモテないですよ?」


「うっせえ」


 軽口を交わし合う。


 ていうか。


「え? お前いつ帰んの?」


 俺は日比乃に対して質問する。


「今はまだいますけど。なんかやけに帰らせたがりますね先輩」


「当たり前だろ。風邪をうつしたくないから早く帰って欲しいんだが」


「えー。もうちょっといてもいいじゃないですか。初めて部屋に来たんですよ?」


「初めて、って。彼女みたいなことを言うなよ」


「か、彼女……」


 日比乃が頬に手を当てる。


「先輩ったらもう。恥ずかしいですよ」


「照れたふりしてんじゃねえ……」


 こいつがこれくらいで照れはしないことなど知っている。

 ただふざけているだけだ。


 そうして何度かやり取りを交わしたあと。

 十分ほどたったころだろうか。


 日比乃の顔が笑ったものから落ち込んだものになっていった。

 声も小さくなる。


「……先輩」


 先ほどまでとは違う、沈んだトーンで話かけて来た。


「なんだ?」


「その。すみませんでした」


「何の話だよ」


「先輩が風邪ひいたのって、私が傘借りたからですよね」


「いや。違う」


 俺は即答した。


「傘を買わずに走って帰った俺の責任だよ」


「で、でも。私に傘を貸さなきゃ雨の中を走って帰ることもなかったわけですし」


「傘を貸したのも俺の判断だ。なら俺がしたことで俺が風邪ひいたってだけの話だよ」


「そう、ですか」


「だいたい風邪くらいで大袈裟なんだよ。そんな謝んな」


「で、でも、試験前の大事な時期なのに」


「……いや、こういっちゃなんだが、たかが期末試験だしなあ。受験直前とかじゃないんだから、そこまで大事でもないっていうか」


 まあ現在中学三年生で受験生の妹がうちにいるんだが。

 俺としてはそっちに移さないかが心配だ。


 まああの妹は俺と違って丈夫だから簡単に風邪などひかない。


「試験といえば。勝負してるんだろ、俺たち」


「は、はい。そうですね。勝負をしています」


「ならこれはいいハンデだよ。先輩だからな。一日くらいはくれてやる」


「なんですか、もう。『先輩だから』って。学年が上の先輩の方が、試験は難しいんですからね」


「まあそうだが。それでも先輩は、後輩にはハンデくらいあげたくなるんだよ」


「まったく。余裕ぶっちゃって」


「余裕じゃない。ハンデはやっても、俺は全力でやるつもりだぞ」


 だから、と俺は続ける。


「試験は手加減しないぞ」


「わ、私だって、全力で頑張りますよ」


「そうか。ならこんなところにいないで早く帰って勉強してろ」


「わかってますよそのくらい。じゃあもう失礼しますね」


「ああ」


 返事をするとともに、日比乃の顔を見る。

 もう一度見た日比乃の顔は、いつもの通りの明るい顔をしていた。


 どうやらいつもの調子を取り戻したようだ。

 その様子を見て、俺は安心する。


 元気になった日比乃は、鞄をもって俺の部屋を出ようと進む。

 そしてドアの前で立ち止まった。


 日比乃は振り返る。


「先輩。改めて、ありがとうございました」


 そのまま頭を深く下げてお礼を言う。


「どういたしまして」


 その言葉を聞いた日比乃は「失礼します」と言って部屋を出た。





 日比乃が部屋を出ていってから二十分くらいたった。

 もうとっくに彼女は帰っているだろう。


 今頃は家で勉強、はしてないな。

 そんなに家が近いとは思えない。

 まだ帰宅途中だろうか。


 そんな考え事をしていると、部屋のドアがノックされた。


「兄貴」


「なんだよ」


「入ってもいい?」


「いいぞ」


 返事をしたあと、妹が入ってきた。


「なんだよ」


「ねえ。質問があるんだけど」


「なに?」


 質問か。

 おそらく勉強などではないだろう。

 このタイミング。十中八九、日比乃に関することのはずだ。


「兄貴さあ。あの女の人と付き合ってるの?」


「そんなことねえよ」


 あぶねえ。

 日比乃に関する質問だからと身構えていてよかった。

 そうじゃなかったら、驚きのあまり変な声が出ていたかもしれない。


 別に日比乃と付き合ってるわけじゃないのに、なんで俺はここまで動揺してるんだ。


「ふーん。そうなんだ」


 妹は俺の返答にうなずく。


「じゃあ逃しちゃダメだよ。絶対」


「逃すって何をだよ」


「あの日比乃さんのことだよ」


 妹は椅子に座り、寝ている俺に向かって話す。


「このチャンスは絶対に逃しちゃダメだよ。これ逃したらもう無理だからね、あんなに可愛い子」


「……大きなお世話だよ」


「そりゃ大きなお世話も焼くよ。兄貴ってモテないだろうし、結婚どころか彼女も怪しいじゃん。正直あんなに可愛い女の人が家に来ただけでも奇跡だよ」


「そりゃあ……。反論できないな」


 妹の言ったことは事実だ。

 俺はモテないし、仲が良い女子もいない。

 唯一の例外が、日比乃だった。


 いつも思っている。

 あんなに可愛い女の子が俺と仲よくしてくれるのはそうそうあり得ることじゃない。

 奇跡だ、と思っている。


「このチャンスを上手くものにして、あの人と付き合うんだよ兄貴」


「うるせえ」


「でも兄貴は奥手だからなあ。大丈夫かなあ」


「うるせえって言ってんだろ。妙なこと考えてんじゃねえよ」


「妙なことってなんだよー。心配してやってんのにさー」


「心配も何も俺は別に……」


「別に、なに?」


「なんでもねえよ!」


 俺は布団をかぶり、顔をそむけた。


「俺はもう寝るから早く出てけ」


「はーい。わかったよー」


 笑いながら妹はそう言って、部屋を出ていった。

 バタン、とドアが閉まる音がする。


 なんなんだあいつはいったい。

 日比乃と付き合うとかなんとか。



 日比乃が俺と交際する。


 どうなんだろうか。

 もし試験で俺の成績の方がよくて、命令として俺がそれをお願いしたらあいつは了承してくれるのだろうか。


 もちろん強制的に交際させようとは思わない。

 俺だって女子と付き合うなら、お互いに好きだという間柄でありたい。

 命令で付き合うなんてやらせたくない。


 でも、じゃあ命令ではなくお願いならば。

 成績勝負での勝利の褒美じゃなくて、ただの告白だったならば。


 あいつはそれを了承してくれるのだろうか。


 どうなのだろう。


 日比乃と俺は仲がいい。

 それこそ家に見舞いに来てくれる程度には。


 でも仲がいいというだけで、付き合うことができるというわけではない。


 重要なのは、日比乃は俺のことを好きなのか。

 そして、俺は日比乃のことを好きなのか。


 俺は布団に入って、眠りにつくまでそんなことを考えていた。


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