第21話 あいあい傘ですね
俺と日比乃が成績で勝負することを決めてから一時間ほど経ったあと。
午後六時になった。
チャイムが鳴り響き、帰宅を促すアナウンスが流される。
生徒はもう帰る時間だ。
「じゃあ俺らも帰るか」
俺はそう日比乃に話しかけた。
「はーい」
向こうはそう答えて、机の上の道具を片付けていく。
俺も荷物を片付けて鞄に入れて、帰りの準備を行っていく。
ものの数分で準備は終わった。
「じゃあ帰りましょう先輩」
「おう」
俺たちはパソコン室の電気を消し、部屋を出た。
そのまま昇降口まで話しながら歩いていく。
「負けませんからね、先輩。何を命令されるかを怖がりながら待っていて下さい」
「俺に勉強教わっていた分際で何を言ってるんだか」
「教わっていたからこそですよ! 私には教えてくれる人がいますけど、先輩にはいません。この差は大きいですよ!」
「いや普通に教師から教わっているんだが」
質問をすれば答えてくれるしな。
それも上手に。
「それなら私だって先生から教えてもらってます。なら私のほうが教えてくれる人が多いですから、私の方が有利ですね!」
「船頭多くして船山に登るってことわざ知ってる?」
「知りません。指導者が多ければ偉業を達成するって意味ですか?」
まあ確かに船が山に登ったら偉業だな……。
「やっぱり私の方が有利ですね」
「うるさい。ことわざも知らんくせに」
そんなたわいもないことを話しながら、俺たちは歩いていた。
昇降口までたどり着き、上履きと外履きを変えて外に出ると。
「雨か」
雨が降っていた。
しとしとと雨が降り注いで、校庭や道路や木や家や目に見える全てのものを濡らしている。
激しくはないが、無視していけるほど小雨ではない。
「ありゃ。雨が降っちゃってますね」
日比乃が横に来て、雨に気づく。
雨は昼には降っていなかった。
俺たちがパソコン室に来たときも降っていなかったから、きっとあそこで勉強している間に降ってきたのだろう。
しかし俺たちは雨に気づいていなかった。
「どうしましょう。わたし傘もってきてないですよ」
「俺は持ってるぞ」
鞄から折り畳み傘を取り出す。
こういう時のために折り畳み傘を常備しておいてよかった。
準備していれば、いざという時に役に立つもんだな。
「じゃあ日比乃。これを貸すから帰っていいぞ」
「えっ? 何でですか?」
傘を手渡そうとすると、日比乃が驚いてこちらをみる。
「何で、って。持ってないんだろ、傘」
「確かに傘はないんですけど、一緒に入らないんですか?」
「えっ」
「あ、もう一個傘持ってるんですか?」
「いや。これしかないけど……」
そんなに何個も持ち歩いてはいない。
折り畳み傘とはいえ、いくつもあると重くなってしまう。
「じゃあ一緒に入るしかないじゃないですか。早く傘を開いてくださいよ」
「いやでも。これ小さいぞ?」
基本的に折り畳み傘は小さい。
携帯性を重視しているせいか、開いた時にはそれほど大きく広がらないのだ。
俺の持っているこれも、その例に漏れていない。
人ひとり分しか入る大きさはなく、俺と日比乃が両方入ることはできないのだ。
「そんなの大丈夫ですよ。詰めれば少しは入ります。そりゃ肩はぬれるかもしれないですけど」
そう言って、日比乃は傘を早く開くよう急かす。
急かされた俺は外に出て折り畳み傘を開く。
すると、日比乃は傘の下に入ってきた。
「な。狭いだろ?」
言った通り、折り畳み傘は小さくかった。
二人で入ると俺と日比乃の両方を覆えるほどの大きさではない。
俺が左側、日比乃が右側にいるのだが、俺の左肩と日比乃の右肩は完全に傘から出てしまっている。
「ですけど、どっちかがぬれるよりはましですよ」
それに、と日比乃は付け足す。
「こうすれば、ちょっとはぬれる部分が減ります」
そう言って、日比乃は俺の右腕にしがみついてきた。
「えへへ。ぎゅーっ!」
俺の右腕に両腕を絡めて、強く抱き着いてくる。
そのまま俺を引っ張るように歩き始めた。
どうやらこのまま行くつもりらしい。
そのまま引っ張られていくと雨もあり危険だから、俺は彼女の横に同じ速さで歩いていくようにした。
「ひ、日比乃。ちょっと抱き着きすぎだ……」
「えー。だってぬれちゃうじゃないですかぁ。こうした方が、傘に入れていいんですよ」
「確かにぬれる場所は減るけども」
実際に日比乃の体は傘に入りきっている。
だがもうぬれるとかそういう問題じゃないことになっているのだが。
「あいあい傘ですね、先輩!」
「あいあい傘とかもうそういう次元じゃないような気がする」
めちゃくちゃくっついてるし。
日比乃は俺の腕に抱き着いているのだ。
これは確かにあいあい傘なのだが、俺が思っているのとは少し違う気がする。
なんというか、もうちょっと甘酸っぱいものだったとイメージしていたのだが。
手と手が触れ合ったり、意外な距離の近さにドキドキしたりとかそういう感じのやつ。
でもよく考えれば日比乃が俺にくっつくことなど日常茶飯事だから、手と手だとかそういうのは今更なことだった。
手と手どころか腕を組んでいる状態だからな。
……日比乃は歩きにくくないんだろうか。
「で、一緒の傘に入ったはいいけど、どこまで行くんだ?」
「え? 私の家まで送ってくれるんじゃないんですか?」
「送るか。ていうかお前の家の場所知らんし」
「そんなの教えますよ~」
あはは、と日比乃は笑う。
いや。仮に教えられても送らないよ。
俺もさっさと家に帰りたいし。
「コンビニかなんかによれば傘くらい買えるだろ。途中のどこかで寄るぞ」
「えー。もうちょっとこのままでいませんか?」
「だめだ。こんな姿を誰かに見られでもしたらどうするんだよ」
「別にみられてもいいじゃないですか。一緒に帰ってるだけですよ?」
「いやお前めっちゃ俺にだきついてんじゃねえか」
何度も言うが、こいつは現在俺の腕に抱き着いているのである。
まるで恋人だ。
というか恋人でもなきゃこんなにくっつかない。
「こんな姿を見られたら、俺たちが付き合ってると誤解されちまうぞ」
「……別に私は誤解されてもいいですけどね」
日比乃がボソッと呟く。
俺はその返しに、なんと答えればいいのかわからなかった。
思わず黙ってしまう。
「……」
「……」
日比乃も黙ってしまい、二人して何も言わない時間が続く。
なんだか気まずい空気が流れ始めたとき、日比乃が「あ!」と叫んだ。
「なんだ?」
「あの道を右に行かなきゃいけないんですけど、先輩もそっちですか?」
「いや。俺は左だな」
「あー。そうですか。じゃあここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
日比乃は俺の腕を離し、お礼を述べる。
「いや、この傘使って行けよ。俺はどっかのコンビニよって傘買うから」
「そんな、ダメですよ。先輩の傘なんですから先輩が使うべきです」
「いいっていいって。先輩なんだから、後輩のことを思って行動するのは当たり前だろ。これ使ってさっさと帰れ」
「でも、あの」
なおも渋る日比乃を見て、俺は無理やり行動することにした。
「ほら。これ持って」
日比乃に傘を渡し、その下を出る。
「あ、ちょっと先輩!」
「日比乃! それ明日返せよ! じゃあな!」
叫んで、雨の中を走っていく。
幸い雨は激しくはないため、すぐにぬれねずみになることはない。
「先輩! ありがとうございます! さよならです!」
日比乃の声が聞こえて、それに振り向くと、彼女は手を振っていた。
それに振り返し、俺は雨の中を帰っていった。
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