第18話 そういうこと言うんですね

「先輩先輩! こんなアプリ見つけたんですけど」


 ある日の放課後、パソコン室で広報誌の記事づくりをしていた俺と後輩の日比乃。

 作業から数十分たったころに彼女がそんなことを言い始めた。


「今日はなんだ?」


 俺はそれに反応し、こちらへとやってきた日比乃を見る。

 彼女の手にはスマホがあり、そこにはなんらかのアプリが起動していた。

 今日はこのアプリを使って俺と遊ぶ、もとい俺で遊ぶのだろう。


 いや百歩譲ってそれはいい。

 俺が日比乃にからかわれることなんてもはや日常茶飯事だしな。慣れたもんだ。

 だから別にからかわれることに関してはいいのだが、しかしこいつ。


「勉強はいいのか?」


 俺が危惧していたのはこいつの勉強。

 というか成績。


 何日か前には成績が悪いと小遣いが減ると言って俺に勉強を教わりに来たのに、今はもうスマホのアプリをしている。

 どういうことだよ。


「休憩ですよ休憩。いつもいつも勉強ばっかりだと頭パンクしちゃいます」


「本当か? 遊んでばっかじゃないのか?」


「きちんとやってますよー。今日だって家に帰ったらやるつもりですし」


「まあそれならいいが」


 合間の休憩というのなら、別に俺が目くじらを立てる必要はない。

 今日だって勉強もせずに記事書いているのは、日々の勉強の休憩としてやっている部分がないわけでもない。

 締め切りが近いと言うのもあるのだが。


 まあそれに、そもそも俺だって他人にどうこう言えるほどの良い成績ではないのだ。

 日比乃に対してやいやい言うのはやめておこう。


「話し戻しますけど、先輩。このアプリやりませんか?」


「やらない」


 やいやい言うことはしないが、別にこいつの言うことを素直にきくわけでもない。


「えー、なんでですか?」


 日比乃が不服そうに眉をひそめる。

 なんで、って。そんなの決まっている。


「ろくなことにならないだろうしな」


「えっ……」


「そのアプリとやらも、どうせろくでもないやつだろ? いつもお前の言うことに従ってお前と遊ぶとろくなことにならねえしな」


「ろくなことにならない、ですか」


「それにいつもいつもお前にからかわれて作業を邪魔されて、俺もいい加減疲れているんだ。もっと落ち着いて欲しいところだよ」


「落ち着いて欲しい、ですか」


「ああ。毎回俺が作業しているところにちょっかいかけてきて。ちょっと迷惑っていうか」


「迷惑、ですか」



「ま、もっとおしとやかになってくれればいいとは思っているよ」


 そうして俺がひとしきり言った後。




「……ふーん」




 近くで日比乃の暗い感じの声がした。

 底の見えない深海からくみ出された冷水のような、暗くて冷たい声色だった。


 その声に何か違和感を感じつつ、俺はゆっくりと日比乃の方を向く。


「そういうこと言うんですね。先輩は」


 日比乃はこちらを向いてにっこり笑う。

 なんだろう、いつもとは違った感じの笑い方だった。


 俺をからかう時のにやにやした笑みとも、楽しい時の天真爛漫な笑顔とも違う。

 まるで怒っているのを隠すために無理やり笑っているかのような、そういう笑みだった。


「ひ、日比乃……?」


 普段と様子が違う彼女の姿に俺は困惑する。


 どうしてこんなことになっているのか。

 彼女は不機嫌になっているのか。


 いや、思い当たる節はある。

 俺のさっきの言動だ。


 俺が言った言葉を思い返す。


「……」


 ちょっといいすぎただろうか。


 別に嘘を言ったつもりはないけど、少し大げさだったかもしれない。

 それに、ちょっとだけデリカシーがなかったかもしれない。

 悪いことをしてしまったかもしれない。


 俺がそう思った時、日比乃は言い始めた。


「先輩が私のことをどう思っているのかわかりました」


「いや。その。日比乃」


「なんですか先輩。ろくでもないことをして、落ち着かなくて、迷惑な私に何か用ですか?」


「……」


 その言葉。その様子からやっとわかった。

 これはたぶん怒っている。

 いやたぶんではない。確実に怒っている。


「あー。日比乃。その、さっきは色々言ってしまったかもしれないが――」


「別にいいんですよ。そんな言い訳しなくたって。どうせ、ど・う・せ! 私は迷惑ですから! 先輩好みのおしとやかな子じゃありませんから!」


 日比乃は「ふん!」と言ってそっぽ向いてしまった。

 腕を組んで、こちらの方を見ず、不機嫌さを隠そうともしないでいる。



 ……怒らせてしまったな。


 俺はさすがに反省した。

 調子に乗って言いまくってしまった。

 軽口のつもりで言っていたのだが、あれは完全に悪口だった。


 これは謝らなければいけないだろう。

 俺は日比乃に話しかける。


「日比乃」


「なんですかー? 別にもういいですよーだ。ふん!」


「日比乃、すまなかった」


 俺は椅子から立ち上がり、頭を下げる。


「調子に乗って色々言いまくっちゃったな。お前気持ちも考えず、すまないことをした」


 頭を上げて日比乃の顔を見ながら言う。

 彼女はそっぽを向きながらも、俺の言うことを聞いてくれたいた。


「許してくれ。この通りだ」


 そう言って、再度俺は頭を下げて日比乃に謝罪した。


「先輩。頭を上げてください」


 その言葉を受けて、俺は頭を上げる。


「……別に、そこまでさせたかったわけじゃないんですけど」


「そうか。いやでも、悪いことをしたからな。ちゃんと謝るべきだ」


「で、でも。先輩は私のこと迷惑で――」


「違う!」


 俺は即座に否定した。


「さっきはああ言ったけど、俺はお前のこと迷惑なんて思っていない」


「ほ、本当ですか? 私、いままで先輩に対していろいろやってきた自覚はあるんですけど」


「まあ。確かに色々絡まれはしてが、別に嫌じゃないからな」


 これは本当だ。

 もしこいつの行為が嫌だったら、俺は放課後にパソコン室なんて来ずに家に帰ってる。

 今までここに来つづけたということは、今までされてきたことが嫌じゃなかったということなのだ。


 日比乃と一緒にいる時間が、好きだったということだ。



「先輩……」


 俺の言葉を聞き、こちらの方を向いた日比乃が呟いた。

 そして俺は彼女の顔を見ながら言う。


「それに日比乃。俺はお前と一緒にいたいと思っている」


「先輩!?」


「放課後の数時間だけだが、一緒にいて楽しいからな」


「あっ。そ、そういう意味でしたか。そうでしたか……。あやうく勘違いしちゃうところでした……」


「勘違い?」


「い、いえ! 何でもありません!」


 日比乃は俺から目をそらし、別の方を向く。


 さっきと同じ行動だが、まあ、雰囲気的にもう怒っているわけではないだろう。


「ま、まあ、先輩も謝ってくれましたし、私も別にそこまで怒っているわけはありませんから。許します。先輩」


 その言葉を聞いて、俺は安堵した。


「よかった。ありがとう、日比乃」


「な、なんですかもうまったく……。今日の先輩は思ってること何でも言い過ぎなんですよ」


「そうか?」


「そうですよ。何ですか一緒にいたいって」


「それは普段から思ってることだが」


「ふ、普段から……!」


 彼女はこちらを見ながら目を丸くする。


 そこまでおかしなこと言ったか?


「ふ、ふーん。そうなんですか。普段から私と一緒にいたいと思ってるんですか」


「ああ。まあ、そうだよ」


 その言葉を聞いて、日比乃は「ふふ」と笑った。


「そうなんですか。先輩はそんなに私のこと好きなんですね」


 そのまま嬉しそうな笑顔になる。


「まったく。それなのに最初あんな風にいろいろ言っちゃうなんて。ほんと先輩はツンデレさんなんですから」


 日比乃は俺のことを見ながら、機嫌よさそうに笑顔を浮かべ続けた。

 その顔は、俺が見惚れてしまうくらい可愛いものだった。




 ちなみにこの夜。俺は自分の言ったことを思い出して布団の中で悶絶するのだが、それはまた別の話。

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