第17話 勉強教えてください

 ある日の放課後。

 俺はパソコン室で広報誌の記事を作っていると、後輩の日比乃がやってきてこういった。


「先輩、勉強教えてくれませんか」




 日本の高校には、一部の例外を除いて期末試験や中間試験が存在する。

 それは普段の学校生活においてきちんと授業を聞いているか、家ではきちんと復習しているかを問う試験だ。


 その試験で悪い成績を取ると生徒たちには補習という悪夢が待っている。

 試験が終わった後も勉強をしなければならない。まさに悪夢だ。


 それでも悪い成績を取り続けると、下手すれば留年。最悪退学という措置まで取られることになる。

 まあ留年はともかく、成績が悪くて退学なんてよほどのことでもない限りありえないが。

 それこそ何年も留年するとかそれくらいのことをしなければ。


 まあ俺にはあまり関係のない話だ。

 俺は成績上位ではないにしろ、赤点を取って留年の危機になってしまうほど成績は悪くない。


 じゃあ日比乃はどうなんだろうか。


「先輩。勉強教えてください」


 鞄をもって、日比乃は俺に頼み込んでくる。

 中には恐らく教科書やノートなどの勉強道具が入っているのだろう。


「勉強を教えるのはいいけど、お前ってそんなに成績やばかったの?」


「やばいんですよ。ピンチなんですよ。勉強しなきゃいけないんですよ」


 そんなに強調するほど悪いのか。


「ちなみにどれくらいの成績?」


「下から五十番くらいです」


 なるほど。

 うちの学校は一学年三百人くらいだ。

 それで下から五十番だと、そこそこ悪いな。


「まさか留年の危機か?」


「そこまでじゃないんですけど、今回も悪いとお小遣い減らされちゃうんですよ」


「あー。だから勉強する気になってんのか」


「はい。お願いします、先輩」


「別に勉強教えんのはいいけど、俺でいいのか? 学年は上だから教えられると思うけど、俺も成績はいいわけじゃないぞ。他の成績いい奴に教えてもらった方がいいんじゃないか」


「成績いい子はすぐ家に帰って勉強してるんでなかなか捕まらないんですよ。その点先輩は放課後ここにいますから、いつでも捕まります」


「俺だって毎日ここにいるわけじゃないんだが、まあそれはいいか。いいぞ、勉強教えてやるよ」


 特に断る理由もない。


「やった。先輩ありがとうございます」


 日比乃は俺の隣の席に座り、教科書やらノートやらを鞄から取り出す。

 しかしそのままでは狭いため、キーボードをパソコンの画面に立てかけて勉強道具を置くスペースを確保する。


 俺の方も先ほどまでやっていた作業を止めて、ワードの画面を閉じた。


「最初に教えてもらいたいのは英語なんですけど」


「いいぞ、どの部分だ」


「ここの文法です」


 俺は日比乃の指し示した部分を見て、教え始める。



 こうして、勉強会が始まった。




 勉強を始めて一時間ほど。

 その間は特にハプニングなどはなかった。


 日比乃は特にいたずらなどもせず真面目に勉強している。

 さすがに今回は自分の成績(というよりお小遣い)がかかっているせいか、きちんとやるつもりらしい。


 そして今は数学の問題集をやっている。

 わからないところがあれば俺に質問をしながら問題を解いていた。


 俺はそんな日比乃の横顔を見る。


 黙っていればやっぱりこいつは可愛い。

 いやまあ喋っても可愛いのだが、静かにしている日比乃は一段と可愛く思えた。


 これは話しているかどうかで評価が変わるのではなく、注視しているかどうかの問題だろうな。


 普段はからかわれたりしているためじっと見る機会がなかった。

 だが今回のように静かにしているならば、こいつの顔をじっと見ることができる。


 じっくり見て、可愛いことを再認識しているのだ。



 そんな風に日比乃のことを見ていると、その視線に気づいたのか彼女は不意にこちらを見た。

 俺と日比乃の目が合う。


 俺はとっさに目をそらしてしまうと、日比乃は驚いたようにこちらを見ながら口を開いた。


「先輩。いま見てましたか?」


「……悪い。気が散ったか?」


 正直に白状する。

 真面目に勉強している日比乃をじろじろ見ていたのだ。

 ただでさえ失礼なことをしたのに、嘘を言ってこれ以上の失礼を働きたくなかった。


「い、いえ。別に気は散りませんでした。何か用でしたか?」


「別に用はないんだ。忘れてくれ」


「……。用がないのに、見ていたんですか。私のこと」


「日比乃?」


「へーーえ。見ていたんですかぁ。私のこと」


 日比乃はにやにやしながらこっちを見ている。

 これはまずい。いつもの顔だ。

 俺をからかう時の、いつもの顔。


「用もないのにみていたんですねぇ。私のこと。あ、もしかして見惚れちゃってましたかあ?」


 ほら。

 案の定俺をからかってきた。


「別に見惚れてない」


「嘘ですよぉ。見惚れていたくせにー」


 嘘じゃない。見てはいたけど、見惚れてはいない。

 可愛いとは思ったけど、決して見惚れていない!


「えへへ。見たいんならもっと見ていいですよ?」


「べ、別にいいよそんな――」


 言っている途中で、俺の顔がつかまれた。

 そして日比乃の方を向けられ、固定される。


「先輩。もっと見ていいんですよ。私の顔」


「え、遠慮する」


「素直じゃないんですから」


 そう言って日比乃は俺の顔の近くに自分の顔をよせてきた。

 互いの息が当たる距離にまで近づいてくる。


「ちょっとだけ言い方を変えますね?」


 限界まで近づいた日比乃が囁く。


「先輩。もっと見てください、私の顔」


 そして日比乃はにっこりと笑った。

 にやにやした笑顔じゃない。純粋で魅力的な笑顔だ。


「……!」


 間近でみる彼女の笑顔に、俺は顔を真っ赤にして照れる。


 こいつの笑顔は本当にかわいくて、こんなに近くでみているとおかしくなってしまいそうになる。


「あー。先輩照れてる」


 気づいた日比乃が指摘してきた。


「照れてない」


 苦しいとわかっていたが、それでも嘘をついてしまう。


「今日の先輩は嘘つきですね」


「うるさい。まったく」


「あーあ。真面目に勉強するつもりだったのになー。先輩が私に見惚れちゃうから」


「別に今からでも真面目に勉強できるだろ。さっさと戻れ」


「ダメでーす。先輩が私に見惚れてるとわかった以上、嬉しくなった私はもう勉強には集中できませーん」


「う、嬉しいってお前」


「嬉しいですよ。あ、じゃあ私を嬉しくさせてくれたお礼に、次は私に関するお勉強をしましょう」


「はあ?」


 日比乃に関する勉強?

 何をするんだよ。


「私に関することを何でも学ぶことができます。なにから知りたいですか?」


「何からって、別に特に知りたいことなんてねえよ」


「えー。知りたいことあるはずですよ。まあないなら勝手に言うだけですけど」


 日比乃は何を教えるか考え始める。


「胸のカップ数はこの間もう言いましたから、じゃあ今度はバストサイズとか?」


「し、しりゃたくねえよ!」


 だめだ! めっちゃ噛んでしまった!

 説得力ねえ!


「ふふ。噛んじゃいましたね」


 そう言うと、日比乃は俺の顔をつかんでいた手を離した。

 体勢を戻して、さっきまで近づけていた顔も離していく。


「知りたくないなら今はいいです。また今度で」


 ふふ、と笑って日比乃は言う。


「それに、バストサイズなんてすぐ大きくなっちゃいますからね。成長期ですし」


「……」


 俺はその言葉に、何も言うことができなかった。




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