第10話 あーんしてあげます
『今日のお昼休み、ごはんを食べ終わったらパソコン室に来てください』
『あ、でも、お腹いっぱいにしてきちゃだめですよ』
今朝、後輩の日比乃からこんなメッセージが届いた。
「また今度は何を考えているんだ」
俺はこれまで日比乃からさんざんからかわれてきた。
耳に息を吹きかけられたり、後ろから抱き着かれたり。
今回もそういう類のいたずらを仕掛けてくるのだろう。
あいつからわざわざ呼び出すなんて、絶対何かあるに決まっている。
しかしそうなると、気になるのは二つ目のメッセージだ。
お腹をいっぱいにしてきてはだめ。
俺に何かを食べさせたいのだろうか?
考えられるいたずらとしては、ロシアンルーレットだ。
もちろん本物の拳銃によるロシアンルーレットの方ではない。
複数の食べ物の中に一つだけ大量のワサビが入っているという、テレビでよく見るあれのことである。
日比乃はそれをやりたいのかも知れない。
とは思うが、実際にはどうかわからない。
本当に何か食べ物を作って、純粋に俺に食べさせたいだけかもしれない。
このまま教室でうなっていてもらちが明かない。
昼休みになったので、俺は教室を出てパソコン室に行くことにした。
●
「おーい、来たぞー」
「お待ちしていました先輩」
俺がパソコン室にやってくると、先に待ち構えていた日比乃が笑顔で手を振ってきた。
「こっちですよー」
「わかってるよ」
華が咲くような、満面の笑顔。
それを見るとやっぱり可愛いなと思ってしまう。
「それで何の用だ?」
「今日は先輩にいいもの作ってきてあげたんですよ」
「いいもの、ねえ」
たぶん食べ物なんだろうな。
それぐらいは既にわかっている。
日比乃はがさごそと鞄をあさり、そして一つのものを取り出した。
「じゃじゃーん。クッキーを作ってきましたー!」
取り出したのはクッキーだった。
正確には、複数のクッキーが入った袋だ。
指でつまめる程度の大きさのクッキーが五枚ほど、小さい袋の中に入っている。
「手作りですよ、手作り。えへへー、すごいですよねー」
日比乃はクッキーを見せつけながら、俺に対して自慢してくる。
「確かにすごいな。授業で作ったのか?」
「いいえ。家で作ってきましたよ。ちゃんと一人で作りました。親にも手伝ってもらってません」
本当に一人で作ったのか。
なるほど、それはすごいな。
クッキーの作り方はよく知らないが、一人で作るなんて大変だろう。
俺は感心して、ため息をこぼす。
「それでですね、先輩。このクッキーを先輩にあげます」
「お、マジか。ありがとう」
半ば予想していたが、けっこう嬉しい。
後輩の女の子から手作りのお菓子を貰えるなんてことが、俺の人生にもあるだなんて。
感激だなあ。
目の前に日比乃がいなければ、そこで涙ぐんでいたところだった。
さすがに人がいる前でいきなり涙を流し始めたら色々やばい奴だから、自重したけれども。
涙を我慢しながらも、俺は手をだした。
「ん? なんですかこの手は?」
「え? くれるんじゃないの?」
「あげますよ。あげますけど、この手は?」
「いや、そのクッキーを貰うために手を出したんだけど」
手を出さなきゃもらえないだろう。
まさか手以外で受け取れっていうのか?
足とか口とか?
そんな曲芸じゃないんだから。
「先輩は手を出す必要はありませんよ」
「はい?」
「先輩が手で受け取る必要はないっていうことですよ。私があーんしてあげますので、口を出してください」
「はい!?」
口で受け取る方だった。
さすがの俺も、それには動揺する。
「いやいや、それはやだよ! 恥ずかしい」
「恥ずかしいってなんですか? 私のあーんが嫌っていうんですか?」
「い、嫌というわけではないが、でもここ学校だぞ? 恥ずかしいだろそんな」
「恥ずかしくありませんよ。誰も見ていないですし」
「人来るかもしれないじゃん。先生とか」
「ここって授業以外では私たち広報委員ぐらいしか使っていないので、人は来ません。先生だってお昼休みにわざわざこんなところに来ませんよ」
それは、確かにそうだ。
いつも放課後に三滝先生がくるのは、俺たちが放課後にここで委員会の活動していることをしっているから見まわりに来ているのだ。
今日は別に委員会の活動はしていないから先生が来る必要はないし、そもそも昼休みにここにくることなんて伝えてない。
三滝先生はここにくることなんてほぼないだろう。
「いやでも……」
尻込みしている俺に、日比乃はにやにやしながら俺をからかってきた。
「あれ? あれあれ? もしかしてですけど、先輩。私からあーんってされるのがそんなに恥ずかしいんですか?」
「はあ?」
「あーそんなに恥ずかしいんならしょうがないですよね。先輩はぁ、あーんって食べさせてもらう程度のことすらできない恥ずかしがり屋さんなんですからねー。ごめんなさーい、先輩がどれだけ恥ずかしがり屋なのか、私が知っておくべきでしたー。もーうシャイな先輩をもつってたいへーん」
日比乃は、はぁーとため息をついて呆れている。
カチンときた。
こいつ、ずいぶん言ってくれる。
いいだろう。そんなに言うならやってやろう。
「できるさ」
「はい?」
「やってやるよ。あーんだっけか? やってやろうじゃないか」
「そうこなくっちゃですよ先輩。さっそくしましょう」
先ほどまでの生意気な態度から一変、日比乃はふんふーんと鼻歌を歌いながらクッキーを取り出した。
その手際の良さに、先ほどのは俺をその気にさせるための罠だったんじゃないかと思うがもう遅い。
乗ってしまったからには、あーんを受けなければいけないのだ。
「はい、先輩。あーん」
日比乃はクッキーを指につまみ、差し出してくる。
「あ、あーん」
若干の恥ずかしさを感じながら、俺は口を開けてクッキーが運ばれてくるのを待った。
日比乃の指と共にクッキーがそーっと運ばれてきて、俺の口の中に入る。
そのまま俺はクッキーを噛んで食べた。
サクッという感触がして、甘みが口の中に広がる。
そのままよく噛み、ゴクリと飲み込んだ。
「ど、どうですか先輩」
日比乃が緊張した面持ちで訊いてきた。
どうやら自分の手作りのクッキーの感想が気になるらしい。
「美味しいよ」
俺はそれに対して正直に答える。
お世辞じゃない。本当に美味しかった。
何枚でも食べたいと思えるくらいに。
「すごく美味しい。ありがとうな」
思わず二回も美味しいと言ってしまった。
「そ、そんな先輩。こちらこそありがとうございます。食べていただいて」
日比乃ははにかみながらも嬉しそうに笑顔になっている。
あざといくらいに可愛い笑顔だった。
「まだクッキーは残っていますから、どんどん食べてください」
そういって、日比乃はクッキーを指でつまんで差し出してくる。
高さは先ほどと同じ俺の顔のあたりだ。
どうやら今回もあーんで食べさせてくるつもりのようだ。
「あーん」
まあ、一度やれば二度も三度も変わらない。
俺は再び口を開けてクッキーを待つ。
もう一枚、クッキーが口のなかに入れられて、俺はそれを味わう。
「美味しいよ。日比乃」
そして俺はまた美味しいと感想を言う。
本当に美味しいのだ。
「えへへ。ありがとうございます。がんばって作った甲斐がありました」
日比乃は笑顔で喜んでいた。
やばい。可愛い。
純粋に喜ぶ日比乃の顔はとても可愛くて、どうにかなってしまいそうだった。
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