第3話 音楽一緒に聞きましょう
今日もパソコン室で広報委員会の作業だ。
広報委員会は週に二、三回放課後に集まって、学校の広報誌にのせる記事を作っている。
学校の広報誌とかいう誰が読んでるんだか読んでないんだかわからないものを週に何度も集まって、しかも放課後の数時間をずっとその記事を作る作業に充てている。
仕事か何か? 給料も出ないのに。
まあ先生が時々ジュースや飯おごってくれるから、それを報酬だと思えば仕事みたいなもんか。
……現物支給かよ報酬。
しかも二時間の拘束時間にしては安いし。
まあそんな感じで、俺たち広報委員会は日々パソコン室で文字をうって作業してるというわけだ。
ちなみに現在パソコン室にいるのは俺と一つ下の後輩である日比乃京香だけだ。
広報委員会はもちろんもっとたくさんの人数がいる。
各クラスに一人はいるはずだから、本来はあと十数人の人間がこのパソコン室にこもって作業していなければいけないはずなのに。
これは別に俺たち以外の人間がさぼってとんずらしたわけではない。
彼らには彼らの生活があり、それを優先しているに過ぎない。
具体的にいうと、部活だ。
あとは予備校。
部活をしている生徒は普通にそちらの方を優先しているし、予備校に通っている生徒はもちろんそっちの方が大切だからそっちに行っている。
俺と日比乃は部活に入っていないから、放課後に委員会でこんな作業をしているのだ。
他の奴らは部活または予備校が終わった後、家で記事を作っているらしい。
なんで俺らだけがこんなことをしなければいけないのか。他の奴らがここじゃなくて家でやっているなら俺らも家でやっていいはずではないか。
そう先生にクレームをつけたことがあったが、その時こう返された。
「別に家でやってもいいですけど、貴方たちは家で集中して記事つくりができますか? 学校で集中して作業して早くに余裕をもって終わらせるのと、家でダラダラやって締め切り間際までいつまでも終わらない。それらのうちどちらがいいですか?」
もちろん学校で作業する方にしたね。
俺は家が恋しいし、できるだけ早く家に帰りたいと思っている。しかし家の中でこんな作業を二時間も三時間も行える自信はない。
ダラダラできるから家に帰りたいのだ。ならば家に帰ればダラダラするに決まってる。
家じゃ仕事はできないタイプだった。
それは日比乃も同じだったようで、学校で作業する方を選んだらしい。
だから俺らは放課後パソコン室で広報誌の記事を作っている。
「ねー先輩」
日比乃が俺に話しかけてきた。
これはよくあることだった。
集中して作業ができるとは言っても、いつまでも集中し続けたままでいることなどできない。いつかはどうしても途切れてしまうものだ。
彼女の集中が途切れたときは、だいたい俺に話しかけてくる。
そしてちょっかいをかけてくる。あるいはからかってくる。
今回もそうなのだろう。
「なんだ日比乃」
「私たちって、真面目に記事作ってるじゃないですかー?」
「まあそうだな」
これは本当だ。
俺は心の中でぶつくさいいながらも真面目に記事を作っているし、日比乃は時おり――いや頻繁に?――俺をからかってくるが、それ以外の時間はきちんと作業している。
先輩である俺をからかってくるのはいただけないが、俺は日比乃のやるべきことはちゃんとやるという真面目な部分は評価していた。
「それでですねー。なんか飽きちゃいまして」
「何に?」
「真面目にやるの」
「……」
これまたすごいことを言い始めたな。
さっき評価していると褒めた部分を数行で捨て去ろうとしたぞこいつ。
まったく予測できない女だ。日比乃京香。
「真面目にやるのが飽きたって」
「そうなんですよー。毎回ジーっと数時間パソコンとにらめっこ。こんなのめんどくさくないですか?」
「確かに面倒くさいけど、仕方ないだろ。それ以外にどうやって記事かくんだよ」
原稿用紙に手書きするのか?
そちらの方が面倒だな。
「いや別にパソコンで作業するのはいいんですよ。ただそれだけじゃ集中切れちゃうんです。私的にはスマホで音楽聞きながらやりたいんですけど」
なるほど、そういうことか。
確かにそれなら適度にリラックスしつつ作業を行えるだろう。別に誰に迷惑を開けるわけでもないしな。
だが。
「やめといた方がいいと思う」
「なんでですか?」
「別に音楽聞きながら作業するのは悪いことじゃないと思う。合間合間に音楽でも聞いて気持ち切り替えられるし、そっちの方が集中できるってんならその方がいいだろ。でもここ一応学校だしなあ。先生来たらそっちの方が面倒なことになるぞ」
うちの学校は一応スマホ禁止である。
もちろん生徒はほぼ全員がスマホを持ってきているし、休み時間中にいじっている奴も多い。
教師もいちいちそれを注意して回ることは酷だし、取り上げようものなら職員室の教師の机は没収したスマホであふれてしまうだろう。だから黙認している状況だ。
しかし黙認していることは許されているわけじゃない。
休み時間の五分、十分音楽を聴いているだけならまだ教師も黙認してくれるだろう。
だが放課後の長時間をスマホで音楽聞きながら委員会の仕事をするというのはさすがに許してはくれないはずだ。
要は程度の問題。
ここでスマホを使用しながら作業し始めて、それが常態化してしまったとして。
その状況を教師が黙認してくれるだろうか?
俺はそうは思わない。
スマホを没収される可能性は高いと思う。
それに広報委員会の顧問の先生である三滝先生は生徒に甘いため見逃してくれる可能性もあるが、厳しい先生だっているのだ。
それを日比乃に伝えると、こいつは納得した。
「わかりました。つまり長時間使用せずに、ちょっと間だけなら大丈夫なんですね?」
「まあ、そうかもな。言っとくけど今のは俺の勝手な推測だぞ?」
「いえいえ。私は先輩のこと信頼しているので。先輩の言うことはあたってますよ」
その信頼は嬉しいんだけど、俺としても正しいと胸を張って言える推測じゃないから複雑だ。
「というわけで、先輩も一緒に聞きません? 音楽」
「なんで?」
急に話飛んだ?
俺何か聞いてなかった?
「だって少しの間ならいいんですよね? なら気分転換にちょっとだけ聞きましょうか。先輩と一緒に音楽聞きたいなあって」
「えー」
「一緒に聞きましょうよー」
日比乃は俺の右隣にある椅子に座り、横にきてくっついてくる。
「わかったわかった。聞く聞く」
「やったー」
俺は根負けして、日比乃の提案に乗った。
根負けというか、特に断る理由もなかっただけだが。
「はい。じゃあこれききましょうか」
日比乃は俺にイヤホンの片方を渡して、俺の耳に着ける。
「いやちょっと待て」
これはなにかおかしい。
なにがおかしいって、俺に渡されたイヤホンは左耳のイヤホンなのだ。
俺と日比乃の位置関係は、俺が左で日比乃が右。
普通俺には右耳のイヤホンを渡さないか?
そうしないと、イヤホンの長さの問題でどうしても顔と顔がくっついてしまうのだが。
「これだと長さ足りなくて俺とお前がかなりくっつかないといけないんだが」
「い、いいんですよ。これで! 私は右耳の方が聞きたいんです!」
いやasmrじゃないんだから、普通の音楽で右と左の差ってそこまで気にはならないと思うんだが。
なにかこだわりがあるらしい。
「じゃあ俺が右に行って――」
「先輩はじっとしていてください! このままでいいんです!」
今日の日比乃はこだわりが強いなあ。
なんでだろ?
もしかして音楽を聴くのは建前で、実は俺とくっつきたいだけのか?
いやそんなわけないか。
そして俺たちはイヤホンをつけて、そうすると案の定顔と顔の距離が近くなる。
ほっぺがくっついてしまいそうだ。
すごく、ドキドキしてしまう。
そして日比乃の頬も赤くなっているような気が。
いや、気のせいだろう。
日比乃がこれぐらいのことで恥ずかしがることはないはず。
「じゃ、じゃあ。聞きますよ先輩」
スマホをタップして、音楽が流れ始めた。
だがそんなもの俺は集中できなかった。
歌は流行りのやつだった。
横にいられるとなんちゃらとか、香水の匂いがどうたらとか歌っている。
だけどこっちはもうそれどころじゃない。
現在進行形で横にいる女のことが気になって仕方ないんだよ。
近くにいると日比乃の匂いがこちらに来る。
これはシャンプーなのだろうか。それとも香水?
そのどちらでも、俺はこの甘い匂いで日比乃を意識せざるを得なくなる。
きっと俺はこれから卒業して日比乃と交流を持たなくなっても、これに似た甘い匂いを嗅ぐたびに日比乃のことを思い出すに違いない。
日比乃の使っている香水やシャンプーの銘柄を俺は知らない。
どこの何を使っているのか、香水にもシャンプーにも疎い俺には全くわからない。
日比乃の甘く香る匂いが何に似ているのか形容することすらできない。
でもこの甘い匂いを俺は知っているし、きっと生涯忘れない。
これだけは、正しいと胸を張って言える推測だった。
それだけは、信頼してもらっていい。
音楽を聴いているのに、俺は聴覚ではなく嗅覚に五感を集中させている。
全くおかしな話だな。
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