第2話 私のこと意識してますよね?

 俺の名前は柳川新。

 高校二年生だ。


 俺には後輩がいる。

 何らかの組織に属している人ならば大抵はいるだろう。


 その後輩が先輩である俺を敬ってくれるならば問題はない。素晴らしい間柄だ。

 仮に尊敬の念を持っていなくとも、適度な距離を保ちつつ先輩後輩として付き合っていくことができればそれにこしたことはない。


 しかし、俺の目の前の後輩は違う。


「せんぱーい。なに私をいやらしい目でみてるんですかー? いくら私が可愛いからって、そんなに見つめちゃいやですよー」


 こういう態度なのだ。

 尊敬などまるでしてないし、それどころかこちらにやたらと絡んでくる。

 かろうじて敬語を使ってはいるが、それも一応先輩であるから使っているだけのものだろう。


 ちなみに断じていやらしい目で見てはいない。

 たまたま後輩の方に目をやったら目があったというだけだ。

 それをこいつはにやにやした目でみながら絡みのネタにしてくる。


「あーあ。ショックです。私は真面目に仕事を頑張っているのに、先輩は私をじろじろ見て楽しんでいるだなんて」


 俺とこの後輩、日比乃京香は広報委員という委員会に所属している。

 広報委員とは学校の広報誌を作って発行する委員会だ。


 あんな誰が読んでいるのかわからない物なんて、作る意味あるのかね?

 まあ例えなかったとしても、俺はやるしかない。

 それが仕事だ。

 やる意味を考えてはいけない仕事というのは存在する。

 全ての仕事が誰かの役に立っているなんて言葉は綺麗ごとの幻想だぜ……。


 そんなわけで、今はパソコン室で広報誌を俺と日々乃は作っている。

 しかしただ広報誌をつくっているだけではつまらないのか、こうしてたびたび俺に絡んでくるのだ。


「それもこれも、私が可愛いから悪いんですかね」


 そう。確かに日比乃は可愛い。

 美少女だ。

 下の学年にそこまで知り合いがいるわけではないが、それでも学年で一、二を争う美少女なのだろうなと言うことができる。


 まあ、だからって絡まれて嬉しいとは思わないがね。


「しょうがないですよね。先輩っていかにも女っ毛なさそうですし。こーんなかわいい美少女と二人っきりなら、意識しちゃうのも無理ないっていうか」


「おい日々乃」


「ならまあ。ちょっとくらいなら私のこと見てくるのも許してあげなきゃって思いますし」


 そして日比乃は「あっ!」と言って、続ける。


「見てくるのを許すって言っても、可愛いなあ京香ちゃんはって感じの目で見てくるだけですからね? 京香ちゃん胸おっきいなあぐへへみたいな目でみちゃダメですからね」


 京香ちゃん胸おっきいなあぐへへって。

 なんだその目は。

 犯罪者の目じゃん。


「ま、まあでも、先輩がどうしてもっていうならちょっとくらいは――」


「見てねえし、お前をそういう目で見るつもりは今後もねえよ」


 俺はそういった。

 こういうのは最初にはっきりと言って自分の立場を表明した方が後々役に立つ。


 正直、何の役に立つのかは俺も知らん。


「……そうはっきり言われると、なんか納得いきませんね」


 日比乃はそう言うとむきになったかのように、こちらに突っかかってきた。


「でも先輩。私のこのおっきい胸とか、太ももとか、ちらちら見てますよね?」


「見てない」


 これは本当だ。

 無遠慮に女性の体をみることが失礼であることは俺でも理解している。



「……い、いえいえ。いいんですよ無理しなくても。本当は私の体を意識しちゃっているんですよね」


「大丈夫だ。お前のことを女性として意識したことはない」


 これは嘘だ。

 何度も意識したことはあるし、正直近くに来られるたびにドキドキしている。

 近くに来るといい匂いがするとか、手とかすべすべで柔らかいとか。

 めっちゃ意識している。


 だが、それを悟られるわけにはいかない。

 知られたが最後、今後の高校生活ずっとそのネタでいじられ続けることだろう。

 それだけは避けなければならない。

 それにこいつの距離の近さは俺をからかうための半ば冗談みたいなものだしな。



 そうして鉄の心で対応していると、日々乃は作業をしていた手を止めて言った。


「ふーん。そういうこと言うんですねー」


 そして日比乃はすっと椅子から立ち上がった。


「どうした日比乃」


「なんでもないですよ? 先輩は私のこと意識してないんですよね?」


「あ、ああ」


 なんだろう。

 なにかまずいことを言ってしまったような気がする。


 日比乃はそのまま歩いて俺の後ろまでくる。


「日比乃?」


「なんですか? 私のことを意識しない柳川先輩」


 あ、これ怒ってんな。

 ようやく俺でも理解できた。

 恐らくお前なんて意識してないという発言が、日比乃のプライドを傷つけたのだろう。


 しょうがない。ここは日々乃の思うようにさせてやろう。

 俺の不用意な一言で日々乃を怒らせてしまったことは事実だ。

 それに対する謝罪の意味もこめてこいつのちょっかいを甘んじて受けようではないか。


 それに日々乃も大したことはしないだろう。

 ペンか何かで俺の脇腹をつつく程度。

 そう判断して日比乃が後ろに立っても、俺は特に何もしなかった。

 しかしそう思った俺が甘かった。


「えいっ」

 後ろに立った日比乃は、がばっと俺の背中から抱き着いて来た。


「! ちょ、日比乃!?」


 その行動に、思わず取り乱してしまう。

 俺が想定していたより二段階くらいレベルの高いちょっかいだった。

 これは問題だ。


 なにが問題って、胸が当たっているのだ!

 抱きついてくっついているから背中にちょうど日比乃の胸があたる!


 柔らかい感触が背中に!

 背中に!


 しかもそれだけでは飽き足らず、日比乃は俺の体に手を回してさらに強く抱きしめてくっついてくる。

 体にあたる柔らかさが強調される。

 さらに柔らかい感触だけじゃなく、女の子特有のいい匂いがしてきた。

 こいつ、五感で俺にちょっかいをかけてきやがる!


「どうしたんですかぁ? 先輩。私のこと意識しないんですよね? ずいぶん慌ててますけどぉ」


「お、おい。いい加減に」


 俺が日比乃に対して注意をしようとしたとたん。


「ふー」


「あふん!」


 日比乃が俺の耳に息を吹きかけてきた。


 なにすんだこいつ!

 思わずあふんって言っちゃったよ!

 恥ずかしい!


「あれーずいぶん可愛い声だしましたねえ、先輩。私のこと意識してないのに?」


「こんなことされたら誰でも変な声出すわ!」


「ふーん。そうなんですか。まだ私のことを意識してないとか言い続けるつもりなんですか。じゃあこうします」


 そういうと日比乃は後ろから強く抱き着いた体制のまま、さらに体を俺にこすりつけてくる。


 くっ!

 だめだ!

 これはもうだめだ!

 これは破壊力が高すぎる!

 やばいもう日比乃のことしか考えられない!


「先輩」


 日比乃は俺の耳元で囁いてくる。


「先輩、これでもまだ私のこと意識してくれませんか?」


「あ、えと」


「これだけやっても、まだ私のこと女の子として見てくれませんか?」


「日比乃……」


 耳元で囁かれる言葉が俺の胸をうつ。


 こいつはそこまで俺のことを。

 ひょっとして、日比乃はからかってるわけじゃなく、俺のことを好きなのでは……?


「日比乃、お前は――」


そして俺が口を開いた時。




「何をやっているんですか。貴方たちは」




先生が来た。



「「うわっ!」」


 慌てて俺と日比乃は離れる。


 いや厳密には俺と日比乃が離れたわけじゃなくて、日比乃が俺から離れたわけなんだけども。


「放課後に真面目に作業をしてくれているかと思ったら、まさかくっついて逢引きをするなんて。別に貴方たちが何をしようとそれは勝手ですが、ここが学校ということを忘れないでください。やるなら家かホテルでやってください」


「何もやってませんよ!」

「そ、そうですよ! まだこれからですよ先生!」


 日比乃さん、これからってなんですかね?

 というか先生もいつからいたのだろうか。

 全く音がしなかったぞ。

 いや俺が日比乃に意識を向けすぎていただけか?


「ずいぶん息が合っていますね。仲がよろしくて結構です」


 先生はこちらを一瞥した後、ドアへと向かう。


「私はもう行きますが、くれぐれも節度のある付き合いをお願いします」


 そういって、先生は出て行った。


「何しに来たんだ、あの人」

「さあ」


 俺と日比乃は二人で顔を見合わせた。

 さっきまでの妙な雰囲気は既になくなってしまった。

 あの時、一瞬俺も変な考えに陥ってしまったが、冷静になって思考が元に戻った。

全部あの妙な空気が悪いのだ。

 そうだ、日比乃が俺のことを好きなわけがない。

 そのはず。


「さ、作業を再開するぞ」


「はい。わかりましたー」


いつまでも呆けているわけにはいかない。

 放課後の時間は無限ではないのだ。

 俺たちは互いに元居た机に戻り、各々の作業を再開する。

 日比乃も先ほどまでの勢いがそがれたためか、素直にパソコンの前まで戻っていた。


「……」

「……」


 カチカチと互いに無言でキーボードを打つ。

 そのまま何分か経過する。


「……」


 これは、ちょっとダメだな。

 俺は思うところがあり口を開いた。


「なあ、日比乃」


「はい。なんですか先輩」


 日比乃は答えた。

 俺は日比乃に向かって声を発する。


「あれ、嘘だから」


「あれ? あれとはなんのことですか?」


「だから、女性として意識してないってやつ。あれは嘘だ」


「え……?」


「本当は、何度も意識したことはあった」


 そういって作業に戻る。


 これはあれだ。

 別に日比乃に抱き着かれたことが原因で絆されてしまったわけではない。嘘をついてしまったことが引っかかっていたから、正確なことをいっただけだ。


 うん。やっぱり嘘をつくのはよくないな。

 嘘をつくと大変なことになる。


 そう思い、日比乃の反応が気になってそちらの方を向いてみると、


「えへへぇ。そうだったんですね、先輩」


 日比乃はにこにこしながらこちらを見ていた。

 いつものにやにやしたからかうような笑いではない。

 心の底から嬉しいというような、そういう笑顔だった。


 く、くそっ! 可愛いな!


「ありがとうございます、先輩」


 日比乃のその笑顔はとても可愛くて、魅力的なものだった。

 隙あらばちらちらと見てしまうくらいに。

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