紫炎術×2と刻戻り×1

「紫炎の火球」

祖の魔女が、その昔、人類に伝えた神火の一端。

前方に、浮かぶ小さな紫の焔を投げつける。

全ての紫炎術の根幹にあたり、万術の祖とすら言われる初歩の魔術。

広く普及し、日用にも護身にも扱われ、杖が無くとも駆動が出来る。

日々進化する魔術の中では余りにとるに足らない術ではあるが、魔女たち、こと学院の本塔に集う賢者たちには大きな意味を持つという。

僅かに照らされるその火球は、魔導を究める者たちにとって始まりに触れた代物であり、生涯をかけるに値する特別な思い出があるのだ。

焔が球状に燃えるのは、人の心が望むから。

永き人類の心の奥に刻み込まれた原初の導きに、人は憧憬を覚えるという。


この術の原理は未だに解き明かされてはいない。

神意によって紡がれる奇跡に近しき人の神秘を、下らない論理で諭す事を魔女は最も忌み嫌う。もとより、虚空から紡がれるそれに、理由を探るのは間違っている。

唯一、知られているのは、この術が不完全であるという事。

かつて祖の魔女が人に見せ、竜を屠った神秘の術は、人の憧れのうちには、より黒く、より輝いていた。

彼女が享受したものを、人類は未だに成し得ていない。

黒く灯るべき炎球が、紫に染まるのは、未だに学びが足りぬからだ。


「食み忍ぶ紫炎」

学院外の術のうち、禁忌に数えられる紫炎術の一。

紫炎を口に入れ、人の内側から、紫炎に対する耐性を大きくあげる。

別名は「魔女殺し」。人の身であっても、紫炎を耐える事が出来るようになる。

黒ずんだ火傷と、身を焦がすような痛みを無くす事は出来ないだろうが、丸ごと燃え広がり炭になるよりかは、いくらかマシになる。

この術は、古く学院との戦いを予期して、名も知れぬ誰かが見出したものだったが、これらは専ら戦場を駆ける戦士や傭兵の類にのみ伝えられ、どこか歪で決して全うな魔術では無かった。

実際、駆動に失敗すれば、口の中から発火し、炙り殺されるよりも悲惨に死ぬ事になる。

余り扱われないものではあるが、学院の魔女のうちにはこれを秘めて用いる者もあるようだ。


魔女と騎士とに相対して、生き残るには手段は選べない。

せめてもの食い扶持を得るために、死と隣り合わせに生きる者たちの望みは、学びよりも、より実戦的で、また単純にして蛮勇であった。

生への憧憬は、脆く儚いが、紫炎を飲み込んでまで明日を望むその心は、なによりも真摯で半端な術よりも懸命である。

幾人もの戦士が、不完全なままにこれを扱い、また学院に臨み、散っていった。

そうした死屍累々に募った願いの轍が、巡り巡って、名も知れぬ誰かの明日を繋ぐ。

学びとは、得てしてそういうものだったろう。


「刻戻り」

祖の魔女が世に遺した原初の三術、「紫炎の火球」に次ぐ神の業、その一つ。

大陸中央に座する、時計塔を利用した時を手繰る魔術。

祖の魔女が、人類の過ちを知り、それを再び選ばぬようにと紡がれて人々に与えた神の慈悲でもある。特殊な円陣から、二つの針を降ろし、時間を蓄積する時計塔より僅かな刻を頂戴するのだ。

時を戻す事で、数舜の最中の出来事を「無かった事にする」。

ただし、術者と、その駆動域に存在する物のみにしか、作用しない。

万人が行使でき、大概の者なら僅かな学びよりこれを扱えるが、術の駆動は秘匿され、およそ扱う者はごく少数である。駆動は出来ても、座標と刻の間を意識して扱わなければ、空間が歪み現実に齟齬が生じる。

祖の魔女が、人類に与えた偉大な業なれど人が扱うには危険が過ぎた。

一つ間違えれば、刻を戻したのは良い物の、存在の落ち度を見失うと人が消え、「無かったこと」にされる。

それは、舜の間を永劫に彷徨い続ける事を意味し、死よりも残酷な末路を歩む事になる。

論理の面で非常に難しいが、その業を身に付ければ、どんな薬学にも劣らない最高の回復魔術として機能するだろう。


刻戻りの魔女は非常に珍しく、彼女らは求道者じみた旅路の中で人々を救い、時計塔を信奉する。分塔として時計塔の座する侯爵領、北の玄関口にあたるシグナレクに駐在し、その学びを先鋭化させている。

時計塔の学びは、水炎に勝るとも劣らない狂気の間にある。

刻戻りの魔女が少ないのは、如何に極致を描いても、初歩的な一つを違えれば永遠を生きる事になる。ましてや、その恐怖が術の駆動に滲むうちは失敗するだろう。

辿り着いた境地は、時計塔を信じるのではなく、現実そのものを疑う事であった。

彼女たちは、全てを信じていない。

かつて刻を戻した、その時から、永劫に人を救い続ける一つの機能と成り下がったのだ。

故に、時を歩むことは常だって旅路であり、その道程はひどく長い。

人を救うには、相応の覚悟がいる。

人理を超えた忍耐と、果てなき救済の内に秘めたのは歪んだ優しさと、永劫の旅路がただあるのみ。

だから、歌声が混じりこむ。

シグナレクの「聖歌隊」は音に聞こえし癒し手たちであると。


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