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芋鳴 柏

「呼び声」

「呼び声」

水炎の基礎にあたる術の一つ。

杖にかしづき「呼びかける」事で、微かな音が術者の耳に届く。

ほんの僅かな異音が聞こえるのみという、実学として身の伴わない水炎らしい術。

原理として「呼びかけ」を自身に反芻させるというものだが、これは水炎の探求の大いなる一歩であった。

水炎の流派は狂気と歩む事を一つの美徳とするにも関わらず、この不確かな音は人の情を呼び起こし、数刻ばかりは狂気から逃れる鎮静剤の役割を持っていた。

それゆえに、古く水炎の魔女たちが密かに嗜む、延命の手綱として重宝されてきたのだ。


その音は、ひどく心地よい。

魔女たちは、この得体の知れぬ音に僅かな懐古を覚えるのだ。


この術を見出したのは、水炎の中興として知られる「弔いの」魔女の手によるもの。

幼少に故郷と家族を戦禍で失った彼女は、この異音を頼り、永き研究の果てに水炎の魔女でありながら、会派始まって以来の号を得た。

しかし、とうに魔女はこの懐古に魅入られていた。


「望郷」

水炎の中位にあたる応用の魔術。

呼び声を応用させ、周囲に異音を響かせる。

音を耳にしたものは、心を奪われ敵味方関係なく大きく動きを制限される。

偉大な「弔いの」魔女の手による、水炎の中でも特に実戦的な術。

戦いによく用いられ、戦場の最中でさえ音が響く限りにおいては戦場の動きを止める。

しかし術者も音を対策しなければ、同じように巻き込まれる。諸刃の剣に近い技。

この術の存在と、「呼びかけ」の成功により、水炎の術派は断絶を免れた。

しかし、今ではこの術の真の脆さが後の研究より知られ、禁忌の術の一つとなっている。

時として、この音を聞いた者は忽然と姿を消すことがある。

響く水面が映えよると、人を攫ってしまうのだ。

制御の効かない現象が、この術が封じられた原因である。


その音は、どこか不快でありながら、万人に響く懐かしい音が混じりこむ。

過去に没した、身近な故人の呼び声が、聞く者の耳に届くのだと。

弔いは、どんな時であれ、静寂を生み出す。

その声は、きっと故郷の呼び声だ。

人が歩みを止めるのは、術の神秘よりも確かな、故人への密かな弔いだろう。


「弔いの」魔女は郷愁に囚われ、この術を好んで用いたと言われる。

滅多に情を面に出さない厳格な彼女は、ただ静寂の中だけは、まるで童子のように微笑みながら一人で何かと語らうことが多々あった。

その映る水面の向こうに、きっと親しい誰かがいたのだろう。


「帰郷」

呼び声の最上位にあたる術。

水炎の中でも特に高位にあたり、その駆動の難度は隋一である。


杖を傅かせ「呼び醒ます」事で、術者にのみしか届かぬ「向こう側」の声をもたらすという。

それは周囲を大きく歪ませながら、澱みを集わせ夜空が近くに寄ってくる。

周りの者に音は届かないが、それは地と空を繋ぎ、人は死を垣間見るだろう。

術者はそのまま、空へと掻き消え、ついに姿を失う。

実学としては使い物にならないだろうが、永い学院の歴史を以てしても人、一人の力のみで大きく場を歪ませ、あまつさえ自らを「縒り戻す」のはただこの術のみだ。


「弔いの」魔女は生涯、孤独に苛まれ、常だって狂気の淵にあった。

その功績は学院に大きな物をもたらしたが、失った過去に魅入られて、故郷に遠く焦がれていた。

長年の郷里への憧憬は、もはや人の理の範疇を超え、現世に居ながら、己を引き寄せるという術の最奥に挑んだという。

魔女は、その老境にこの術を見出し、「呼び声」を大成させたのだ。


「みんなの声がする」

その言葉を残して、老女は一人、夜空の向こうへと掻き消えた。

童子は、最期に家族の傍へと帰郷した。

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