サンタと名乗るそいつは、テーブルに置かれていたワインボトルを手にとった。飲みきれずに冷蔵庫にしまったはずのワイン。それを勝手に引っ張り出してきたようだ。

 そいつはボトルにそのまま口をつけた。喉を鳴らし、口の端から滴らせ、一息にワインを飲み干してしまう。ボトルを口から放すと、舌を出し、最後の一滴まで残さず飲もうと、ボトルを上下させ何度か振ると、ソファーの上へ投げ捨てた。


「こんなだらしないサンタクロースがいてたまるかよ」


「おいおい、サンタなんてそんな高尚なもんじゃないんだぜ? お前はさっき泥棒がなんだと言っていたが、俺たちはああいう連中ともやりとりしたりするんだぜ。情報を交換したり協定を結んだり、とまぁ色々さ」


「あり得ない」


「夢を見すぎなのさ。まぁ由来は高尚さ。尊い昔話がそもそもの始まりじゃあ、あるんだ。でもな、現代のサンタクロースはそんな大層なもんじゃない。

 こういったことは俺たちに限った話じゃない、世の中すべてそうだろ? 腐ってるのさ。時間が経てば、ものは腐る、当たり前のことだろう? 時代を遡れば遡るほど物事は高尚さ。なんせ神様が俺たちを作ったってんだからな。で、神様の手元から離れりゃ、腐っていくのは道理だろう?」


 そいつの目付きは鋭さを増していく。目付きだけならイカれた若者のそれだ。けおされまいと私は精々強がり、口を開いた。


「それで我が家に何のようだ?」


 そいつは何を言うでもなく私の顔を睨め回すと、大きく鼻で笑い、何もかもお見通しというように目を細めた。そして口許に浮かべる微笑、あるいは慈愛。


「そんなこと、言わずもがなじゃないか? 俺たちの目的は一つさ、その目的を遂げるために俺たちは存在してる。目的自体が存在意義さ」


「そんなの、ただの、目的の亡霊じゃないか」


「へぇ? まぁ、当たらずといえども、といったところだな」


「はっきりしないな」


 そいつは突然、両手を大きく広げ、


「Present for You」


 と歌うように唱えると、誇らしげな表情を浮かべた。快感と充実感に満ちたその顔は、今にも昇天しそうなほどだ。そいつはその顔のまま喋りつづける。


「俺たちの根本はこの英文さ、俺たちはこの英文の亡霊さ、喩え話さ、妖精さ。

 Present for You こんな素敵な言葉が他にあるか? この言葉を呟く度、俺は精神的エクスタシーを感じるよ。

 まず始めに、

 Present for You

 当然、続けて、

 Present for You

 そして最後に、

 Present for You

 まるで詩のようだ。まるで歌のようだ。まるで魔法のようだ。

 この英文には主語がない。プレゼントを貴方に。それは誰から?

 神様か? 聖人か? 善人か? 父親か? 母親か? 俺たちは、主語の欠いた英文の総体だ。だから、俺は俺じゃないんだ。本当は俺は俺じゃないんだ。正しくは俺じゃないんだ、暫定的俺なんだ。だから俺は口伝の中で生きられるし、街角の張りぼてにもなれる、ポスターや絵本の中にも入れるし、お隣のご主人にもなれる、そして俺はお前にもなれるし、お前の父親にもなれる、お前の息子にもなれるし……」


 喋るほどにそいつの表情は崩れていく。だらしなく開きつづける口からは舌がのぞき、荒い息に合わせるように、ぴくぴくと動く。虚ろな目を少し潤ませる様は、今にも黒目がとけて流れ落ちるのではないかと思うほどだ。髭に隠れて見えないが、さぞかし頬を赤らめていることだろう。


「ずいぶん忙しいんだな、サンタってのは」


 私はそいつの話を遮るように言った。するとそいつの顔はたちまち元に戻る。獣の狂暴さと、人間の冷酷さを混ぜ合わせたような顔。一見均衡のとれた顔だ。だがその実は辛うじて保っているのだろう。自尊心の歪みを不快感の歪みで矯正しているんだ。


「ああ、大忙しさ、なんせ一晩だぜ? 閑古鳥なんて鳴くわけもない。だから俺たちは才能のある父親を、俺たちの一味に引き入れるんだ」


「そのために来たのか」


「ん? いや違うよ。お前には無理さ、これっぽっちも才能がない」


「話が分からないな」


「ただ、お前の父親は違った」


「ますます分からない」


「一味だったんだよ」


「嘘だ」


「本当さ、考えても見ろよ。俺たちだけで世界中にプレゼントを配れると思うか? いくら俺たちが概念的な存在だとして限界はある。だから一晩だけ概念を委託するのさ。世の父親たちは、無自覚に心を少しだけ、俺たちに明け渡している。サンタクロースに扮するってのそういうことさ。

 そして、お前の父親のようにスカウトされた父親たちは、自覚的に心を俺たちに明け渡すんだ。そうはいっても、実際にやるのは父親たちだ。操り人形のそれとは違う。ただ、一晩だけ、人間という概念が限りなく希薄になる。限りなくサンタクロースに近くなる。それは俺たちに心を明け渡すからこそできることだ。

 つまり俺たちみたいな存在に心を許せる人間だけが、そうなれる。そうやって、賄い切れない分を父親たちにやってもらうわけさ。お前の父親は俺たちの一味だったんだ」


「くだらない。仮にそうだとして何なんだ? 証拠でも見せてくれるのか?」


「生憎、証拠なんてないが、まあちょっとした小話を聞かせてやる。サンタクロースにも厳しい掟があってな。その掟を破ったらそいつは殺されちまう。別のサンタクロースに殺されちまうんだ」


「で?」


「そう急かすなよ。夜は長いというだろう? まして今は冬なんだ時間はたっぷりある」


「ずいぶん暇なんだな、サンタってのは」


「話聞いてたか?」


「もちろん」


「こりゃ手厳しいね。俺は別に、お前に何かしようってわけじゃないんだぜ? むしろ手を貸してやろうと思っているんだ」


「手を貸してもらう覚えがないな。で、掟がなんだって?」


「つれないねぇ、こんな風に育てた覚えはないんだが?」


「もちろんだ! お前に育てられた覚えなんてない!」


「そうがなり立てるなよ。夜半すぎじゃあまだないが、今日はデリケートな夜なんだぜ?」


「うるさい! べらべらとうるさいんだよ!」


「落ち着けよ。お喋りな奴は嫌いかな? お前の父親を思い起こすかい? あいつも中々のお喋りだったもんな。それが不快なのかな?」


「黙れ。これ以上父親のことを口に出すな。話を聞いてやるからさっさと続きを話せ。掟ってのはなんだ?」


「おぉ、いい顔だ。やっと話を聞く気になったようだな。そう掟ね。お前はなんだと思うかな? ……そう睨むなよ、恥ずかしいだろ? それは姿を見られることだ」


「そんなことで殺されるのか? 他人の家に入るんだろう? それで見付かったら殺されるって……。そんなのいずれ必ず見つかるし、必ず誰かが喋るだろう? そんな割に合わないこと、誰も引き受けないだろ」


「魔法が使えるのさ、サンタってのはな」


「魔法?」


「それに言っただろう?」


「何だよ」


「スカウトしているってな。つまり父親たちの自由意思でのことなのさ。誇り高き有志の者たちにこんなことを言うのはあんまりだが、変わった奴らなんだよ。博愛主義のなれの果て、人は繋がっていると信じてやまず、他人を助けることが自分や家族の幸せになっていくなんて馬鹿げたことを、本気で信じるような手合いだ。お前の父親は普通じゃなかったんだよ」


 確かに父はお人好しではあったかもしれない。しかし、自分の命を掛けてまで何かをするなんて到底信じられない。他の家の子供のために命を掛けていた? あり得ない、馬鹿馬鹿しい。そして、私に姿を見られて死んだ? それだけのことで母は? そんなことのために私は?


「あり得ない、真面目に聞いて損したよ。……お前は悪くないただ俺が馬鹿たったんだ」


「そう自分を卑下するなよ。誰も悪くないさ。俺はこんな言い方しかできないし、お前は臆病者だ。そしてお前の父親の、頭の中の天秤はとびきりだった。

 そんなことあり得ない? 見たことない? 聞いたことない? 魔法なんてない? お前の知らないことは、お前の死角で起こっているのかもしれないぜ? お前が生まれる前に、地球の裏側で、お前が死んだ後で、月の裏側で、お前のすぐ後ろで、瞬きの合間に。

 今まで生きてきて、1つくらいおかしな記憶がないか? 整合性のとれない、気のせいだと忘れ去った、記憶のエラー、故障した思い出に心当たりがないか?

 俺たちは何処へだって入り込める。煙突の中にはもちろん。壁抜けだってできる。煙突がなくてもへっちゃらさ。天井も床下もお構いなし。このソファーの中にだって、そこのポットカバーの中にだって入れる」


「そんなに便利なら誰も見付かりはしないだろう? 何で父は魔法を使わなかったんだ?」


「魔法も万能じゃないんだよ。簡単に掛かるし掛けられる。その代わり、容易く解かれてしまう」


「そんなのないも同じじゃないか」


「そうさ。魔法の力の源は、ないも同じということに尽きる。ないも同じだから脆弱だし、ないも同じだから絶大なんだ。お前じゃなきゃ、お前の父親もへまをしなかっただろうな」


「どういうことだ?」


「お前が魔法を解いたのさ」


「私が? 何故? どうやって?」


「何故、だと思うかな?」


「私のせいだってのか」


「お前は悪くないよ。だが、とどめを刺したのは間違いなくお前なんだよ」


「なんで、解けたんだ」


「それは、秘密さ」


「秘密?」


「ああ、秘密、教えない」


 ゆっくりと頬を持ち上げて、口の前に指を立て、息を吐きながら、静かにのジェスチャー。見てくれだけは何ともサンタクロースらしい。やぁ、メリークリスマス、私と出会ったことは内緒だよ、できるよね、君はいい子なのだから、と。


「じゃあお前はこれから殺されるんだな?」


「何だって?」


「お前が言ったんだろう? 姿を見られると殺されるって。お前は私に見られたわけだから、これから殺されるわけだ」


「……えっとだな」


「つまり、その掟ってのは出任せなんだな」


「もしそうだったならどうするよ? お前が俺を殺してみるか? 首でも絞めてみるか? ……お前はどんな風に首を絞めるんだろうな? 後ろから泣きながらか? それとも正面から笑いながら? 知恵でも絞るように、ああでもないこうでもないと、うんうん唸りながらか?

 せっかくのクリスマスに正論もないもんさ。……笑えてくるね。はっはっは。……いいや、夢を壊さず、ふぉっふぉっふぉ、かな? そう、怖い顔で睨むなよ。冗談さ」


「冗談?」


「お前の親父は自殺だよ」


「今度は自殺か。そんなに俺の父親を、普通に死なせたくないんだな」


 そこでそいつは突然黙り込んだ。私の顔を呆けたように眺めつづけている。


「どうした?」


 私が声を掛けると、そいつは意表を突かれたような表情をしてみせた。


「なんだ? 俺に言ったのか? 独り言でも言ってんのかと思ったぜ。普通に死なせたくないのはお前だろう? 普通は嫌だよな? 普通は怖いよな? お前の父親は普通に死んだんじゃないんだ。ただの、自殺じゃ、なかったんだ。文字通りの自殺じゃない。世を儚んでる内に、思わず魂が抜けちまったのさ、そしてそのまま逝っちまったんだ。魂を戻そうと思えば戻せた。が、戻さなかった。ただ面倒だったんだ。思い残すことは一つもなかったから。面倒だったんだ、生きるのが」


「嘘を吐くな!」


「じゃあ、なんだ。どんな死に方ならお前は満足するんだよ? どんなクリスマスストーリーなら満足するんだ?

 敬虔さが足りないか? 美しさが必要か? それとも教訓の一つも欲しいのか? お前はどうやったら父親の死を受け入れられるんだ?

 てめぇのガキが大人になったらか? てめぇのかみさんがくたばった後か? それとも、てめぇがくたばる、その時か?

 ……悪かった。言いすぎた。謝る。どうにも短気でね。まあ、気持ちは分かるさ」


「何が分かるんだよ。誰にも俺の気持ちなんか……」


「分かるさ、怖いよな」


「怖い? 何が……」


「怖いよな。ただ死んだんだ。お前の父親は。怖いよな。分かるよ。気持ちは。ただ死んだんだ。お前の父親は。怖いよな。分かるよ。気持ちは。殺されたわけじゃない。怖いよな。自殺したわけじゃないんだ。怖いよな。そこに意図なんてなかったんだ。そこに誰かの思いなんてなかったんだ。そこに感情なんてなかったんだ。そこにはなんのストーリーもなかったんだ。ただ死んだんだ。お前の父親は。怖いよな。分かるよ。気持ちは」


「黙れよ」


「分かったよ。だけどな、俺は黙ると死んじまうんだ。いるだろお前の周りにも、死ぬまでずっと喋ってんじゃないかって、そういう手合いが。マグロみたいなもんさ。止まったら死んじまう。俺の言葉が俺を生かしてるんだよ。息継ぎは死ぬときだけで充分。お前の父親もそうだったろ? だけどお前は違うよな? いつまでだって黙っていられる。人の気も知らないで、ずっと独りで黙っていられる、そういう奴さ。お前に、俺の気持ちは分からないね。

 何で自分だけああだこうだ言われなきゃなんねぇんだって思うか?

 お前だって、口を閉じたら殺すと脅されたら嫌でも喋るさ、そうだろう? 俺らみたいなのは自分自身に脅されているのさ。分かるか? 分からねぇだろうなお前には」


「黙るって言いながら、何で黙らないんだよ。べらべらと」


「死ぬのが怖いんだ。分かるだろ。気持ちは」


 そこでそいつは突然表情を変えた。


「そんな顔で見るな」

 、

「やめろ」

 、

「見るな」

 、

「やめろよ」

 、

「やめろ!」

 、

「やめてくれ!」


 何も知らない私に、ものを教えられるのが嬉しくて堪らないとでもいうような憎たらしい顔がそこにある。かえって暗い照明の光の向こうに、あるのが当たり前のように。知らないことは何もない、できないことだって何一つない、そんな余裕に満ちた顔。


「いいからお前は早く寝るんだ。お前にはもう遅い時間だろ」


 子守唄のような声色。不思議な声。今だけはお前の神様だよ、明日は分からないけれど今日はまだそうだよ、というような。


「プレゼントは俺が置いてきてやるから。お前にはまだ早いよ。俺に任せておけ。安心して早く眠るんだ」


 囁く声はまるで布団の中の心地好さ。身体と一緒に意識までも沈んでいくような感覚、まるまるとちょっぴりあったかくて、足を伸ばせばひんやりつめたくて、なにもかもただ優しくて、身体も意識もだんだんととけていく。


 目尻をさげて、口角あげて。ゆっくりと、数回、僅かに、頷きながら浮かべる訳知り顔。だけど目は妙に黒目がちで、白目がほとんどないくらいで、事切れた動物の目のように濁っている。光を拒絶しているとも、欲しているともとれる、白濁した瞳。欲しくて欲しくて、嫌で嫌で、堪らない、それさえ手に入れば、それさえなければ。


「全部忘れて今すぐ目を閉じろ」


 じっとこちらを見る目。

 見る、見る、じっと見る。循環の止まった死んだ目で。焦点は私の顔のずっと後ろで結ばれて、私を貫くように、私の内側を覗き込むように、記憶の奥底をさらうように。そんなに見られたら穴があく。両目から私の中身が出てしまう。


 多分、目を閉じても無駄だ。あいつは、死んで壊れた、見えないはずの目で、見ているんだから。

 目を逸らしても、目を閉じてもお構いなし。見えない目で見て、語りかけてくる、今だけはお前の神様だよ、明日は分からないけれど今日はまだそうだよ。


 見なくちゃいけない。

 私もあいつを見なくちゃいけない。

 それこそ穴があくほどに。未来を見なくちゃいけない。未来を見据えるんだ。過去からこの瞬間まで続く線を、あいつに結ぶんだ。


 過去に向かって開かれた、大きな扇。そこには悪夢が描かれている。昔見た怖いものや、怖いこと。昔は本当に、息が止まるほど、背筋が震えるほど怖かった。でも多分、今見たならそれほどじゃないはず。今でも悪夢が怖いのは、それを見ようとしなかったからだ。

 昔はあんなに怖かったホラーコメディも、今なら笑って見れるはず。可笑しな話だ、今じゃ本格ホラーもへっちゃらなのに。だけどやっぱり子供は、どうしたって怖がりだから。

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