その日の夜遅く、私は父の部屋にいた。

 父の部屋というと語弊がある。父が生前、趣味で集めていたものを置いている部屋だ。

 2階の一番奥の部屋。ヨシヤの部屋の隣の隣のそのまた隣。


 壁四面に棚がずらりと並び、そこにぎっしりと、レコードやら小説やらが詰め込まれている。それに少しの映画のテープ。部屋の中央には蓄音機の載った机と、数点の楽器。

 どう見ても物が多すぎで、床が抜けるのではと心配になる。本をリビングに移動したりと、これでも整理したのだが、やはり煩雑がすぎる。捨ててしまえば話は早い。でもいまだに何も捨てられずにいた。死んだ人の持ち物で、生きている人の場所を圧迫するなんて馬鹿げている。そう思っても捨てられない。


 どうしても父に悪い気がしてしまう。それ以上に、母が悲しみそうな気がして。どちらももう、悲しむことなどできはしないのに。 

 夕食も入浴も済ませ、後は寝るだけ、そんなときによくこの部屋に来る。

 椅子に座り、ぼんやりと音楽を聴く。古いクラシックなんていうと可笑しいが、本当にそうで、クラシックの中でも流行から外れたようなものが多かった。


 父の世代からしても古いものが多い。映画も小説も大昔のもの。懐古趣味。そして何処か、王道から外れたものばかり。父は少し気取ったところがあった。西洋趣味で、流行りものが嫌いで。生まれてくる国を間違えたのではと思う一方、仮に西洋に生まれ落ちたら落ちたで、東洋趣味になりそうな気もした。天の邪鬼で、もったいぶったような話し方で、訳知り顔が似合って。そんな父だった。


 無事にプレゼントを買うことができたのに、何故だか落ち着かない。

 気に入ってくれるかどうか。

 棚から適当に、レコードと小説を抜き出す。レコードを蓄音機にセットし、小説を開く。聞いたことのないクラシックに、知らない作家の小説。

 聞き流しながらの流し読み。眠れない日は大概これで解決する。


 ふと視線を感じる。机の上の写真立てに、父と母の姿。気取った父に、澄ました母。気取りすぎだし、澄ましすぎてる。ちょっぴりだげ滑稽な両親の姿。

 本に視線を戻す。その本は短編集だった。幻想的で、まるで夢をそのまま文字に起こしたようだ。2つほどの短編を読み終え、何げなく後のページをパラパラと捲る。それこそパラパラ漫画のように。だけどそうではないから、アニメーションなんて起こらない。あるとすれば、文字の上下運動だけ。もちろん文字なんて追えるはずがない。にもかかわらず、


 ――私はスティービー・ワンダーです。あなたは?――


 という文字が目に飛び込んできた。

 おかしな文章だ。大昔の小説のはずなのに。どの短編のものだろうと、ページを捲る。文字の大体の場所は分かる。だからすぐに、探し当てられるはずだ。なのに、見付からない。何度も繰り返し、本に目を通す。そんなに厚い本じゃない。まして、その半分の分量なのに。見付からない。見間違い、のはずはない。はっきりと目に映ったはず、間違いない。


 何度も、何度も探す。なのに見付からなくて、むきになり、確認の精度も上がっていく。段々ゆっくりに、顔が本に近くなる。だが見付からない。

 本に集中しているせいか、クラシックの音が気になる。不思議なもので、クラシックに集中しているときは、なんて物足りない音楽だくらいに思っていたのに、他のことに集中した途端、うるさく感じてしまう。

 それでもやはり平坦には変わりがない。が、それに変化が表れる。

 突然の悲劇、というような演奏。あんなに牧歌的だったのが嘘のよう。悲劇は突然やって来る、ということ?


 突然、起こった悲劇は、それに反していつまでも終わらない。

 嵐の夜を模したような演奏。悲しい余韻が後を引き、悲しみは更に増していく。雨雲が集り、やがて雷雲へと変わっていく。

 何百年前の雷鳴が地面へ、何百年前の悲鳴が上空へ。

 上を下への。上よ下よに。響いて、渡る。悲鳴のような雷鳴。雷鳴のような悲鳴。しかしそれらは、何百年前のもので、当時は耳をつんざくようだったろうが、今や独り言ちているとしか思えない。悲しみは時が癒してくれる。消しはしない。ただ薄くなっていく。大きさも形も変わらないのに、中身だけが少しずつ抜けていく。朽ちた石材のようにすかすかに。


 文字を何度も追い、目を酷使したせいか、視界がぼやける。嵐の夜に、書物に取り憑かれていれば、現実と妄想の境が、束の間、ふっと消えることもあるかもしれない。だから、本から顔を上げて、いつの間にか目の前に、大きなトナカイが立っていても、さほど驚きはしなかった。


 堂々と立ち、顔を上げて、立派な角を誇らしげに、私をまっすぐ見据えている。

 隆々とした脚に、樹木の枝のような角、そして真っ黒な瞳。

 その姿にけおされて、息も、身動きもできずにいると、突然トナカイが喋った。


「俺は本当は鹿なんだ。トナカイじゃないんだ。トナカイに憧れてた。サンタと一緒に子供に夢を与えるその姿に。

 トナカイになろうとしたんだ。でもやっぱり俺はどうしたって鹿でしかなくて。

 結局、トナカイにはなれなかった。

 俺の夢は叶わなかった。

 悲しいとか悔しいよりも、何より驚いてるよ。自分の人生のすべてを掛けたのに、芽すら出なかったなんて。

 後悔なんてないけれど、しいていうならあれを食べてみたかったな、鹿せんべい」


 悪いけど話はこれで終わりだ、と最後に付け足し、トナカイは口をつぐんだ。やがてゆっくりと、トナカイの姿がぼやけていった。段々と色が抜けていく。つらつらと不鮮明になっていく。白黒映画のように稀薄になっていく。茶色い黒に、茶色い白。

 姿が稀薄になるに従って、トナカイは弱っていくようだった。毛並みの艶がなくなり、目に力がなくなっていく。現実感が、生命の輝きが消えていく。


 トナカイはよろめき倒れそうになり、足を激しく踏み鳴らし、持ち堪える。よろめく度に地団駄が部屋に響く。断末魔のような響き。もう語ることはないというように、固く口を閉じ、足を鳴らす。床を踏み抜かんばかりに、蹄を床に打ち付ける。


 死に掛けのタップダンス。今やトナカイはそれに生かされている。一つ前の一歩の痛みに、今踏んだ一歩の激しい音に、これから踏む一歩に、生かされている。

 私たちが、以前食べたもの、今吸い込んだ空気、これから鳴る心臓に、生かされているように。


 私たちの生は、辛うじて噛み合っている歯車のようなもの。ふとした拍子に歯車は外れてしまう。まして歯車は回る度、僅かではあっても必ず削れていくのだ。

 歯車はいつ外れても不思議じゃない。

 だから私が瞬きをして、気が付いたらトナカイが床に倒れていたとしても、それは不思議なことでも何でもないのだ。


 地団駄は後を引くこともなく、静寂だけが当然のようにあった。何の音もしない。まるで空回りする歯車のように。風車だってまだ騒がしい。

 吐息も痙攣も何もない。生きた質感はどこへやら、毛はぴったりと体に貼りついて、脚は固まり、目はまるで陶器のようだ。

 いやまったくすまなかった、そんな空耳を聞いた気がした。


 いつの間にかクラシックは止まっていた。何故かそんなことが気に掛かる。目の前で一つの命が消えたのに。ほんの一瞬、蓄音機に目がいく。


 その間に、トナカイは跡形もなく消えていた。目を離したのは本当に一瞬だったのに。まるで床をすり抜けでもしたかのよう。

 夢を叶えられなかったトナカイ。

 私は椅子に凭れ、ぼんやりと天井を眺めた。


 私にトナカイの気持ちは推し測れない。私に、人生を賭してまで叶えたいようなことなんてないからだ。私の境遇を思えば、今の私は幸せすぎるくらい幸せだ。就きたい職に就いて、悩みらしい悩みもなく、何より大切な家族がいて。

 しいていうのなら、このまま家族と何事もなく暮らしていくことが夢だろうか。


 トナカイの夢も、私の夢も、同じ夢には違いない。だとしたら、私の夢が叶わなくとも、それはまったく不思議なことではないんだ。むしろ大いにあり得ることなんだ。

 鹿はトナカイになろうとした。それ以外をすべて捨てて。でも、結局、トナカイにはなれなかった。


 床に目をやる。トナカイの倒れた辺りに、何かが落ちていた。何だろうと、目を凝らす。それはいつもリビングに置かれているトナカイの置物だった。さっきまではなかったはずだ。床の色と似ているから気が付かなかったのだろうか。そもそも、何故こんな所に? ユミコの悪戯だろうか。こんなときにヨシヤではなく、真っ先にユミコを思い浮かべるというのも、どうなのだろうと思った。思う私も、思われるユミコも。

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