3
突然頬に感じる冷たさに、息を呑む。遅れて感じたのは動物の死骸のような軟らかさ。
目を開けると、妻が私の頬に手の平を押し当てていた。死人よりもすっと冷たい手だ。病院の二文字が頭に浮かんだ。
「風邪引くよ」
妻は静かに囁いた。
傍らの置時計に目を向ける。まだ真夜中というほどでもない。
これは、ヨシヤのお伺いの日の夜のことだ。どうやら私は、いつの間にか眠ってしまったようだった。
傍らの蓄音機から小さくクラシックが流れ、テーブルには読み掛けの本が投げ出されていた。
妻は私の頬から手を引くと、傍らの椅子に腰掛けた。椅子の上で三角座りをしている。まるで子供のようだ。それは妻の昔からの癖だった。
「また、クラシック?」
咎めるように妻は言う。
「ああ、悪い?」
「こんなの聴いてるから寝ちゃうのよ」
言って妻は笑顔を浮かべ、おもむろにテーブルに手を伸ばし、何かを手に取った。見るとそれは、おもちゃのバケツほどもある、特大のアイスクリームだった。
これまた大きなスプーンで、固いアイスを力ずくですくい、一口に頬張った。
「ああ……きた……」
一気に頬張りすぎて、頭痛がしたらしく目をぎゅっとつむり、手首を額に押し当てている。
「心配して損した」
私は鼻から長い息を吐いた。
「え、何が……?」
「何でもないよ」
「なら、いいけど」
「いいのか夜中にアイスなんか食べて。さっき夜中にお菓子はだめって言ってなかったか?」
「なんのことやら」
妻はスプーンをくわえながら小首を傾げた。
「舌の根も乾かないうちによく言うよ」
「バニラで潤ってるし」
「はいはい」
「はい、は一回でよろしい。適度に息抜きしなくちゃ」
「いいのか、親がそんなんで?」
「いいのよ、べつに。ヨシヤももう子供じゃないんだから」
「子供じゃない? いや……」
「あー。何ていうのかな……あなたが思うほど、子供じゃないってことよ。夜泣きするわけでなし、首が据われば一人前よ」
「そりゃ、夜泣きはしないだろうけど……」
「子供のいないところでは子供でいたっていいんじゃない? だって子供を相手にするんだから。たまには童心に帰らなくちゃ」
どちらかと言うと妻は、常日頃、童心に帰っているような気がするが。
「でも、そうね……。あなたは少し大人になった方がいいかもね」
「俺が?」
「そう、あなた」
「どこら辺が子供だよ」
「そういう、すぐむきになるところとかね」
「……」
「それはそれでいいけれどね」
妻は慈愛に満ちた表情を浮かべた。私は妻から顔を切り、本を本棚に戻した。本棚には、おびただしい数の小説とクラシックの音源が詰められている。そして古い映画が少し。
「ところで」
私は無理に話題を変えた。
「どうする? クリスマスプレゼント」
「さぁ?」
「さぁって……」
「頼まれたのは私じゃないもの」
「頼まれたのはサンタだろ?」
「だから、あなたでしょ?」
「……」
「無責任かしら?」
悪びれもせずに妻は言う。
「……いや」
妻は脚を抱えて膝の上にあごを乗せ、ニコニコと笑っている。
――優柔不断なあなたに決められるかしら?――
妻の浮かべる表情は、まるでそう言っているかのようだった。
「大丈夫よ。サンタクロースは魔法の外套だもの。子供みたいにボタンを掛け違えたり、裏表反対に着たりしなければ、必ず子供に夢を与えられるんだから」
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