女優のようなハイテーブル
1
夜歩く。
街には浮き足立つような雰囲気が漂っている。
夜だというのに人通りは多く、たくさんの灯りが点滅を繰り返している。
クリスマスが迫っていた。
目につく木々の天辺には、ことごとく星が乗せられている。
カップル、家族連れが目につく。
同性同士で連れ合う若者は、何処となく居心地が悪そうだった。
私はといえば、息子と一緒だった。
繋いだ手は、手袋越しだから、まるで赤の他人のような感触だ。
昨日、急にヨシヤは、夜の街を歩いてみたいと言い出した。
ヨシヤはあまり自己主張のない子供だったから、つい私も妻も、それを許してしまった。夜更かしも、夜遊びもあまりよろしくはないのだけれど。
「根性がすごい」
出し抜けにヨシヤは言った。
見るとヨシヤは、繋ぐ手とは反対の手で何かを指差していた。指の先には、この寒いのに、ミニスカートを履いた少女が立っていた。建物の壁に背中を預けながら、携帯を手に、辺りを見渡している。彼氏と待ち合わせでもしているのかもしれない。
「パパも同感」
「鈍感なの?」
「パパもヨシヤに賛成~ってこと。でもそんなに、ずっと人を指差しちゃだめだぞ。指すならこっそりな?」
「はーい」
寒くないわけはないだろう。しかしお洒落なのも事実だ。
お洒落を最優先にする気持ちは、男の私には分からない。いや、男女なんて関係ないのかもしれない。その気持ちは本人にしか分からない。天秤に何を乗せるか、更に乗せるものの重量さえ、本人の感性次第だ。すべて自由で自己責任。大いなる力にはなんとやらということだ。
「大人って感じだね。大人はすごい」
大人、か。ヨシヤにしてみれば、学生も、老人も、変わらず大人なのだろう。
いつの間にか、少女はいなくなっていた。待ち人が来たのだろうか。
少女が背中を預けていた壁には、ポスターが貼られていた。何かの広告だろう。それに焦点を合わせる。
『こんなのが流行るなんて、どうかしてるわ』
ポスターにはそんな文字が書かれていた。
肝心の商品は、ポスターを照らす照明の光が反射して見えなかった。
どうかしているわ。
女の言葉なんやろか?
関西弁なのかしら?
と、そんなどうでもいいことを考えてしまう。多分、女性の言葉だろう。化粧品か何かの広告なのだろう。
本当にどうでもいいことだ。すぐ忘れて、記憶にも残らない。
「あれはどうだ?」
私もヨシヤと同じように、行き交う人をこっそり指差す。遠くを横切るのは中年の男性で、ジャンパーのファスナーを上まで閉めて、寒そうに首をすぼめて歩いている。
「うーん。子供って感じ」
「じゃあ、あれはどうだ?」
二人組の子供が私たちを追い越し、ダッフルコートを脱ぎ捨てんばかりの勢いで、走り去っていく。
「あれは大人」
ヨシヤの基準はよく分からない。
立ち並ぶ店はどこも賑わっていた。アイスクリーム屋でさえも行列を作っている。
「ママも来ればよかったのに」
ヨシヤは私の手を小刻みに引きながら言った。ヨシヤの声は何処となく楽しげだ。
「ママは夜に弱いから」
妻は夜になると途端に出不精になる。付き合っている時は苦労させられたものだ。デートを、暗いから、と言って断られるのだから。暗くなってから外出する意味はない、と妻は常々言っていた。自称は合理的で通しているけれど、私に言わせれば、ただの出不精で、本能に忠実なだけだ。
「それにママは冷え性だしね」
ヨシヤは私の腕をとり、両手で振り子のように振りはじめた。
「そうなのか? パパ、初めて知ったぞ」
手を振られているので声が震えてしまう。
「ママ、どっちかっていうと冷え性だと思うんだよねぇって言ってたよ」
「ホントかなぁ」
私はヨシヤに視線を向けた。ヨシヤもこちらを見上げて、意味ありげな顔を浮かべている。何か思うところがあるようだ。
「どうした?」
「冬でもアイス食べてるのになあと思って」
ヨシヤは満面の笑みで言った。
確かに、妻は昔からアイスが好物だった。
「最近のアイスは美味しいの?」
「ママが言ってたのか?」
「うん、そう」
「まぁ、そうかもなぁ」
「僕は変わらないと思うけどなぁ」
「まぁ、ヨシヤにしたら、そうかもなぁ」
「えぇー、なんでぇー」
ヨシヤは、不満そうに言いながら身を落とし、私の手を強く引いた。私も負けじと腕に力を込める。さすがにもう昔のように、ヨシヤを片手で持ち上げることはできない。昔に比べたら、背も伸び、体重も増えた。
昔。一体、いつのヨシヤと比べているんだろう? 自分でもよく分からなかった。生まれた直後なのか、一年前なのか、それすら、よく、分からない。
「『昔ながらのカッキンカッキンのアイスも捨てがたいけどね』っても言ってたよ」
ヨシヤは妻の声真似をした。
「似てる、似てる」
「『早く、片付けなさい!』」
「そっくりだ。は、早く、片付けなさい!」
私も負けじと妻の真似をしてみる。
「パパー、全然似てないよぉ」
「そうか? コツとかあるのか?」
「うん。あるよ」
「なんだ?」
「ふふ」
ヨシヤは悪戯っ子の顔をしていた。ふと感じる懐かしさ。ヨシヤの輪郭が何故かぼやける。夜だからだろうか? 街のイルミネーションのせいだろうか? ヨシヤの声がどうしてか、古びて聞こえる。ヨシヤの姿を、遠く感じる。思えばそれは、ヨシヤが生まれた時から、ずっとそうだったような気がする。
何処かしら現実味がなく、常に薄靄が掛かっているようで。
近付くほどに遠退いて、目を凝らすほどにぼやけていく。自明な思いに不確かな心。
分からない、分からない。分かることは分かるし、分からないことは分からない。それは当たり前のこと。
急に右手が抜けた。いや、右手ではなく、右手にはめていた手袋が抜けた。
見るとヨシヤはその場に尻餅を突いていた。私の右手に体重を預けていたものだから、手袋が脱げた拍子に転んでしまったようだ。
「すまん、大丈夫か?」
ヨシヤはけろりとしている。「はい」と言いながら両手を私に突き出す。どうやら起こして、という意味らしい。私は右手を差し出した。ヨシヤは手を掴むという瞬間、思い返したように手を引っ込めた。
「ファイトって言って」
とヨシヤ。
「えっ?」
「いいから、言ってー」
「んっ? ファイト?」
ヨシヤは今度こそ私の手に掴まった。
「イッ! パ~ツ」
これがやりたかったようだ。ヨシヤは起き上がると、私の手袋を拾い上げ、「はめてあげる」と言い出した。自分ではめるからと言ってもヨシヤは聞かない。
仕方がないと右手を差し出すが、簡単にいかない。手押し相撲でもするように、2人でくねくねとバランスを崩し合う。四苦八苦し、ようやく装着することができた。
「……ありがとう。それにしても真似、上手いな」
「でしょ? 予習と復習してるから」
ヨシヤは胸を張った。
「予習と復習? 熱心だなぁ」
「ふふん。そうだ、コツはねぇ」
「そうだ、教えてくれよ」
「えー、どうしよっかなぁー」
ヨシヤはまた悪戯っ子の顔をする。もったいぶるのが最近のヨシヤの流行りである。
「意地悪しないで教えてくれよぉ」
こういうときはこちらも悪戯っ子の顔をすると、何故かすんなり教えてくれる。越後屋とお代官みたいなものだろうか?
「しょうがないなぁ。それはね」
ヨシヤは居住いを正し言った。そして続けて、
「大人になったつもりになるんだよ」
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