女優のようなハイテーブル

 夜歩く。

 街には浮き足立つような雰囲気が漂っている。

 夜だというのに人通りは多く、たくさんの灯りが点滅を繰り返している。


 クリスマスが迫っていた。

 目につく木々の天辺には、ことごとく星が乗せられている。

 カップル、家族連れが目につく。

 同性同士で連れ合う若者は、何処となく居心地が悪そうだった。


 私はといえば、息子と一緒だった。

 繋いだ手は、手袋越しだから、まるで赤の他人のような感触だ。

 昨日、急にヨシヤは、夜の街を歩いてみたいと言い出した。

 ヨシヤはあまり自己主張のない子供だったから、つい私も妻も、それを許してしまった。夜更かしも、夜遊びもあまりよろしくはないのだけれど。


「根性がすごい」


 出し抜けにヨシヤは言った。

 見るとヨシヤは、繋ぐ手とは反対の手で何かを指差していた。指の先には、この寒いのに、ミニスカートを履いた少女が立っていた。建物の壁に背中を預けながら、携帯を手に、辺りを見渡している。彼氏と待ち合わせでもしているのかもしれない。


「パパも同感」


「鈍感なの?」


「パパもヨシヤに賛成~ってこと。でもそんなに、ずっと人を指差しちゃだめだぞ。指すならこっそりな?」


「はーい」


 寒くないわけはないだろう。しかしお洒落なのも事実だ。

 お洒落を最優先にする気持ちは、男の私には分からない。いや、男女なんて関係ないのかもしれない。その気持ちは本人にしか分からない。天秤に何を乗せるか、更に乗せるものの重量さえ、本人の感性次第だ。すべて自由で自己責任。大いなる力にはなんとやらということだ。


「大人って感じだね。大人はすごい」


 大人、か。ヨシヤにしてみれば、学生も、老人も、変わらず大人なのだろう。

 いつの間にか、少女はいなくなっていた。待ち人が来たのだろうか。

 少女が背中を預けていた壁には、ポスターが貼られていた。何かの広告だろう。それに焦点を合わせる。


『こんなのが流行るなんて、どうかしてるわ』


 ポスターにはそんな文字が書かれていた。

 肝心の商品は、ポスターを照らす照明の光が反射して見えなかった。

 どうかしているわ。

 女の言葉なんやろか?

 関西弁なのかしら?

 と、そんなどうでもいいことを考えてしまう。多分、女性の言葉だろう。化粧品か何かの広告なのだろう。

 本当にどうでもいいことだ。すぐ忘れて、記憶にも残らない。


「あれはどうだ?」


 私もヨシヤと同じように、行き交う人をこっそり指差す。遠くを横切るのは中年の男性で、ジャンパーのファスナーを上まで閉めて、寒そうに首をすぼめて歩いている。


「うーん。子供って感じ」


「じゃあ、あれはどうだ?」


 二人組の子供が私たちを追い越し、ダッフルコートを脱ぎ捨てんばかりの勢いで、走り去っていく。


「あれは大人」


 ヨシヤの基準はよく分からない。

 立ち並ぶ店はどこも賑わっていた。アイスクリーム屋でさえも行列を作っている。 


「ママも来ればよかったのに」


 ヨシヤは私の手を小刻みに引きながら言った。ヨシヤの声は何処となく楽しげだ。


「ママは夜に弱いから」


 妻は夜になると途端に出不精になる。付き合っている時は苦労させられたものだ。デートを、暗いから、と言って断られるのだから。暗くなってから外出する意味はない、と妻は常々言っていた。自称は合理的で通しているけれど、私に言わせれば、ただの出不精で、本能に忠実なだけだ。


「それにママは冷え性だしね」


 ヨシヤは私の腕をとり、両手で振り子のように振りはじめた。


「そうなのか? パパ、初めて知ったぞ」


 手を振られているので声が震えてしまう。


「ママ、どっちかっていうと冷え性だと思うんだよねぇって言ってたよ」 


「ホントかなぁ」


 私はヨシヤに視線を向けた。ヨシヤもこちらを見上げて、意味ありげな顔を浮かべている。何か思うところがあるようだ。


「どうした?」


「冬でもアイス食べてるのになあと思って」


 ヨシヤは満面の笑みで言った。

 確かに、妻は昔からアイスが好物だった。


「最近のアイスは美味しいの?」


「ママが言ってたのか?」


「うん、そう」


「まぁ、そうかもなぁ」


「僕は変わらないと思うけどなぁ」


「まぁ、ヨシヤにしたら、そうかもなぁ」


「えぇー、なんでぇー」


 ヨシヤは、不満そうに言いながら身を落とし、私の手を強く引いた。私も負けじと腕に力を込める。さすがにもう昔のように、ヨシヤを片手で持ち上げることはできない。昔に比べたら、背も伸び、体重も増えた。

 昔。一体、いつのヨシヤと比べているんだろう? 自分でもよく分からなかった。生まれた直後なのか、一年前なのか、それすら、よく、分からない。


「『昔ながらのカッキンカッキンのアイスも捨てがたいけどね』っても言ってたよ」


 ヨシヤは妻の声真似をした。


「似てる、似てる」


「『早く、片付けなさい!』」


「そっくりだ。は、早く、片付けなさい!」


 私も負けじと妻の真似をしてみる。


「パパー、全然似てないよぉ」


「そうか? コツとかあるのか?」


「うん。あるよ」


「なんだ?」


「ふふ」


 ヨシヤは悪戯っ子の顔をしていた。ふと感じる懐かしさ。ヨシヤの輪郭が何故かぼやける。夜だからだろうか? 街のイルミネーションのせいだろうか? ヨシヤの声がどうしてか、古びて聞こえる。ヨシヤの姿を、遠く感じる。思えばそれは、ヨシヤが生まれた時から、ずっとそうだったような気がする。


 何処かしら現実味がなく、常に薄靄が掛かっているようで。

 近付くほどに遠退いて、目を凝らすほどにぼやけていく。自明な思いに不確かな心。

 分からない、分からない。分かることは分かるし、分からないことは分からない。それは当たり前のこと。


 急に右手が抜けた。いや、右手ではなく、右手にはめていた手袋が抜けた。

 見るとヨシヤはその場に尻餅を突いていた。私の右手に体重を預けていたものだから、手袋が脱げた拍子に転んでしまったようだ。


「すまん、大丈夫か?」


 ヨシヤはけろりとしている。「はい」と言いながら両手を私に突き出す。どうやら起こして、という意味らしい。私は右手を差し出した。ヨシヤは手を掴むという瞬間、思い返したように手を引っ込めた。


「ファイトって言って」


 とヨシヤ。


「えっ?」


「いいから、言ってー」


「んっ? ファイト?」


 ヨシヤは今度こそ私の手に掴まった。


「イッ! パ~ツ」


 これがやりたかったようだ。ヨシヤは起き上がると、私の手袋を拾い上げ、「はめてあげる」と言い出した。自分ではめるからと言ってもヨシヤは聞かない。

 仕方がないと右手を差し出すが、簡単にいかない。手押し相撲でもするように、2人でくねくねとバランスを崩し合う。四苦八苦し、ようやく装着することができた。


「……ありがとう。それにしても真似、上手いな」


「でしょ? 予習と復習してるから」


 ヨシヤは胸を張った。


「予習と復習? 熱心だなぁ」


「ふふん。そうだ、コツはねぇ」


「そうだ、教えてくれよ」


「えー、どうしよっかなぁー」


 ヨシヤはまた悪戯っ子の顔をする。もったいぶるのが最近のヨシヤの流行りである。


「意地悪しないで教えてくれよぉ」


 こういうときはこちらも悪戯っ子の顔をすると、何故かすんなり教えてくれる。越後屋とお代官みたいなものだろうか? 


「しょうがないなぁ。それはね」


 ヨシヤは居住いを正し言った。そして続けて、


「大人になったつもりになるんだよ」

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