いざ出発!

 とうとうきた、出発の日の早朝。


 カギが事前に買っておいた旅装束に身を包んだブランシェは、給料と共に別れの挨拶をされた途端、今までの仕事や生活の辛さ、ロラの叱咤激励を思い出して泣いてしまった。それで貰い泣きしたロラに見送られながらカギと共に宿を出た。


 それから10分後……。


「ね……もうそろそろ泣くの止めて、給料袋もしまって欲しいんですけど……」


 困り顔で、カギがお願いする。けれどブランシェは「出来ません」と答えた。


「ロラが、わたくし達の事を考えて出して下さったお金です! わたくしは、ロラのお陰で労働の意味や大切さを知りました。それに人の温かさという物も……。ならばこそ、この初めて頂いた給料の重みを、心に刻んでおきたいのです」

「…………あー……なら、泥棒に取られないようにお願いします……」

「分かりましたわ! 絶対に守ってみせます!」

「……………………じゃ、よろしくー……」


 そう適当に話を終わらせたカギは、だけれど泣きながらもキョロキョロしている質問された。


「ねぇカギ、どうして店のほとんどが閉まっているのですか?」

「まだ朝早いからですよ」

「ですがこの時間、宿屋は開いていましたよね?」

「それはもうすぐ城門が開くから。僕達みたいに開門と同時に出る人達の為に朝早くからやってるってだけです」

「なら何故わたくし達は、開門と同時に出るのですか?」

「それは後々分かります。それより……本当に良いんですか? オグル遺跡までは最短でも半年、つまり往復で1年以上掛かりますよ?」


 カギの『今なら帰れる』という含みに、ブランシェは城を見る。


 少しだけ躊躇する足。


 けれどブランシェはカギに向き直り、自身に言い聞かせる様にゆっくりと答えた。


「……確かに城での生活は安定していました。祈り、勉強し、時々聖女として孤児院等に行く毎日に、不満はあっても穏やかでいられました。ですから帰りたい気持ちはあります。ですが城に居ても何もさせて貰えなかったのも事実。…………使命の日まで居るだけの聖女として扱われるのなら、多少困難でも、誰かを助けられる聖女になってみせます。その為の旅です。ですから改めて……宜しくお願いします」


 それで深くお辞儀をするブランシェに、カギは軽く言う。


「そこまで重くならなくても、自分がしたいようにする、で良いんじゃないですか? まだ先は長いんだし、気楽に生きましょうよ」

「そう……ですね。ならカギも、敬語は無しでお願いします」

「良いんですか?」

「はい。だってわたくし達、兄妹なのでしょう?」

「嘘だけどね」

「ええ。ですがそのお陰で、わたくしは望んでいた物が手に入れられたのです。……嘘は悪。ですがお父様を説得出来なかった以上、罪を犯すしか無かったのも事実です。ですからこの旅が終わるまで、贖罪は後回しにすると誓いました」

「真面目だね」

「駄目ですか?」

「全然。……てか聞きたいんだけど、さっきの“望んでいたもの”って何?」


 カギに聞かれたブランシェは、とても楽しそうな顔して答えた。


「誰もが、わたくしを特別な目で見ない世界です」


 そして城門が開かれて、ブランシェは眩しいくらいの朝日と共に、最初の一歩を踏み出した。


        ★


 しかし1時間後…………


「あの……まだ歩くのですか?」


 城門を出て、林に隠していた宝石袋を戻しつつ意気揚々と歩いていたブランシェではあったものの、体力の無い分だけ、すぐにヘタってしまった。


 カギが笑って答える。


「まだ……というより“夕方まで歩く”が正解」

「夕方まで…………」

「ま、巡礼で儲けてる国だから巡礼宿の建ってる間隔も短いし、それに無事着く為に朝早く出たんだから、あんまり必死にならなくても野宿になる事は無いよ」


 のほほんと水筒を差し出すカギに、だけれどブランシェは溜め息をつく。


「まだまだ歩くなんて……旅とはこんなに大変なものなのですね」

「そうだね」

「馬車は使わないのですか?」

「馬車なんて、商人が使う荷馬車か金持ち以外は使わない。大半の人間が歩きだよ。……ほら、向こうの人達も皆歩いてるでしょ?」


 言われて城門の方を見ると、確かに皆歩いている。しかもその中には、老年の夫婦の様な男女すら居た。


「凄いわ……。あんなにお年を召されても、まだこの様な旅が出来るのですね」

「慣れてれるんだろうね。それにへーリオスだからこそ、かな?」


 その言葉に疑問しか湧かないブランシェが目を瞬かせると、カギが答えた。


「壁の外は、普通護衛無しでは歩けなんだ」

「そうなのですか?」

「うん。産業が少なくて観光色が強いへーリオスは、ここの巡礼街道に限ってだけど、兵士が巡回して魔獣や犯罪から守ってる。けど他の国の多くは壁の中だけの治安で手一杯だったり、外側の治安に金を掛ける必要性を見いだせないから放っておいてる事が多いんだ」


 それでブランシェは、似たような事を勉強していた事を思い出した。けれどその知識が、現実に伴っていないらしい。


 同じ知識があるのに、なぜこうも違うのか?


 若干の嫉妬心から、思わず聞く。


「ねぇカギ……そういった事は、一体どこで身に付けたのですか?」

「世界中で商売してれば、嫌でも身に付くよ」

「商売? ……旅芸人では無かったのですか?」

「芸だけじゃ食べていけない時も多いからね。人数もそれなりに居たからデカい荷馬車が3つあって、だから荷馬車の隙間使って貿易紛いの事もしてたし、護衛なんかもよくやってたんだ」

「そうですか……」


(つまり、わたくしのは机上での知識。カギは実体験という事ですね。……わたくしが政治に参加出来なかった理由は、そういった物もあったのかしら?)


 しかしだとすると、外に出して貰えなかったブランシェは一生政治に参加出来ないと言っている様なもので……だからより、父親たる国王に不信感をもってしまった。


 そんな憮然としたブランシェの横で、カギが立ち上がる。


「さて……またノンビリ歩こうか?」

「あ、はい!」


 ブランシェは慌てて国王への気持ちに蓋をし、しかし目の前にある途方も無い様な道のりを見て少しゲンナリしながらも、また歩き始めた。


          ★


 そうして夕方。


「この辺りで、今日はおしまいかな?」


 宿屋で働いていた時の様な全身の疲労感と、足が棒の様になった様な痛みにフラフラしていたブランシェは、カギの一言に内心小躍りしながら宿屋に入った。


 受付に居た店主らしき壮年の男が破顔しながら出迎える。


「いらっしゃい。いやー……良かったね。もう満員の札を掛けようと思ってた所なんだ」

「うわ危なっ! まだ混んでるの?」

「そりゃあ聖女様の生誕の月だからな!」

「聖女様々だね」

「全くだ!」


 当の聖女の前でガハハと笑う2人に、複雑な気持ちになるブランシェ。


(わたくしの誕生日の祝って下さる人が沢山いるのは嬉しいですが……もう城に居ないのにトエロに向かわせて心苦しい気もしますし、この店主に悪気は無いのでしょうけど、なんだかダシにされている様でモヤモヤしますわ……)


「……ロ! シロ!」


 内心ブツブツ言っていたブランシェは、カギに声を掛けられて我に返った。


「は、はい! なんでしょう?」

「巡礼手帳!」

「はい?」

「トエロ出る前に渡したでしょ? 出さないと此処で寝られないよ」


 そう言われて慌てて探すと、確かに『巡礼の時に必要だからね』と言われていた手帳が出てきた。


(あの手帳って、教会で使うだけでは無かったのですね……)


 店主に出すと、店主は手帳を開く。そして少し驚いた顔をした。


「おや、アンタ達はこれからなのか」

「そ。特に彼女はトエロから出る事自体初めてだよ」

「そうかそうか! 良いねぇ初めて! 少し怖いけどワクワクするよね、知らない世界。俺も真っ白な手帳に最初にスタンプ押すの、何年もやってるのに未だに緊張するし、だけどこの人がどんな物を見て何を感じるのかとか考えると楽しくなるんだ」


 そう楽しそうに言われながら手帳のスタンプを見ると……そこには宿の外観と名前が描いてあるスタンプが押印され、手書きで日付けと一言書いてあった。


『ようこそ壁の外の世界へ。』


 店主が言う。


「巡礼と冒険は違うと言う人もいるけどね、俺は初めて壁の外に出た人は同じだと思ってるんだ。皆怖くて、だけど勇気を持って一歩出た勇敢な人間だ。巡礼は神に祈りを捧げに行くものだけど……それだけじゃなくて、途中途中で色々な物を見て、聞いて……思いっきり楽しい旅をしてくれよ」


 その言葉は、使命ばかり考えていたブランシェにとって、とても心に染みる一言だった。


 だから嬉しくなって答えた。


「はい! 楽しみます!」


 しかし…………


「此処で寝るのですか……?」


 大部屋に宿泊者全員が雑魚寝するという状況に、ブランシェは泣きそうになりながら旅の初日を終えたのだった。

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