おかしいですわ…

(おかしいですわ! 本来なら既に旅に出て良い筈ですのに……何故わたくしは皿洗いしているのでしょう?)


「ほらシロちゃん! そんなにモタモタしてると日が暮れちまうよ!」

「は、はいっ!!」


 城を出てから1週間……ブランシェは半泣き状態で宿屋の手伝いをさせられていた。


 何故半泣きかと言うと、ブランシェは今まで家事をした事が無いから。


 雑巾の絞り方も皿洗いも包丁の握り方も洗濯の方法も分からない状態から始まったから、今でも上手く出来なくて一日中怒られている。おまけに体力も無い。だから神に祈りたくても、身体的・精神的に疲れ過ぎてて出来ていない。


 また食事も、どんな食事でもフォークやナイフを使う事を躾けられていたブランシェにとって、手で掴んでかぶりつく行為は下品に思えたし、騒がしい居酒屋の雰囲気は肌に合わなかったし、さらに睡眠も見知らぬ場所でカギと居るのは安心ではあるけれども、自分以外の誰か、しかも異性と同じ狭い部屋で寝たり、服も宿屋の娘が前に着ていたという古着を借りるしかなく、新品が普通だったブランシェにとっては若干嫌な気持ちになるもので…………


 つまりブランシェは、肉体的にも精神的にも限界にきていた。


(わたくしは何の為に城を出たのでしょう……? 悪魔が出たというのに神に祈れず、こんな所でひたすら家事ばかり。……もしかして、ずっとこのまま働かされてしまうのでしょうか? そうしたらどうしましょう? 城が目の前にあるのに。帰れるのに!)


「ほらシロちゃん! 手が止まってる!」

「は、はいっ!」


 そんな中、別の手伝いをやらされていたカギが帰ってきた。


「ただいまオバちゃん。はい、これ言われてたヤツ」

「おや、ありがとうよ。……おや? 思ったよりお金が残ってるけど、どういう事だい?」

「八百屋さんがサービスしてくれた」

「へー……あの爺さんがねぇ……」

「おい坊主!」

「なに、おっちゃん!」

「薪割りしてくれや!」

「いいよ!」


(カギは何でもこなして凄いわ。逆に、わたくしときたら怒られてばかり……。まぁ……確かにわたくしとカギでは生まれも何もかも違いますし、比べてはいけないのでしょうけれど…………でもなら、わたくしはやはり使命の為だけに生きているべきなのかしら……?)


 どんどん気落ちしていくブランシェは、気が付けば後悔ばかり感じる様になってしまった。


 そんな状態での休憩時間。ブランシェは、ただ木にもたれ掛かってボーッと空を見ていた。


「はいこれ」


 後ろで声がして振り向くと、カギが小さな袋を渡してきた。


 中には砂糖菓子。


「疲れた時には甘い物が一番ってね」


 言いながらカギが袋から菓子を2個取り出し、1個はブランシェの手に、もう1個は自分の口に入れる。


 それでブランシェも口に入れると、ふわりと広がる優しい甘みが広がって……けれど消えてしまった。


「……帰りたい?」


 それは、心に広がる甘い誘惑。


 それで帰りたいと言いたくなるものの、大勢の前で父親に宣誓した手前帰り難く、だから答えられない。


 しかしそんなブランシェを理解しているのか、カギがさらに言ってくる。


「帰るなんて簡単だよ。ただその腕輪を僕に返せば良いだけ。戻った後はひたすら謝るとか、本当は僕に脅されてたとか言えば終わり。どうせ、皆シロを蔑ろには出来ないんだ……少し居心地悪い生活ってだけで済むよ」

「ですが…………」

「皆を勇気づける為の巡礼の旅だっけ? でも別にシロが頑張らなくても良いんじゃない? 居るだけで有り難いんでしょ? それに善悪なんて、国や時代が変われば変わるものなんだから、いちいち悩む必要なんて無いんだよ」


 ブランシェは泣きたくなった。


 “居るだけで有り難い”が“そこに居る以外何もするな”と言われた気がしたから。


 不吉な聖女と言われた事を、政治に参加させようとしない父親の事を思い出したから。


 しかしだからといって城の生活が苦痛だったかと聞かれれば、此処よりはマシだと感じてしまうブランシェ。


 だから俯いて答えた。


「…………少しだけ……考えさせて下さい」


        ★


 その夕方、悩みながら皿洗いをしているブランシェの耳に、奥の方でガタガタガタッ!と階段から何かが落ちた音が聞こえた。


 それで気になって見ると、ロラが階段下で蹲り腰を押さえている。


「大丈夫ですか!?」


 何人もが見守る中で駆け寄ると、ロラは「足を踏み外すしちまってね……」と苦笑い。しかし周りの「立てるか?」の質問には痛がって出来ないでいた。


 だから慌ててブランシェがロラに言う。


「あの! 少しだけ待ってください!」


 ブランシェはロラの背後に座り、患部付近に手を近付けて目を閉じた。


「神よ、どうか御導き下さい。……ムラージャ ザハル バシャラ アジャム アダラ ダッム」


 するとブランシェの手から光が出て……そして消えた。ロラが驚いた顔で立ち上がると、周囲がどよめく。


「あれまぁ……腰の痛みが消えちまった。もしかしてシロちゃん、あんた魔法医だったのかい!?」

「あ、いえ……」

「違うのかい? ……いやでも、凄いもんだね。あたしゃ魔法医なんて高過ぎて掛かった事無いけどさ、こんなに凄いもんだったとは思わなかったよ!」


 すると周囲の一人が反論する。


「いやいや、その子が凄いだけだよ! 昔さ、物は試しってんで、一度骨折で受けてみたんだけどよ、手術が無いってだけで入院期間は手術と変わりゃしねぇ。俺はあの時程、金が勿体ねぇと思った事なかったね!」

「そうなのかい?」

「ああ! しっかし……神の祝福も無くて、あんた一体どうやって、その回復魔法会得したんだい?」


 腕輪の力で“神の祝福”と言われる白銀の髪と目を隠しているブランシェは、どう答えたら良いのか分からなくなり言い淀む。


 するとカギが割って入ってきた。


「どうしたの?」

「そこの娘が魔法医だったんだよ!」

「こうパアッ!て感じて手のひらが光ったと思ったらさ、一瞬で立てなかった女将さんが立っちまったんだ!」


 すると一瞬嫌そうな顔になるカギ。


 そこにロラが怒り口調で言う。


「カギくん、なんで言ってくれなかったんだい? こんなに凄い力があるなら、わざわざ不慣れな仕事を選ばなくても良かっただろうに……」


 するとカギが悲しそうな顔で話した。


「ごめんねロラ。あんまり言いたくなかったんだ。ほら、シロって目も髪も普通でしょ? なのに回復魔法が使えるなんてって故郷で不思議がられちゃってさ……それで色々あって……」

「……そうだったのかい」

「うん。だから僕、シロには普通の子になって欲しいんだ。もうこれ以上、何でも背負っちゃうシロが苦しまない様に…………。だからロラも皆さんも、出来れば今のは見なかった事にしてくれると助かるな」


 すると周りがバツが悪そうに少しざわついて……そしてカギやブランシェに「頑張れよ」等の言葉を掛けつつ居なくなる。


 そしてブランシェ達も、カギの「仕事に戻ろう」の一言で話が終わりになるかの様に思えた……筈だった。


        ★


「お疲れ様。わざわざ呼んで済まないね」

「…………いいえ」


 仕事が終わった直後、ロラに呼び出された。


 しかし嘘で塗り固められている今のブランシェにとって、ロラと話すのは苦痛でしかない。


(もしかして、わたくしの素性がバレたのかしら? それとも回復魔法を使った事を教会に話したのかしら? ……どうしましょう? ……いいえ、本当は悔い改めるべき。でもこうでもしなければ外には出られなかった。ですが…………)


 そう、罪悪感と今から何されるのか分からない恐怖で固まっていると、ロラが切り出してきた。


「シロちゃん、アンタ本当は貴族だったんだろ?」

「ふぇっ!? え、その……あの…………」


 嘘を指摘される予想はしていたものの、カギの様に嘘を付いて躱す事が出来ないブランシェ。


 そんな焦って目が泳ぎまくる彼女に、ロラが笑う。


「大丈夫! 単に興味本位で聞いただけで、別に軍に付き出すつもりは無いから」

「…………本当に?」

「本当さ。もしそうなら、労働初日に付き出してたよ」

「そう……なのですか?」

「ああ。なにせ家事のかの字も知らないし、言葉遣いも立ち振る舞いも物凄く丁寧だし、おまけに魔法ときたもんだ。そんな人間、貴族か金持ちくらいしか思い浮かばないさ」


 それでブランシェは、自分が周りを異質に見ているのと同時に、周りからも自分が異質に見えているのを理解した。


 ロラが続ける。


「…………仕事、辛いかい?」

「……………………」


 辛いけれども、“良い子”ブランシェは本音を言えない。


 すると、ロラは苦笑いした。


「いや、辛いと思うんだよ。なにせウチは『こんなに重労働だと思わなかった』とか言って辞めちまう奴等も多い仕事だからね。貴族だったのなら尚更さ。だから考えてみて欲しいんだ。シロちゃん……あんたこのままトエロに留まって、病院で働く気はないかい?」

「病院……ですか?」


 聞き返すブランシェに、ロラは大きく頷いた。


「ああ。この世の中、回復魔法が使える人間なんてひと握りなのに、それを使わないなんて勿体無いよ。……いや、シロちゃん達が昔をされたのかは知らないけどさ……こんな細腕で旅やら下女の仕事やらするより、ここに留まって魔法医になった方が断然良い!」

「魔法医…………」


 ブランシェは自分の手を見た。


 考えた事が無かった、魔法医という選択。それは聖女としての使命だけが己の存在意義だと考えていたブランシェにとって、新しい道だった。


 ロラがブランシェの手を取る。


「シロちゃん……確かにカギ君の言う“普通”も良いと思うけどさ、あんたの力は神様からの贈り物だ。無駄にしちゃあいけない。……大丈夫。お得意さんの中に王宮医師が居るからね。その人に話をすれば、きっと力になってくれるよ」


 真剣なロラの目。けれどブランシェには分からなかった。


 何故なら今のブランシェは聖女じゃない。それに仕事も出来なければ、一日中叱られてばかり。


 それでギュスターヴ枢機卿達の自分勝手な行為を思い出す。


(もしかして、ロラも何か含む所があるのかしら?)


 しかしカギもそうだけれど、疑い出すとキリがない。だからブランシェは、思い切って聞いてみることにした。


「あの! ……何故わたくしに、そこまでして下さるのですか?」 


 するとロラは少し苦笑いしながら答えた。


「なんていうかねぇ……娘の服着てるシロちゃん見ると、なんだか娘を思い出すんだよ」

「娘さん……ですか?」

「ああ。と言ってもシロちゃんみたく真面目じゃなくて、いつも反抗ばかりでね……『自分は絶対宿屋なんて継ぐもんか』って出て行って、隣のリガーロ国で教師やってるよ」


 ロラは少し遠くを寂しそうに見て、そしてブランシェに向き直った。


「あたしは良かれと思って仕事させてたけどね、あの子はシロちゃんみたく不器用で……人には向き、不向きがあるって事なんだろうね。ずいぶん辛い思いをさせちまった。それで思ったのさ。好きな事、それか得意な事をさせた方が本人の為なんだって」

「好きな事……」

「ああ。人間、楽しんだ方の勝ちさ。だから魔法医の事、少し考えておいておくれ。もしカギ君の反対が不安なら、あたしも説得するから」


 ブランシェの手を握るザラついた手は柔らかくは無かったけれど、とても温かかった。


 だから数日後、真剣に考えた末に、ブランシェはロラに答えた。


 旅をする事を。


          ★


 その日の真夜中。


 寝静まった街中の屋根の上で、色鮮やかな鳥がカギに怒っていた。


「……で? アンタの言う『途中で根を上げて城に戻って、自分は遺跡調査証と宝石がっぽりウハウハ計画』とやらはドコ行ったの?」

「いやまぁ…………ちょっと失敗、だったかな?」

「かな?じゃ無いでしょ! どう見ても失敗してるじゃない! どうするのよ? 計画滅茶苦茶で、ドアが怒り心頭よ?」


 詰め寄る鳥に、「仕方ないじゃん」と溜め息混じりにカギ。


「まさか木の上で過ごすのも割と重労働するのも耐えるとは思ってなかったんだもん」

「もん、じゃないわよ! このお馬鹿!」

「煩いなぁ。計画なんて練り直せば良い事でしょ? まだあと2年あるんだし。それに宝石だって袋2つ分しか貰えなかったんだよ。なんか悔しいじゃん!」

「指名手配されといて続ける方がどうかしてるわよ!」

「なんで? どうせ指名手配なんて、聖女誕生祭で人がごった返してる様な時には意味が無いんだから良いじゃん。現に軍に職務質問されたけど、新しい身分証見せたらすぐに終わったよ」

「…………無能ねぇ」

「そりゃ極秘で動いてるっぽいから捜索隊の人数も少ないし、その大半が王女はもう首都に居ないと踏んでるからでしょ。恐らくは国境を重点的に固めている筈。……まぁ僕一人なら簡単だけど、お姫様連れだと難関だから悩み所だけどさ」


 そう言いながらも楽しそうなカギに、溜め息を付く鳥。


「あぁもぅ……なんでこう、わざわざリスク高い方に行きたがるの?」


 鳥が嘆くと、カギが笑って答えた。


「だってさ、神の代理人の聖女が悪魔の僕の言葉に従ってるんだよ? これが滑稽と言わずになんて言うのさ」

「そりゃまぁ……そうなんだけど…………」

「そうでしょ? それにもしこのまま上手く誘導出来て、聖女が神を殺したら? きっと楽しい事が起こると思わない?」


 本当に楽しそうに話すカギに、鳥が再度溜め息を付く。


 けれどカギは続けた。


「だから“上手くいけば”だけど、オグルにお姫様を連れて行くって……そう皆に伝えて。あ、勿論……親愛なるクソ魔王サマにもね」


 鳥は呆れた様に「了解」と言って、闇に消えた。

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