2024バレンタイン短編 大切なあなたに贈る
「そういえば、もうすぐバレンタインか……」
二月上旬のある日、朝食の準備をしている最中に、アルティリアはふと呟いた。彼女が暮らすグランディーノの街は、地球でいうところの東南アジアに近い温暖な気候で、日本と違って冬でも暖房が不要だ。その為、日本に比べると季節感に欠ける。そのせいか気付くのが遅れたが、もうすぐ二月の中旬、すなわちバレンタインデーが来週に迫っていた。
「母上、ばれんてぃんとは何だ」
隣で料理を手伝っていた獣人族の少年、アレックスがその独り言を聞いて、耳慣れない単語について訊ねた。
「バレンタイン、な。来週の二月十四日は、バレンタインデーという日でな。好きな人にプレゼントを贈って、気持ちを伝える日なんだ。この国には恐らくそういった風習は無いようだが、私が元々いたルグニカ大陸では、毎年大がかりなイベントが開かれていたぞ」
ちなみにバレンティンは、シーズン本塁打の日本記録を持つ元ヤクルトスワローズの外国人選手だ。
「プレゼント。何を贈るのかは決まってるのか?」
「そうだな。バレンタインデーに贈るものといえば、チョコレートが定番だ。買った物をそのまま贈ってもいいし、手作りのチョコレート菓子を作ってもいい」
「なるほど」
折角思い出した事だし、アレックスとニーナの為にチョコレートケーキでも作ろうか。それから、信者達に配る為のチョコも用意しなくては。そう考えていたアルティリアだったが……
「チョコレートが品切れ……だと? カカオ豆もか?」
その日の昼過ぎ、交易所に顔を出したアルティリアが目にしたのは、チョコレートやその原材料が売り切れている光景であった。
「店主よ、カカオ豆の在庫はもう無いのか?」
「これはアルティリア様! ええ、バレンタインデーのチョコレートを作る為と、朝から住民達が大挙して買いに来ましてな」
「そ、そうか。繁盛しているようで何よりだ」
そう相槌を打ちながら、アルティリアは内心、困惑していた。
(どういう事だ? 昨日までは誰一人、バレンタインデーの事など口にしておらず、そんな空気も無かった筈だ。それが何故、今日になって急に? いや待て、まさか……)
アルティリアの脳内に浮かんだ考えを肯定するように、彼女が使役する水精霊の一体が近くに寄ってきて、こう伝えた。
「どうやらアレックス様から街の子供達に伝わり、更にその親達へと伝わった結果、あっという間に住民達の間に広まり、午前中の内にチョコレートとその原材料が飛ぶように売れまくった結果、ご覧の有り様のようです」
彼女が指差す方向を見れば、本来は山になっている筈の牛乳や砂糖などが陳列されている棚も、だいぶ寂しい事になっている。
「ハッ!? まさかアルティリア様もお買い求めに!? 申し訳ございません! アルティリア様がご購入される分を残しておかなかったとは一生の不覚! かくなる上は腹を切ってお詫びを……」
「やめんか馬鹿者! お前は何も悪くない、出遅れた私が悪いのだ。だが問題ない、他を当たってみるさ」
そうしてアルティリアは、街中の商店を回ってチョコレートやその原材料を探したのだが……
「くそっ、やはり全て品切れか……」
「どうするのですか、アルティリア様。このままではお子様達にチョコレートケーキを食べさせてあげる事が出来なくなります。ただでさえ風前の灯火の母親の威厳が、完全に無くなってしまいますよ」
「心配するな、私に考えがある。……ところでオイ、母親の威厳が風前の灯火ってマジで言ってる? 冗談だよな?」
「ふふふ」
意味深にニヤニヤと笑う水精霊の頭部を鷲掴みにしてアイアンクローをかけると、アルティリアはその場を後にして港へと向かった。
そして船着き場へと移動したアルティリアは、愛用の船を召喚する。極限まで改装を重ねて強化した重ガレオン船、グレートエルフ号だ。
「"出航"の時間だオラァ!」
アルティリアが船を召喚して呼びかけると、港に居た船乗りや冒険者達が、こぞって船員に立候補してきた。女神の乗る船で働く事は、この街の航海士達にとっては何よりの誉れである。一瞬で必要な船員が集まった。
「アルティリア様、行き先はどちらで!?」
「エリュシオン島だ! 行きたい者は乗るがいい。帰りは定期便を使ってもらう事になるが、往路の快適さは保証しよう」
アルティリアがそう告げると、乗船を希望する者達が集まってきて、船に乗り込んだ。
「では行くぞ! エリュシオン島に向けて爆進!」
「「「イエス・マイ・ゴッデス!!」」」
こうしてアルティリアが操る船は、全速力で北方の孤島、エリュシオン島へと進んだ。そして数時間後、アルティリアは久しぶりにエリュシオン島の土を踏んだ。
ルーシーと彼女の一族、そして世界中から話を聞いて集まってきた小人族が中心となって作られた、新しい港町『セントレグルス』は賑わいを見せている。
歓迎の為に港に集まってきた小人達への挨拶もそこそこに、アルティリアは島の中心部にある妖精郷へと足を進めた。
「キング、居るか!? ちょっとカカオ豆を船倉に積めるだけ売って欲しいんだが!?」
妖精郷に入るなり、そう呼びかけるアルティリアの前に、一人の男が現れた。大海神、マナナン=マク=リールだ。
「久しぶりに顔を見せたと思ったら、藪から棒に何だいきなり」
「だからカカオ豆だよ。バレンタインのチョコを作るのに必要なんだ。確かこの島でも栽培していたよな?」
その言葉を聞いて、マナナンはその端正な顔に微笑を浮かべた。
「バレンタインのチョコ、か……。ふっ、バレンタイン破壊軍団を率いていたお前がな」
「うぐっ……いいだろ、その話は……」
それはまだ、宮田洋介がアルティリアになる前、一人のLAOプレイヤーだった頃の話だ。
※
「行け、戦闘員ども! チョコレート工場に毒を撒け!」
三叉槍を高らかに掲げ、そのように物騒な号令を出したのは、LAOのトッププレイヤーという名の変態集団の一人、海産ドスケベエルフことアルティリアである。その指示に従い、周囲のプレイヤーキャラクター達が一斉に動き出す。
「リア充毒殺! リア充毒殺!」
「ヒャッハー! アベック共は消毒だー!」
「うおおおお! 殺ってやるぜぇぇぇ!」
彼らは皆、目の部分が真っ赤に縁取られ、血涙を流しているようなデザインの同じ覆面を装着しながら、殺伐とした台詞を吐いている。
この一団は、バレンタイン破壊軍団。その名の通り、恋人たちの日であるバレンタインデーと、世に蔓延るカップル達を破壊する事を目的とした碌でもない集団である。
事の発端は先週の、LAOの定期メンテナンス及びアップデートが終了した時の事だった。その際に、運営から今年のバレンタインデーに合わせた期間限定イベントが発表された。
その内容は、NPCの男女を手助けして、彼らの恋を実らせる手伝いをしたり、期間限定で出現するモンスターを倒し、特別なチョコの材料を手に入れて料理スキルで限定アイテムのチョコレートを作ったりする物が中心だったが、実装されたコンテンツの中に一つ、異物が混入されていた。
その名も、『バレンタイン破壊作戦』。世に蔓延るカップル達と、彼らの記念日であるバレンタインデーを破壊する、醜い嫉妬に支配された者達の狂乱の宴。
早い話が『バレンタイン破壊軍団』と『バレンタイン防衛隊』の二つの陣営に分かれて行われる、大規模PVPイベントである。クリスマスの時にもやったぞこの流れ。
そしてクリスマスイベントの時と同じように、破壊軍団を指揮する役目はアルティリアが担う事になっていた。
実装から数日間の前哨戦を経て、今日はいよいよ二月十四日のバレンタイン当日、すなわち決戦の日であった。アルティリア率いる破壊軍団は満を持して、チョコレート工場への突入作戦を開始していた。
「ドスケベエルフ丞相! お味方が敵軍の第一陣を突破しました! また、別動隊も予定通り配置についたとの報告が!」
「誰がドスケベエルフ丞相か。まあ、今のところは計画通りといったところか。よし、このまま第二陣も突破せよ!」
アルティリアの指揮と軍団員の奮闘によって、彼らは防衛隊が敷いた防衛網を次々に突破していく。
だが……そんな彼らの前に、またしてもあの男が立ちはだかった!
「そこまでだ! この俺が来たからには、お前達の好きにはさせんぞ!」
青い
「遂に出てきたか、あるてま先生……! だが今日こそはあんたに勝って、超えてみせる! その為の秘策も用意済みだぜ……!」
このゲームの対人戦における戦術・戦略を叩き込んでくれた師匠に向かって、そう宣言するアルティリアだったが……あるてまはゆっくりと、首を横に振った。
「残念だが、お前には無理だ」
「ほう、無理と? それはどうかな。勝負はやってみるまで結果は分からないものだぜ」
「いいや違うな。勝負は実際にぶつかり合う前には、既に終わっているものだ。それを証明してやろう。さてアルティリア……一つ聞くが、お前は今日の昼頃、どこで何をしていた?」
その質問に、アルティリアはドキッとしつつも、咄嗟に言い返す。
「何って、今日は平日だぜ? 昼間は会社で仕事をしていたに決まってるじゃあないか。全く何を言ってるのやら……」
しかしその反論を、あるてまは一刀の下に斬り捨てる。
「いいや嘘だな。お前は今日、有休をとっていた。違うか?」
「なっ……!? 何を根拠にそんな……」
「そして会社を休んだお前が、どこで何をしていたのか……それは……」
「ええい黙れ黙れ! 者ども、奴を攻撃せよ!」
焦った様子で攻撃命令を出すアルティリアだったが、直後、周りに居た仲間達が彼女に向かって武器を向けた。
「お、お前ら……!」
「あるてま先生、続きを……話してくれ」
アルティリアに武器を突きつけたまま、破壊軍団に所属する男が続きを促した。
「では話そう。そいつは今日の昼間、とある女性プレイヤーと二人で出かけており、別れ際にチョコレートを受け取っている。二人でいる間に何をしていたのかは……まあプライベートの事なので詳しい話は避け、お前達の想像に任せるとしよう」
「何もしてねぇよ! ただ二人で昼飯食って勉強教えてただけだっつーの! 下世話な想像はやめて貰おうか! つーか何で知ってんだアンタ、ストーカーか!?」
「ふっ……マヌケは見つかったようだな」
「……ハッ!?」
そうして気が付くと、周りに居た仲間達は殺気立った様子でアルティリアを包囲していた。
「この裏切り者を殺せぇー!」
「血祭りにあげろ!」
「うおおおお! ざっけんなああああ! これで勝ったと思うなよおおおお!」
一斉に襲い掛かるプレイヤー達を槍と魔法で薙ぎ倒しつつ、アルティリアは全力でその場から逃走した。
こうしてバレンタイン破壊軍団は内部から崩壊し、今年のバレンタインデーは無事、護られたのだった。
※
「あの時の事は思い出したくもねぇ……。あんな盤外戦術持ち出してくるとか外道すぎだろ。あるてまの野郎、あんな事に異能を使ってんじゃねぇよ……あのドSが。まあ後日、詫びの代わりにレアアイテムを大量にふんだくってやったから許したけどな。思い出したらまた腹が立ってきた」
「ハッハッハ。あの話を聞いた時はクロノ以外のギルドメンバー一同、大爆笑だったぞ」
「この野郎……」
「さて、カカオ豆だったか。残念だがこの島の新たな住民達も、バレンタインデーの準備に忙しくてな。この島で採れたものは残っておらん」
「くっ……。そ、そうか……なら仕方が無いか……邪魔したな……」
落胆しつつ、その場を後にしようとしたアルティリアだったが、
「だが実は昨日、あるてまがこの島にやって来てな。今日アルティリアがここに来たら渡してやって欲しいと、そこに置いてある荷物を置いていったのだ」
そう言ってマナナンが指差した方向を見ると、そこには木箱が山積みになっており、その中身は……アルティリアが望んでいた、カカオ豆を中心としたチョコレートの材料であった。
そして、木箱の上には一通の封筒に入った手紙が乗っており、その手紙にはただ一言、こう書かれていた。『これで許せ』……と。
「あの野郎、まさかここまで予知しての事か……?」
あるてま恐るべし、と戦慄しつつも、無事にチョコレートの材料は手に入った。アルティリアは荷物を全て船へと積み込んで、グランディーノへと帰還するのだった。
そして数日後、いよいよバレンタインデー当日がやって来た。
アルティリアは腕によりをかけてチョコレートケーキを作り上げ、子供達に振る舞った。
その後、信者達にチョコレートを渡す為に外に出ようとした時だった。
「失礼いたします、アルティリア様」
彼女に仕える騎士団のリーダーにして、現在はグランディーノの領主も兼任する男、ロイド=ランチェスターが神殿を訪れた。
「ロイドか、どうした?」
「はっ。本日はバレンタインデーとの事で、我ら海神騎士団一同、そしてこの街の住人達より、親愛なるアルティリア様にチョコレートをお贈りしたく、馳せ参じました」
そう言ってロイドが神殿の外へと手を向けると……そこには、街中から人々が集まり、列をなしていた。
「アルティリア様ー! いつもありがとうございます!」
「こんな事くらいしか出来ないけど、感謝の気持ちを込めて作りました!」
「どうか受け取ってください!」
集まった人々は皆、笑顔でアルティリアへの感謝や愛を伝え、チョコレートを渡してきた。
「お前達……全く、家族や惚れた相手にでも渡せというのに……。だいたい、こんなにチョコを食ったら太るだろうが。まあ私は栄養が全部胸に行く体質だがな、これ以上デカくなったらどうするんだ」
「大変よろしいかと」
「やかましいわ馬鹿たれ」
ロイドの頭にチョップを落としつつ、アルティリアは目を細めて、信者達を見渡す。誰もが輝く笑顔を浮かべていた。
「……私も、お前達の事が大好きだ! さあ、私の気持ちを受け取るがいい!」
そう叫び、アルティリアは信者達にチョコレートを配るのだった。
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