第109話 深海からの呼び声※
一隻の船が、海上を航行していた。船体の表面は金属装甲で覆われ、側面には砲がずらりと並んだ、大型の戦闘艦だ。マストに掲げられた旗や、装甲に刻まれたエンブレムを見れば、それがグランディーノの海上警備隊に所属する警備艦だとわかるだろう。
その船の主は、海上警備隊に所属する若き士官、クロード=ミュラー。二十歳そこそこの、やや痩せ型で端正な顔立ちをした、銀髪の青年だ。
彼が乗る船は、グランディーノを出航して北に進路を取り、ある海域を目指していた。
「艦長、まもなく目標の海域に到達します」
部下の一人がクロードに近付き、そう言ってきた。
「ああ。戦闘準備は出来ているな?」
「はっ。いつでも戦えるように準備出来ております」
「よし」
部下に頷きながら、クロードは警戒を強めた。
彼らが目標としているのは、以前アルティリアが海に眠る亡霊の集合体である、巨大な亡霊戦艦と戦った、あの海域だ。クロードも、その戦いに参加していた。
あれ以来、その周辺には幽霊船が――あの時のような規格外の物ではなく、あくまで通常の船くらいのサイズだが――頻繁に出没するようになっていた。
幽霊船はそこを通る船を手当たり次第に襲撃する為、海上警備隊や船持ちの高位冒険者、それから近場の海賊団が幽霊船の討伐を行なっていた。
海賊は、基本的に海上警備隊とは敵対関係にあるが、魔物や幽霊船は共通の敵である為、海に強大な敵が現れた時には協力する事もある。それに女神アルティリアが降臨して以来、グランディーノが経済的、軍事力に大きく強化された事や、元海賊であるロイド達が女神の神殿騎士として取り立てられた事によって、海賊達も歩み寄りの姿勢を見せており、関係は改善傾向にあった。
「艦長、前方に幽霊船が3隻、それから武装した民間船と海賊船が1隻ずつ、幽霊船と戦闘中です!」
見張りがそのような報告をしてきた。民間船のほうはグランディーノで生産・販売されている装甲キャラック船であり、冒険者が乗っているようだ。海賊旗を掲げているほうの船はガレー船であり、幽霊船に接弦して白兵戦を挑んでいる。
「よし。我々も戦闘に参加するぞ! 砲撃戦用意!」
海上警備隊の乗る船も幽霊船との戦いに加わり、遠距離から強力な砲撃を次々と浴びせ、幽霊船を粉砕した。
心強い援軍を得た冒険者や海賊団も、海上警備隊と連動して幽霊船を撃破していく。
その後も数隻の幽霊船がこの海域に出現したが、人間達の手によって次々と沈められていったのだった。
「それにしても多いな……。あの亡霊船長はアルティリア様たちに倒された筈だが、この海域には、まだ何かあるのだろうか……?」
目に見える範囲にいた幽霊船を一掃し、周囲に漂っていた不気味な瘴気交じりの霧が晴れた事を確認した後に、クロードは波打つ海面をじっと見つめて、深い海の底へと思いを馳せた。
船の上からでは見通す事のできないその場所……深く、暗い海底に意識を向けると、だんだんと吸い込まれそうになってくる。
その時だった。クロードは一瞬、何かと目があったような……より正確に言うならば、意識のチャンネルが重なったような感覚を覚えた。
「ぐあっ…………!?」
そして次の瞬間、クロードは海底に引きずりこまれ、心臓を鷲掴みにされたかのような、強烈なイメージに意識を支配され、思わず甲板に膝をついた。
「艦長!?」
「だ、大丈夫だ……!」
こみ上げてくる嘔吐感や、滲み出る嫌な汗による嫌悪感、そして、それをもたらした原因である何かに対する恐怖を必死に堪えながら、クロードは部下達に撤収を指示した。
いる。確実に、何かとてつもなくやばい存在が、海の底に潜んでいる。それは海上からそれに対して意識を向けたクロードの存在を察知し、こちらの存在を認識したのだ。クロードは直感で、それを確信した。
クロードは生まれて初めて、海に対して恐怖を抱いた。
それから、グランディーノに帰還した彼は、上司である海上警備隊の副長、グレイグ=バーンスタインに自分が感じたものを報告した。
「それが事実なら捨て置けぬ話だな。すぐにでもアルティリア様に報告すべき大事ではあるが、生憎とアルティリア様は現在、王都に向かっていらっしゃるため不在だ。すぐに人を送り、報告するとしよう。その間に、お前はあの方のところに相談に行って貰いたい」
その指示を受け、海上警備隊本部を後にしたクロードは、街の外れにある神殿へと向かった。彼が向かったのは、アルティリアの神殿ではなく、この街にあるもうひとつの神殿であった。
それは、死後の世界である冥界を統治する大神、冥王プルートを祀る冥王神殿であった。
そこに住まうは、筆頭冥戒騎士フェイト。見た目は少女のようなあどけない顔立ちの小柄な少年だが、その実力は測り知れない。現在はグランディーノに滞在しているが、彼は本来ならば冥王の側近であり、彼の指揮下にある冥戒騎士を纏める立場にある英雄だ。
そんなアルティリアに並ぶグランディーノの最強戦力の片割れが街に残っている事実は、クロードにとってこの上なく頼もしい事だった。
冥王神殿を訪れたクロードは、あの場所で感じた事の全てをフェイトに報告した。それに対して、フェイトは次のように述べた。
「実はあの海域については、私も気になっていた。あの亡霊船長を覚えているな?」
彼が口にしたのは、言うまでもなく、あの巨大な亡霊戦艦を操っていた存在だ。
「あの者は我らに倒された後、海底へと沈んだが……あの時点では完全には滅んではいなかったように思える。しかしあの戦いの後にすぐ、あの者は滅びを迎え、冥界を訪れたようだ。そして奴について、冥王様が気になる事をおっしゃっていた。まるで人が変わったように、何かに怯えていた……と」
最後まで往生際が悪く、足掻いていた姿からは想像もできない様子ではある、が……それは逆説的に言えば、
「そうなってしまう程の、何かが奴の身に起きたと考えるのが自然だ。君が感じたものと合わせて考えれば……」
「あの亡霊船長は、私が一瞬だけ感知した何かに襲われて、トドメを刺された……という事ですか」
「恐らくそうだろう。肝心の奴が恐慌状態にあって、その事については一切話そうとしなかった為、憶測でしかないが……。一刻も早く現地に行って調査をしてみたいところだが、残念ながら私はアルティリア様と違って、水中での活動は不得手だからな……」
フェイトは少し考え込んだ後に、顔を上げてクロードに言った。
「一度冥界に戻るゆえ、しばし留守にする。冥王様を通して、海神……ネプチューン様の御力を借りる事が出来ないか、相談してみよう」
「わかりました。よろしくお願いします」
「私とアルティリア様が共に不在となる為、よからぬ事を企む輩が出てこないとも限らない。この街の事をよろしく頼む」
こうしてフェイトは冥界に一時帰還し、冥王の協力を仰ぐ運びとなった。
そして一方その頃、グランディーノの遥か北に位置する絶海の孤島、エリュシオン島では……
「キング、おいキング! 寝てんのか?」
「最近多いですね、キングの寝落ち。疲れてるんでしょうか」
大海を一望できる岬の先端にて、海に向かって座り、目を閉じて静かな眠りに落ちている黒い髪の小人族の男……うみきんぐに、赤い髪の巨人族の男が揺すっていた。その名の通り、屈強で巨大な体を持つ巨人族の中でも特に大柄で筋肉質の男、バルバロッサだ。その隣には騎士甲冑を着て、背中に純白の槍を背負った金髪の人間族の少年……クロノも居る。
「む……? 眠っていたのか、俺は」
バルバロッサの大声と、体を揺すられる感覚によって、うみきんぐが目を覚ました。
「おうキング、起きたか!」
「キング、大丈夫ですか? どこか体調でも悪いんじゃあ……」
「……平気だ。確かにあまり調子は良くないが、そこまで深刻なものじゃない。少し、力を使い果たして疲れているだけだ。少し休めばすぐに良くなるさ。何故なら俺は……キングだからだ!」
いつもの調子でふんぞり返って宣言するうみきんぐであったが、付き合いの長い二人にはそれが空元気である事がすぐに分かった。いつもより動きのキレが悪く、声に張りがなかったからだ。
「そんな事よりも、二人とも久しぶりだな。少しはゲームをする余裕が出来たのか?」
再会を喜ぶように、うみきんぐが笑顔を浮かべた。彼が言うように、バルバロッサとクロノは事情により、ここ数週間はLAOへのログイン率が大きく低下していた。
「まあな。三人目だから、前の時に比べりゃあ全然マシよ。といっても、しばらくは前みたいに毎日来る訳にもいかねぇだろうがよ」
バルバロッサの理由は、妻の出産と育児によるものだった。彼は現実世界でも筋肉モリモリ、マッチョマンの中年男性であり、このたび目出度く三児の父となった。
「こっちもセンター試験は終わって、手応えは上々です。卒業や引っ越しで、もうしばらくは忙しくなりそうですが」
クロノは現在、高校三年生であり、今年度に入ってから徐々にログイン率が低下してきており、特にここ最近は大学受験や卒業、引っ越しで多忙であった。
「そうか。まあ、無理はせずにリアルの生活を優先して、余裕ができたらまた遊びに来るといい。俺はいつでもここで待っているからな」
うみきんぐがそう言うと、バルバロッサがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「だが俺達も居なくなると、キングが寂しがるんじゃないかと思ってなあ。アルティリアの奴も遠くに行っちまったし」
すると、クロノもそれに続いて悪ノリを開始した。
「あ、もしかしてキングが調子悪そうにしてたのって寂しかったからなんですか? 意外と繊細なんですね」
彼らの揶揄いを受け、うみきんぐは飛び上がるように、勢いよく立ち上がった。
「よーし良い度胸だカス共。
そう告げて、歩き出そうとした時だった。
突然、うみきんぐは何かを感じ取ったのか、驚愕の表情と共に、南方に広がる海の方向へと顔を向け……そして、一言呟いた。
「今の感覚は……!」
そして険しい表情で歯を食いしばり、拳を血が出るほどに強く握りしめて、遥か遠くを睨みつけた。
「き、キング……!?」
バルバロッサとクロノは、うみきんぐの様子を見て困惑する。それは彼らが見た事のない、明確な怒気と殺気を漲らせた覇王の姿であった。
「眠気が吹き飛んだ。悪いがしばらく
そう言い残して、うみきんぐは岬の先から海に向かって飛びこみ、一瞬でその姿が見えなくなった。
残された二人は、顔を見合わせ……
「どうやら、何か只事じゃねえ何かがあったみてえだな……」
「アルさん関連ですかね……?」
「どうかな。無関係じゃあねえと思うが、どうもキング本人にとって、かなり重い因縁がありそうだったが……」
「俺達も、いつでも動けるようにしておいたほうが良さそうですね」
「おうよ。忙しいだろうが、いつでもディスコ繋げられるようにしとけよ」
「了解です。それじゃあまた」
「ああ」
こうして、グランディーノを離れた
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