第40話 女神怒りの必殺拳!

 この船の持ち主、ブタ野郎ことモグロフの部屋を訪ねた俺は、厭らしい笑みを浮かべた部屋の主から中に通された。

 この船自体は小さな貨物船で、船の造りや搭載されている武装を見る限り、言っちゃ悪いが安っぽく、大した事のない船だ。

 しかしこの船長室に配置されている家具や調度品だけは、他と比べると結構いい物を使っているようだ。この成金が持ち込ませた物だという事は想像に難くない。服装にしてもそうだがこの男、どうやら金だけは持ってるようだ。


「ささ、どうぞお座りください。……おい、お茶をお持ちしなさい!」


 モグロフの勧めに従って、なかなか座り心地の良い椅子に腰かけると、奴はパンパンと2回、手を叩いて何者かに命令を下した。

 すると、部屋の奥側にある扉が開き、そこから二人の人物が姿を現した。


 その二人は、まだ幼い子供だった。男の子と女の子の二人組で、男児のほうは執事服を、女児のほうはメイド服を着せられていた。

 二人とも、白い髪に色素が濃い褐色の肌をしており、よく似た顔立ちをしている為、兄妹か姉弟なのかもしれない。

 その二人には、服装以外にも普通の子供とは一目見れば分かる、明らかに変わった点が二つあった。

 一つは、二人の頭には動物のような耳が生えており、臀部からは尻尾が伸びている点だ。男の子は犬耳とボリューム感のある、ふさふさした尻尾。女の子のほうは猫耳と細長い尻尾だ。


 彼らの種族は獣人族ビーストマンと見て間違いない。LAOやロストアルカディアシリーズの過去作にも獣人族は登場しており、彼らと目の前の二人の特徴は合致している。

 獣人族は筋力・体力・敏捷の三つが得意で、器用と魔力がやや苦手な前衛向けの種族で、巨人族ジャイアントなどと比べると能力値のバランスが良い為、種族専用技能アビリティに便利な物が揃っているのもあって初心者でも安心して育成・運用できる人気種族だった。勿論、獣耳&尻尾という唯一無二の特徴も大きな人気の理由だ。


 それから、目を引く彼らの二つ目の特徴……それは、首に付けられた無骨な黒い首輪だった。


「ご紹介しましょう。私がしている奴隷です。兄がアレックス、妹がニーナ。見ての通り獣人族です。……おい、お客様にご挨拶しろ!」


 モグロフに促され、持っていたティーポットやカップの乗ったトレーを机の上に置いた二人が、俺に向かって頭を下げる。

 兄の犬耳少年、アレックスのほうは無表情だが、目にはモグロフに対する怒りや不満がありありと浮かんでいる。

 一方、妹の猫耳少女、ニーナは怯えているようで、泣きそうな顔をしている。


「……アレックス、です」


「に、ニーナと申します。よろしくお願いいたします」


 アレックスは吐き捨てるように、ニーナはビビりながらも精一杯丁寧に、それぞれ名乗りを上げて頭を下げた。


「……チッ、もう少し気の利いた事は言えんのか? この……」


 モグロフがその言葉を最後まで言う前に、俺はわざと少々大きな音を立てて、椅子から立ち上がって台詞を遮った。

 そして俺は、そのまま二人の子供に近付き、床に膝を付いて目線を合わせた。


「アレックス、ニーナ。二人共ありがとう。私の名前はアルティリアだ」


 そう言って俺は出来る限りの優しい笑顔を作って、二人に握手を求めた。俺が差し出した右手を見て、まずアレックスが俺の手を握った。握手をした時に手の平に感じた感触は硬く、少年の小さな手は荒れてボロボロになっていた。


「……さっきはごめん。あいつの客だから、同類だと思った。無礼を謝る」


 モグロフに聞こえないように、小さな声でアレックスが呟いた。


「なーに、気にしなくていいさ。だがありがとう。君は良い子だ」


 握手をしながら、俺はアレックスに無詠唱で治療ヒールの魔法をかけてやった。どうやら手以外にもどこか痛い所があったようで、突然傷と痛みが消えた事に驚いた様子を見せた。

 俺は空いた左手の人差し指を口の前に持ってきて、声に出さないようにとジェスチャーで指示した。


「ブタには内緒だぞ」


 俺が小声でそう言うと、それまで固い表情だったアレックスの口元が僅かに緩んだ。

 それから、俺はニーナとも同じように握手を交わして、治療をかけて傷を癒した後に、席に戻った。


「待たせてすまないね。それと良い子達に会わせてくれてありがとう」


 俺にこの二人を引き合わせてくれたという、その一点に関してだけは、このブタ野郎を褒めてやってもいい。

 その事について俺が作り笑顔を浮かべながら礼を言うと、奴はデレデレしただらしない表情を浮かべ、グフグフと気持ち悪い笑みをこぼした。


「おいニーナ、そろそろお客様にお茶を淹れてさしあげなさぁい」


「は、はいご主人様……失礼いたします」


 ニーナがたどたどしい手つきで、ティーポットからカップにお茶を注いで、俺が座る席に置いた。

 それで終わりだ。モグロフの分のお茶は……無い。


「ふむ。君の分は無いのかな?」


 俺がモグロフに視線を送り、そう指摘すると奴の目が僅かに泳いだ。


「私はアルティリア様をお待ちしている間に、既にいただきましたので……どうぞ遠慮なさらずに。最高級の茶葉を使用しておりますので、冷めないうちに」


 モグロフは俺にお茶を飲むように促す。

 俺は怪しみながら、目の前のお茶に『鑑定』の技能を使用した。『鑑定』は文字通り、指定したアイテムの詳細な情報を読み取る為の技能だ。『貿易』の生活スキルレベルが高いほど、より高級なアイテムを鑑定でき、詳しく正確な情報を得る事が出来る。

 その鑑定の結果……確かにこのお茶は、なかなか良い茶葉を使って淹れられたお茶のようだ。

 しかし、中には媚薬や睡眠薬が混入されているが。


 ……まあ、どうせこんな事だろうとは思っていた。分かりやす過ぎて怒りや呆れを通り越して逆に笑いがこみ上げてくるレベルである。

 しかしこの男、俺にこんなモンが効くとでも思っているのか。こちとらネタ構成ビルドとはいえ一級廃人だぞ。状態異常に対する完全耐性くらい持ち合わせとるわアホめ。


 しかしまあ、嘗めた真似をされた事には変わりはない。

 こいつには痛い目を見て貰うとして、その口実を作る為にもひと芝居打ってやるかと、俺は薬入りのお茶に口を付ける。


 しかし、その時だった。


「アルティリア様! そのお茶を飲んじゃだめです!」


 俺がお茶を飲む寸前に、ニーナが俺の手からカップを奪って、それを床に放り投げたのだった。

 カップが割れ、お茶が床に撒き散らされる音が船室に響く。


「ニーナ貴様ぁ! 何をやっとるかぁ!」


 モグロフが激昂して立ち上がり、ニーナの体がビクッと震える。モグロフはそのまま怒りに任せてニーナに手を上げようとし、そうなる事を予想していたアレックスがニーナとモグロフの間に割って入り、妹を庇おうとした。


 モグロフの拳が、アレックスの小さな顔に向かって振り下ろされようとする。しかし、それが当たる寸前に、俺の手がそれを受け止め……


「ウギャアアアアアア!」


 そのまま、俺はモグロフの右拳を握り潰した。


「ヒッ、ヒィィッ! な、何をす……」


「黙れ。ブタが人の言葉を話すな」


 俺は怒りを込めて、モグロフを見下ろしながら罵倒した。


「私に対して邪な企みをするだけならば、少し痛い目を見て貰うつもりでいたが……幼気な子供をまるで物のように扱い、下らぬ姦計に加担させ、挙句に思い通りにならなければ暴力に訴えるその非道、断じて許せん!」


 俺は拳を鳴らしながら、モグロフに近付き……


「アレックス、ニーナの目を塞いでおきなさい」


「わかった」


 アレックスがニーナを優しく抱きしめて、こちらが見えないようにしたのを確認した俺は、


「歯ぁ食いしばれブタ野郎ッッ!!」


「ブギィィィィィィィィッ!!!」


 死なない程度に手加減した拳を、モグロフの顔面に叩き込んだ。

 丸々と太ったモグロフの体が吹き飛び、壁を突き破って隣の部屋に転がっていく。その際にかなり大きな破壊音が鳴り響き、船がぐらぐらと揺れた。


「うーん、危うく船ごと壊してしまうところだったな。いかんいかん」


 怒りのあまり、船へのダメージを計算・考慮するのを忘れていた。少々冷静さを欠いてしまったな。反省して次からは気を付けなければ。

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