第22話 神殿防衛戦※

「ようやく、この日が来た」


 完成した神殿の前に立ち、見上げながらロイド=アストレアはそう呟いた。

 彫刻がされた白い大理石の壁や柱が、陽光を浴びてキラキラと光り輝いている。グランディーノの町のみならず、近隣の町や村から、あるいは遠くからも多くの職人や労働者が集まり、昼夜を問わずに働き続けた事によって驚くほどの短期間で完成した、多くの人の力を集結させて作り上げた神殿だ。

 それを見上げるロイドの胸に、達成感がこみ上げる。


「おっと、いかんいかん。ここからが正念場だ……気を引き締めねば」


 平手で自身の両頬を叩き、ロイドは気合を入れ直す。

 何しろ、これから信奉する女神を迎えなければならないのだ。

 それに伴って、気掛かりな事もある。


 神殿の建築は領主や町長、グランディーノの町に拠点を置く各組合のリーダーが主となって行なっていた。その間にロイド達のような冒険者達がやっていた事は、いつも通りに討伐依頼を受けながらの、周辺地域の調査であった。

 少し前から、グランディーノの周辺一帯では魔物の出現頻度が増加傾向になり、しかも強力な魔物の姿を見かける事が多くなった。

 しかし、少し前に起こった殺人蜂の大量襲撃事件および、魔神将の配下を名乗る紅蓮の騎士との戦い以降は、逆に魔物の出現頻度が大きく下がり、特にここ数日は明らかに異様ともいえるほど、魔物の姿が見えない日が続いていた。

 しかも昨日など、受けた討伐依頼が全て、魔物が一匹も見つからずに不発という異常事態が発生したのだ。ロイドのパーティーだけではなく、グランディーノの組合に所属する冒険者全員が、である。


 明らかにおかしい。魔物達はどこかに姿を隠している。ならば、奴らの狙いは一体何だ?

 恐らくその狙いは、今日この日に大規模な襲撃をかける事だろう。


 今日、この神殿には女神の降臨を一目見ようと大勢の人が集まっている。その中には町長や各組合長、領主をはじめとする貴族、王都の神殿から来た司祭といった、高い地位にいる者も数多くいる。

 その為、襲撃は絶対に阻止しなければならない。港や町周辺は海上警備隊がしっかりと守りを固めており、冒険者達はこの神殿の周囲や街道の警備を行なっていた。

 また、手薄になった他の拠点への襲撃に備えるため、領主が率いる軍の者達は一部の精鋭のみを残し、大部分は他の町や村への襲撃を警戒している為、この場には居ない。


 アルティリアが降臨する予定の時間までは、まだ少しある。

 出来ればこのまま、何事もなく時間が来てほしいと、ロイドが思った瞬間だった。


 港の方向から、轟音が鳴り響いた。

 これは、海上警備隊が所有する戦闘艦に搭載された、大砲の発射音である。

 この神殿はグランディーノの東側、小高い丘の上にあり、丘の上からは町や港が一望できる。

 ロイドの目には、海からやってくる魔物の群れと、それに対して発砲する戦闘艦の姿が見えた。旗艦の甲板上では、赤い髪の屈強な中年男性が指揮を執っているのが見える。警備隊の副長、グレイグ=バーンスタインだ。


 あちらは彼らを信じて任せるしかないだろう。問題は……


「兄貴ィ!来ましたぜ!南の街道から真っ直ぐに、こっちに進んでます!」


 街道を見張っていた冒険者であり、ロイドを兄貴と慕うバーツという男が、息を荒げながらそう報告をしてきた。


「やはりこっちにも来たか!応戦するぞ!」


 ロイドが腰の刀に手をかけ、戦闘態勢を整える。


「クリストフ、手はず通りに頼むぞ!」


「お任せを!」


 ロイドの友人であり、神官のクリストフが、領主や各組合長と共に、この場に集まった民衆を集合させる。

 彼らを護衛するのは領主が連れてきた軍の精鋭達であり、クリストフや、王都の神殿から訪れてきた司祭や高位の神官達が、そんな彼らを支援する構えだ。


「来たか。あれは……牛頭巨人ミノタウロスか!」


 街道を通って現れたのは、その名の通りに牛のような頭部を持つ、二足歩行する人型の魔物だった。その体躯は3メートルを超える巨体であり、防具は身に着けていないが、手にはその巨体に相応しい巨大な武器を携えている。

 D級魔物、牛頭巨人の戦士ミノタウロス・ウォリアーだ。動きは鈍重で頭も悪いが、筋力と耐久力だけはC級上位の魔物に匹敵する難敵である。

 醜悪な巨人の群れが街道をまっすぐに、神殿に向かって駆けてくるのが見えるのと同時に、彼らの重い足音が幾重にも重なって、地鳴りのような音が響く。


「リン!まずは一発ぶちかますぞ!準備出来てるな!」


「任せといて!いつでも行けるわ!」


 待機していた魔術師の少女が、杖を掲げて元気よく答える。


「くらいなさい!『大水球ウォーター・ボール』!」


 掲げた杖の先に、直径1メートルほどの巨大な水の塊が生成される。

 女神の加護と、リン自身の努力の甲斐があって、彼女は短期間のうちに魔法の実力を大きく伸ばしていた。


「いっけぇ!」


 リンが杖を、疾走する牛頭巨人の群れに向けると、巨大な水球が彼らに向かって放たれた。

 それを目にした牛頭巨人たちはしかし、足を止める様子も見せずに走り続ける。先頭に立っていた個体がそれを迎え撃たんと、走りながら手にした巨大な斧を振りかぶって、迫り来る大水球に向かって全力で振り下ろす。

 なかなかの勇敢さだが、それが命取りとなった。斧が命中する寸前に、水の球体が破裂したのだ。そして、大量の水がその場に溢れ出した。

 その衝撃と、次々に勢いよく流れ出す水によって、先頭集団の魔物がたまらず転倒する。そうなれば後続の魔物達も、走っている最中に突然前にいる者達が転んだ為、すぐに止まる事が出来ずに前方の集団に激突する。

 その連鎖が次々と続いて、先頭から最後尾に至るまでの大規模な玉突き事故が発生した。


「今だ!『凍結フリーズ』!」


 その様子を見て、すかさず街道に潜んでいた冒険者達が飛び出すと、びしょ濡れになった牛頭巨人に向かって凍結の魔法をかけ、その動きを封じる。

 彼らは続けざまに各々の武器を抜き、動きが止まった牛頭巨人たちに襲いかかり、一方的な攻撃を加えていった。

 いかに頑強な牛頭巨人といえど、無防備な状態で何度も攻撃を受ければたまったものでは無い。苦痛と怒りによって絶叫しながら、牛頭巨人は一方的な暴力によって、次々とその命を散らしていく。

 戦いは冒険者達がかなり優勢に進めていたが、しかし相手もただ手をこまねいて見ている訳ではない。

 突然、動けない牛頭巨人に攻撃を加えていた冒険者のうち数名が、背中に矢を受けて苦悶の声を上げた。


「ぐあああっ!」


「矢だと!?狙われてるぞ!」


 彼らが矢が飛んできた南の方角を見ると、街道の先に新たな敵集団が現れていた。


「ゴブリンだ!」


 冒険者の一人がそう叫んだ通り、その敵の集団は魔物の中でも最低ランクの強さしか持たない、小鬼ゴブリンであった。

 しかし、その数が尋常ではない。低く見積もっても二百匹以上のゴブリンが、道からはみ出してズラリと隊列を組んでいた。

 しかも、ただのゴブリンではない。先程冒険者たちが受けた矢が証明するように、ゴブリン軍団のおよそ1/4程が、弓矢を持った小鬼の射手ゴブリン・アーチャーだ。

 そして、脅威は射手だけではなく……


騎兵ライダーだ!突っ込んでくるぞ、迎え撃て!」


 狼や猪といった野獣に乗って、高速でこちらに突進してくるのは小鬼の騎兵ゴブリン・ライダーの集団だ。

 手には木や骨を削って作られた粗末な槍を持っており、それを前方に向けたまま、まっすぐに突っ込んでくる。粗野で原始的だが、その速度と突進力は侮れない。


 主力と思われた牛頭巨人を囮にしての、雑魚の大群による奇襲攻撃。意表を突いた敵の策と、単体では弱いが数が多いゴブリンの集団攻撃によって、冒険者達は思わぬ苦戦を強いられた。

 しかし、冒険者達も負けてはいない。


「上等だこのクソ野郎共!纏めて叩き潰してやる!」


「一歩も退かねえぞ!ここは絶対に通さん!」


「ゴブリンなんぞ何匹来ようが負けるかよ!」


 闘志を剥き出しにして叫びながら、襲い来るゴブリンの群れを剣で、槍で、斧で、魔法で、ばったばったと薙ぎ倒していく。

 傷を負いながらも勇猛果敢に戦う冒険者達の士気は、異様な程に高かった。

 グランディーノの冒険者達はロイドを筆頭に、全員が女神アルティリアの信奉者である。

 その神がいよいよ降臨されるという日に、わざわざ襲撃をかけてきた魔物に対する怒り。愛着のある町や、その住民を守るという覚悟。そして、信じる女神の為に戦うという使命感が、彼らを奮い立たせていた。


 一方、街道でそのような戦いが繰り広げられているのと時を同じくして……


「海と陸から来るなら当然、空からも来るよなぁ……」


 神殿の正面にて、ロイドが刀の柄に手をかけ、鋭い目つきで上空を睨んだ。そこには飛行系の魔物だけで編成された、敵の集団がいる。

 殺人蜂キラービー人食い鳥マンイーターバード雷鳴鳥サンダーバードといった魔物の大群が、空から神殿と、そこに居る人々に向かって襲い掛かってくるが……


「『粘液の弾丸スライミーショット散弾ブラスト』!ェェェェェッ!」


 ロイドの号令により、彼のパーティーメンバーを中心とした神殿の防衛部隊が、一斉に魔法を放つ。

 通常の水弾よりも威力はやや低いが、粘液を纏わりつかせて敵の動きを封じる『粘液の弾丸』を、ロイド達は拡散形態で一斉に放った。

 それを浴びて、飛行能力を奪われた魔物たちが落下していく。中にはそのまま墜落死する個体もある。生きていたものも、落下後に武器でトドメを刺されてすぐにあの世行きだ。

 しかし、それだけで全ての敵を倒せた訳ではない。敵の半数ほどは健在である。その中でも特に強力な魔物として知られる雷鳴鳥サンダーバードが、その体に雷を纏いながら、翼を広げてロイドに向かって突っ込んできた。

 この魔物が使う雷を纏いながら上空から急襲をかける高速飛行突撃は、熟練の冒険者であっても回避が難しい攻撃だ。

 しかし、ロイドはそれを前にしても落ち着いた様子で、腰の鞘に入ったままの愛刀『村雨』の柄を握り、


「疾風刃!」


 踏み込み、鞘から刀を抜き放つと同時に攻撃を放った。

 居合。少し前にその技術の原理をアルティリアに教わったロイドは、独学でその鍛錬を行ない、不完全ながら身に付けていた。

 抜刀と共に放たれた、風の刃を放つ技によって、飛び込んできた雷鳴鳥の体は、ロイドに攻撃を加える前に両断され、羽を撒き散らしながら地面に落下した。


「お頭ぁ!なんかデカいのが!」


 敵の強襲を一刀の下に切り伏せたロイドだったが、そんな彼に向かって再び、今度は別の魔物が襲い掛かってきた。

 その魔物は悪魔を模した動く石像、ガーゴイル。全長は2メートル程で、飛行能力を持ち、体が石で出来ているため物理攻撃が通りにくい難敵だ。

 向かって来るガーゴイルに正対し、ロイドは右手に握った村雨を両手で構え直した。その刀身から溢れ出る水は勢いを増しながら、零れ落ちる事なく刀に纏わり付いている。


「はああああっ!飛水刃!」


 ロイドが大上段から刀を振り下ろすと、水が鋭い刃となって、前方に向かって勢いよく放たれた。

 水の鋭刃によって、ガーゴイルの体がガリガリと音を立てて削られていく。一撃で倒すには至らないものの、決して小さくないダメージを受けた事によって、ガーゴイルが後退した。

 大打撃を受けた事で警戒を強めたガーゴイルは、一旦体制を立て直そうと翼をはためかせ、上空に逃れようとするが……そこに、ロイドの仲間達が一斉に魔法を放った。


「逃がすか!『氷の弾丸アイスバレット』!」


 生成した水を冷やして氷にするというプロセスが必要な為、水の弾丸アクアバレットよりも長めの詠唱時間キャストタイムを必要とするが、その分威力が少し高く、凍結の追加効果を持つ魔法、氷の弾丸が次々と叩き込まれる。

 そして、その集中砲火を受けたところに……


「叩き割ってあげるわ!『氷塊撃アイスブロック』!」


 リンが魔法で巨大な氷の塊を作りだし、それをガーゴイルに向かって高速で叩き付けた。それが直撃した事で、元々ダメージを受けていたガーゴイルの体がバラバラの石片と化した。


 今倒した魔物たちは、少し前までの彼らであれば、苦戦は免れないどころか、勝つ事すら難しい存在だっただろう。

 しかし殺人女王蜂や紅蓮の騎士といった強敵を相手取っての激戦から生還した事で、彼らは短期間で急激にレベルアップしていた。

 またロイドとその仲間達は、この世界におけるアルティリアの最初の信者であり、彼女と実際に対面した事がある者達だ。そのため彼らの信仰心は他の者達と比べて極めて高く、その信仰心によって、より大きな加護の恩恵を受ける事が出来ている為、より一層強化されているという訳だ。


 こうして、神殿の防衛は冒険者達が優勢のまま進んでいたが……その優勢は、一瞬にして引っ繰り返された。


「GOAAAAAAAAAAAAAA!!」


 鼓膜が破れるかと思う程の、大音量の咆哮。

 続いて地面を揺らす程の質量を持った巨大な何かが、轟音と土煙を巻き起こしながらロイド達のすぐ近くに落ちてきた。


 それは全身が厚い鱗で覆われた、大きな二枚の翼と長い尾、鋭い爪を持つ、赤褐色の……


飛竜ドラゴンだと!?」


 そう、ドラゴンであった。

 しかもこのドラゴンは、以前アルティリアが撃退した個体だ。彼女に一蹴されて逃げ去った筈のドラゴンが、今度は神殿と、そこに居る人々を襲いにやって来たのだ。

 その瞳からは理性や意志といったものが一切感じられず、凶暴な野生を剥き出しにして、目の前にいる人間達を睨み回している。


「GAAAAAAAAAAA!!!」


 もうひと吼えすると、ドラゴンは大きく息を吸い込んだ。ロイド達はその際に、ドラゴンの巨大な口の中から燃え盛る炎が溢れ出すのを目撃した。

 次の瞬間には、ドラゴンの口から灼熱の炎の吐息ファイアブレスが吐き出される事だろう。


「やらせるかああああッ!!」


 それをさせる訳にはいかないと、ロイド達は迷う事なく強敵に向かって斬り込んだ。

 しかし、まず戦いの主導権イニシアチブを握ったのは飛竜の側だった。ロイド達が彼我の距離を詰め、攻撃を行なうよりも一手速く、炎の吐息が放たれる。


「耐えろおおおおおッ!」


 それに対抗して、ロイド達は『水の防護壁アクア・プロテクション』の魔法を発動させた。その名の通り、水を使って自身の周囲に防御シールドを張る補助魔法だ。

 それによってロイド達は炎の吐息によるダメージを軽減して、ドラゴンに肉薄しようとするが……炎の威力に対して、その防護壁はあまりにも頼りない。

 今は何とか防げてはいるものの、風前の灯火だ。長くは持たないだろう。このままでは距離を詰めるよりも先に、炎と熱によって戦闘不能になるほうが確実に早い。

 リンやクリストフが後方から魔法で援護しようとしているが、それも間に合うか微妙なタイミングだ。

 もはや万事休すか。その光景を目撃した者達の心が諦めと絶望に囚われそうになった、その時だった。


 神殿の奥から、目にも留まらぬ速さで何者かが戦場に躍り出た。

 その人物はドラゴンとロイド達の間に割って入ると、手にした槍を高速で回転させ、それによって生じた風圧で、炎の吐息をかき消して彼らを救った。

 その槍は先端が三叉に分かれており、豪華絢爛な装飾がされた、凄まじい力を感じる逸品だった。ロイドはそれに見覚えがあった。そして、それを振るう者の姿にも。

 汚れ一つない清らかな水を編んで作られたかのような、透き通る羽衣を纏ったその女性の後ろ姿を目にした瞬間、ロイド達の目からは涙が零れていた。


「アルティリア様……!」


 ここに、女神の降臨という奇跡は成った。

 ロイド達は遂に、信奉する女神との再会を果たしたのだった。

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