第7話 神の剣 ※

 海上警備隊に所属する三名との話し合いを終えたロイドは、警備隊本部の入口にあるロビーで部下達と合流した。ロビーには来客用の受付があり、女性の警備隊員が複数人、カウンターの向こう側に待機しているのが見える。

 そのまま建物を出ようとするロイド達に、見送りに付いてきていた海上警備隊副長・グレイグ=バーンスタインが話しかける。


「ああロイド君、少し待ってくれ。渡す物があるんだ」


 グレイグが受付の一人に目配せをすると、彼女はカウンターの下から、大きな袋を取り出した。

 重そうな見た目と、持ち上げた際に聞こえた音からして、中身は金貨だろう。それも大量のだ。


「ロイド=アストレア様、冒険者組合からクラーケン討伐の報奨金および、素材の買取金が支給されております。お確かめください」


 冒険者組合は、冒険者と呼ばれる魔物退治や遺跡探索などを生業とする、何でも屋のような存在が多数所属しており、所属する冒険者に依頼の斡旋を行なう他に、部外者に対しても危険な魔物の討伐に対する報奨金や、素材の買取を行なっている。

 今回はクラーケンの討伐が報告され、その死体を持ち帰った事で多額の金貨がロイド達に支払われるようだ。


「いや、しかし討伐したのは俺達ではないんですが……」


「だが、報告したのはお前さん達だ。例の女神様を探そうにも、手掛かりが無いしな。受け取れないって言うなら、今度会った時にでも渡してやればいい」


「……わかりました」


 ロイドは僅かに逡巡した後に、差し出された金貨を受け取った。

 女神が人間の通貨を必要とするかは分からないが、これは彼女が受け取るべき物であり、叶うならばそれは自分の手で、彼女に手渡したいとロイドは思った。


「ああ、ちなみに君達の指名手配を解除するのとか、被害の補填に幾らか使ったから本来の額より幾らか目減りしているが、そこは了承してくれよ」


 だが次の瞬間にグレイグが口にした、その台詞を聞いて冷や汗を流す。

 彼らとの会話の中で、一度も自分達が海賊だとは名乗らなかった。薄々、気付かれていながら見逃されているとは感じていたが……どうやら最後に釘を刺しに来たようだ。


「……気付いていましたか。流石と言うべきでしょうか」


「ここいらで活動している海賊の顔と名前は、一通り頭に入っているんでね」


 悪戯が成功した悪餓鬼のような笑顔で、グレイグが勝ち誇る。


「捕まえたりはしないんで?抵抗はしませんが」


「生憎と、警備隊には現行犯以外への逮捕権ってのが無くてな。それにどうやら件の女神様のおかげで更生したようだしな」


「参った、すっかりお見通しだ」


「そういう訳で後は好きにすりゃあいいさ。……ああ、警備隊に入りたいって奴がいたら、いつでも歓迎するぞ。最初のうちは訓練はキツいし給料も安いがな」


「考えておきますよ。そうなったらお手柔らかにお願いします」


 そう言い残して、ロイドは手下を引き連れて警備隊本部の建物を出た。

 外に出ると、もうすっかり日は沈み、代わりに満月が空に昇っていた。

 建物を出て、少し歩いたところでロイドは手下を集めて話しかける。


「さて……もう分かってると思うが、海賊稼業は今日で廃業、海賊団も解散だ。指名手配は解かれてるから、好きなように生きればいい。行く所が無い奴は、警備隊に拾って貰うといい」


「……お頭はこれから、どうするんです?」


「正直な所、まだ具体的なところは何一つ決まってない。だが方針としては……アルティリア様に恩を返したい。そのために行動しようと思ってる」


「なら、俺らも付いていきますよ。俺達だって女神様の為に働きたいって話してたんです」


「それに、お頭にも拾ってもらった恩を返しきれてねえ」


「今までみたいに、俺達も連れていって下さい!お願いします!」


 部下達が次々にそう言って、ロイドに付いてくる事を選ぶ。去る者は一人も居なかった。


 こうして彼らは夕食を取った後、宿に一泊し、次の日の早朝に神殿を目指した。


 遥か昔に神々は地上を去った。しかし当時から続く、彼らに対する人々の信仰は、薄まりはしても完全に消え去ってはおらず、今も神々を祀る神殿が各地に存在していた。このローランド王国内にも、複数の神殿がある。

 彼らは港町グランディーノから、最も近い神殿に向かった。最も近いとは言っても、徒歩で一日半ほどかかる距離だ。

 馬や馬車を使えば行程を大幅に短縮できるが、人数が多いだけに贅沢は出来ない。手元に大量の金貨はあるが、これはあくまで神に渡すべき物である為、使う事は躊躇われた。


 道中、夜盗や魔物の襲撃があり、それらを無事に撃退する事は出来たものの時間を食ってしまい、彼らが神殿に到着したのは二日後の事だった。


「お待ちしておりました。ロイド=アストレア様ですね?」


 神殿に到着した彼らを出迎えたのは、一人の神官だった。

 身長はロイドより頭二つ分くらい低い、金髪の柔和そうな青年だ。

 ロイド達は、クリストフと名乗った彼に、神殿の奥へと案内された。


 やけにスムーズに話が進むと思って聞けば、有難い事にグレイグが遣いを出して、事前に話を通しておいてくれたらしい。お陰で事情を一から説明する手間が省けた。


 ロイド達は案内される途中、神殿内で幾つもの、神々の姿を模した石像を見かけた。

 天空神や大地母神、騎士神や炎神など、この世界に住む者ならば誰もが知る大神グレーター・ゴッドの像が主だが、中には知る人ぞ知る小神マイナー・ゴッドの像も、幾つか存在している。

 当然だがその中に、アルティリアの物は無かった。


「我々も文献を調査をしてみましたが、アルティリアという名の神についての記述は、一切発見できませんでした」


 道すがら、クリストフがそう述べる。


「恐らくは水や、海に関係する小神か、それに近い存在ではないかと推測しますが……情報が全く無い為、これ以上の調査は難しいと考えられます。また我々、神殿関係者はまだ、その方が本当に神であるのか、そうではないのか……確信が持てずにいるのです」


 彼がそこまで言ったところで、一行は通路の奥にある部屋の前に辿り着いた。その入口の扉に手をかけ、開きながら、


「そこで、とある物を用意させていただきました」


 と言ったクリストフに入室を促されたロイド達は、その小部屋の中央に鎮座する物体に目を奪われた。


「これは……祭壇か?これは一体どういう物だ?」


 ロイドがそう呟いた通り、そこにあったのは小さな祭壇だった。

 だが、わざわざ案内したという事は、ただの祭壇という訳ではないのだろう。

 ならば一体どのような代物なのかと疑問を口にした時だった。


「よくぞ聞いてくれましたッッ!!」


 突然、それまでの穏やかな優男といった雰囲気から一転、ハイテンションになったクリストフが叫ぶ。


「この祭壇は『神饌しんせんの祭壇』という聖遺物でございます!」


 聖遺物とは、かつて神々が存在していた時代に生まれた、人の手では作り出す事の出来ない特殊な物品の総称である。

 それは選ばれた者にしか抜けない剣や、放たれた矢がどこまでも対象を追尾する弓、あらゆる魔法の知識が秘められた本といった伝説級の武器から、一定の重量までなら容量を無視して何でも物が入る鞄や、水が自動的に補充される水筒といった便利な道具や日用品まで、様々な物がある。

 それらは主に冒険者によって遺跡から持ち帰られ、希少度レアリティにもよるが概ね高値で取引されている。

 そういった聖遺物に対して異様な執着を見せる、聖遺物マニアという人物も一定数存在しており、このテンションの上がり具合から察するに、どうやらクリストフはそれに該当するようだ。


 クリストフの説明によれば、この『神饌の祭壇』の効果は、神に対して捧げ物をする際に、それを神の元に直接送る事ができる……という物だという。

 どうやら、かつての神々がいた時代にはありふれていた物らしく、現代まで残っている物も多く、同じ物が各地の神殿に設置されているとの事だ。


 だが現代では、この世界の神々は既に去っている為、この祭壇で神の元に物品を送る事は不可能であり、無用の長物と化しているのが現状である。

 ところが、そんな埃を被っていた、使い道の無かった聖遺物に、思わぬ役目が出来た。


「しかぁしッ!もしも貴方がこの神饌の祭壇を使い、アルティリア様の元に供物を送る事が出来たならば、それはアルティリア様が神である事の証明となる!そう我々は考えましたッ!」


「なるほど……しかし、あんたは試してみたりはしなかったのか?」


「そうしたいのはやまやまですが、この祭壇で神に供物を捧げるには、対象となる神の御名と御姿を思い浮かべる必要があり、また相手の神も、供物を捧げる者の名と姿を知っている必要があるのです……」


「神様も、知らない奴からの贈り物は受け取ってくれないって言う事か」


「ええ、よって当時も、使える者は限られていたようです」


 神に直接会って、名前を憶えて貰えるような信者が、遠く離れていても神に信仰の証を捧げる事が出来るようにする……そのような目的で作られた物なのだろうと、ロイドは推察した。


 そして果たして、自分はそれを使うに足る人間なのだろうか、と考える。

 一方的に助けられただけの存在。去り際に名前を教え合った、ただそれだけの関係。

 果たして彼女は、自分なんかの事を覚えていてくれるだろうか。

 彼女が神である事に対しては一片の疑いも持っていないが、彼女が自分の事など忘れており、それによって祭壇が何の効果も発揮しないという可能性を、ロイドは捨てきれなかった。


 そんな不安を抱きながら、ロイドは金貨の詰まった袋を、祭壇にそっと置いた。昨夜、クラーケンの討伐報酬として受け取ったものだ。


「アルティリア様。貴女が我々を助けてくれた際に倒した魔物の討伐報酬です。神にとって人間の通貨が有用な物なのかは分かりませんが、これは貴女の功績に対して支払われた物でありますので、お返しいたします。どうか、お受け取り下さい」


 ロイドは祭壇に跪き、アルティリアの姿を思い浮かべながら、一心不乱に祈った。彼の後ろでは、その部下の元海賊達が同じように祈りを捧げている。


 その時、奇跡が起こった。

 祭壇が淡い光を放ち、捧げられていた金貨の袋の下に、水溜まりのような物が出現したのだ。

 袋はその水溜まりに沈んでいき、やがて見えなくなり、金貨を飲み込んだ水溜まりも小さくなって消えていく。

 最後には、祭壇の上には僅かな水滴だけが残っていた。


「やった、消えたぞ!」


「アルティリア様が受け取ってくれたんだ!」


 捧げ物が無事に、神の元に送られた事を悟って、元海賊の男達が大喝采する。

 それを背中に受けながら、ロイドは悔やんでいた。


(俺は馬鹿だ……!アルティリア様が俺の事を忘れているかもしれない等と、あの慈悲深い御方の事を疑った!申し訳ありません、アルティリア様……!!)


 こうべを垂れ、心の中で彼女に詫び続けるロイドだったが、その時、不思議な事が起こった。


 神饌の祭壇が、再び光を放ったのだ。

 しかも、それは先程、供物を送った時のような淡い光ではなく、目が眩むような激しい光だった。

 一同は思わず目を閉じ、やがて光が収まって、目を開いた時だった。


「なっ……!こ、これはっ!?」


 驚くべき物を目にしたクリストフが叫ぶ。彼の視線の先……祭壇の上には、先程までは存在していなかった、ある物が乗っていた。


 それは、一振りの刀であった。

 この世界には存在しない、日本刀と呼ばれる独特なデザインのそれは、当然の事ながらこの場に居る全員が、初めて目にする物だった。


「あ、ああ……まさか……まさかこんな事が!私の目の前で起こりえるとはァ!」


「クリストフさん、これは一体!?」


 興奮し、わなわなと体を震わせるクリストフの肩を掴み、ロイドが問い質す。


「し、神饌の祭壇には、神の元に供物を送る以外にも、あともう一つの機能があると伝えられているのです!それは……神から信者への贈り物ッ!それを受け取る機能ッッ!!」


 その言葉に、ロイドが受けた衝撃は計り知れない物だった。


「しかし、そのような事例はごく僅かであり、眉唾物ではないかとも言われていたのですが……まさか、それを目にする事が出来るとは……!おお……私は今ッ!まさに奇跡を目にしたのだアアアアア!そしてッ!神の実在が今ッ!証明されたァッ!」


 体をのけぞらせ、ガクガクと震わせながら絶叫するクリストフの狂態も、最早ロイドの目と耳には入っていなかった。


(アルティリア様……あなたはこんな俺を許し、そして、これほどの武器を、俺に授けてくれたのですね……)


 ロイドが刀を手に取り、それをゆっくりと鞘から抜く。

 不思議な事に、刀身の表面は水に塗れている。しかしその水は床に零れ落ちるような事はなく、また水に塗れた事によって刀身が錆び付く様子もなく、むしろ清らかな水によって常に洗い清められる事によって、刀身には僅かな汚れや曇りの一つすらなく、清浄な輝きを放っていた。


(ならば、俺はこの剣に誓おう。この身の全てを、あの方に捧げると。そしてこの剣を授けられるに相応しい人間になれるよう、誇り高く、強く生きよう)


 後に海神わたつみ騎士団と呼ばれる、海の女神を祀る神殿直属の騎士団。

 その初代団長、ロイド=アストレア、覚醒の時であった。

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