この世界で生きていくのは本当はすごく嫌なんだろう。捕鯨船団の母船に乗った君は鯨にそう言って泣いていた。その気持ちの一ミリさえ触れられないのを知っていて、私は君の肩を抱いた。私たちの可視する世界はあまりにも刹那的すぎている。例えばあの真っすぐに伸びるビル群の肉は簡単に崩れ去ってしまうもので、いつか私たちの生きた証は太陽の熱光線と爆発でなかったことになる。私たちの呼吸は私たちの人生と同じなのだと言ったのは船長だった。ここはノアの箱舟なのに、死んだ鯨を大きな口で飲み込んでいる。世界は繊細過ぎるのに、私たちは凶暴化しているし、浅慮すぎるのだ。泣いている君よりもこの世界のほうがかわいそうだった。嘆くのは私たちの仕事でも権利でもなくなった。ただの無意味な行為になっている。だから私は君のために鯨になった。泡になって消えたりなんてしない。私はこの世界で大きなひれを動かして静かに泳ぐのだ。捕鯨船団すらも飲み込む鯨になって君を救いたい。

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