終章 ×日目 エピローグと後日談。

24 エピローグ

「ちょっとごめん。新条さんって、今日来てる?」


 一年B組教室の扉に手をかけ、そこにいた男子生徒に声をかける。声に気付いたその男子生徒は、俺の顔を見るなり、うんざりしたような呆れたような顔を隠そうともせずに俺に向けて、そして心底面倒くさそうに言った。


「新条なら、今日も来てないっすよ」

「そ、そっか。ありがとう……」


 そこまであからさまに嫌そうな顔をされると、こちらも引きつった笑顔を浮かべずにはいられなくなる。


 扉から手を離して、昼休みで人がまばらに通っている廊下を歩き出す。


「あの先輩、毎日必ず来るけどさー、結局何者なの?」

「知らんわからん。新条が警察に捕まったって、知らないのかな」

「いや、知らないわけないだろ。だって、新条は連続殺人犯なんだぜ? あんだけ大々的にニュースで取り上げられたし、一昨日くらいまではこの学校の奴らみんなその話しかしてなかったのに、知らないなんてことがあるかよ」

「じゃあ、新条の彼氏とか? 今となっては元カレだけど」

「ありえるな。恋人が殺人で捕まって、それで気が違っちゃったんじゃないか?」

「お前、あんまそういうこと言うなよ。人のことを気が違っちゃってるとか」


 背後から聞こえてくるのは、そんな会話だった。どうやら俺は、一年生の間でキチ〇イだと認識されているらしい。まったく、こちらがなにも言わないからって好き勝手に言ってくれる。


「ほんと、一年生風情は好き勝手言ってくれるよ。雨宮くんはむしろ、気が違った状態から復活したようなものなのに、復活したあとのほうが気が違っちゃってるなんて、みんな雨宮くんのことをちゃんと見てないんだ」


 西川のこの登場の仕方にも、俺は慣れてしまった。あの日以降も、西川は幾度となくこうして突然ぬいっと俺の目の前に現れては、無駄話を半ば一方的にべらべらと喋りまくって、そしていつの間にか消えている。まるで亡霊のような行為だけれど、西川の身体には触れることができる。しっかりとした実体がある。


 いっそ亡霊だったらよかったのに。


「お、雨宮くんが今、わたしのことを考えてくれている気がする。うーれしーなー」


 ぶれっぶれのテンションとわけのわからない言い草は相変わらずだった。そして俺のほうも相変わらず、西川と話していると非常に疲れる。


「……あ、あの購買から出てきたの、神崎先輩じゃない? 雨宮くんの大好きな、神崎先輩じゃない?」

「いや、別に好きじゃないから……」

「なにその男子中学生みたいなセリフ。ほら、いいから早く声かけてきなよ」

「いや、でもそれって……」

「いいから。早く声かけなって」


 にひひ、と邪悪に笑う西川。こいつは本当に底抜けに性格が悪い。大げさでもなんでもなく、西川は世界で一番性格が悪い女子高生だと思う。


 嘆息してから、俺は菓子パンの袋を手に持った神崎先輩の後姿に近づく。俺は西川に抵抗することなく、言われた通りに行動してしまっている。これは西川に催眠されているからなのか、俺が自分の意志で神崎先輩に声をかけたかったからなのか。


 わからない。


「あの、神崎先輩」

「……ん?」


 神崎先輩は振り返って、そしてきょとんとした顔をする。


 まるで俺とは初対面かのような。


 ……神崎先輩からしたら、本当に俺と初対面なのだろう。


「んー、なにかな?」


 困ったような、複雑な笑顔の神崎先輩。そんな笑顔を、そんな寂しい表情を俺に見せたのは、初めてだった。


「あ……いや、なんでも、ないです」

「そう? じゃあもう行くね?」

「はい……」


 神崎先輩は最後に不思議そうな顔で俺を一瞥してから、俺に背を向けて、さっきよりも若干早足で階段を昇って行った。


 これが本来あるべき神崎先輩の姿なのはわかっているけれど。


 これが、本来の俺と神崎先輩の関係性なのはわかっているけれど。


 この胸の下あたりに蟠る感情の正体はいったい何なのだろう。


「あらら、神崎先輩、雨宮くんに対してずいぶんと素っ気なくなっちゃってたね。酷い別れ方をした元恋人同士みたいな距離感だったよ。なんかあったの?」

「お前は……」


 神崎先輩の催眠が解けた瞬間、神崎先輩が催眠されていたときの記憶、つまりは、本来友人関係であるはずのない俺とのあれこれの記憶を、すべて失ってしまったらしいことは既に西川から知らされていた。


「いやいや、冗談だよ。お願いだからそんな怖い顔しないでよ、雨宮くん」

「頼むからもう嫌がらせはやめてくれ」

「嫌がらせじゃないよ。冗談だって言ってるじゃん。それに、雨宮くんはわたし以外に女子の友達も知り合いもいないんだから、あんまりわたしのことをないがしろにしないでほしいな」

「それは今関係ないだろ」

「あれれー? いいのかなー? わたしがいなくなったら、雨宮くんは卒業まで一言も女の子と話せない、灰色を通り越して真っ黒な青春をおくることになっちゃうけど、いいのかなー?」

「わかったわかった。もうないがしろにしないから」


 正直、俺の西川に対する認識として、西川が女子であるという認識は薄い。西川と話していても、女子と話しているという感覚にはあまりならない。西川は、女子でも男子でもない別の、第三の存在のような認識だ。


「そうだよ。もう幼馴染もクラスメイトも後輩も先輩も、事実上いなくなっちゃったんだからさ、雨宮くんはわたしひとりに決めるべきだよ。そうだよ。他の女がいないんだから、わたし一択になるじゃん」

「まだ上条さんがいるだろ」

「へー、雨宮くんはあんな年増女が好きなんだ? そっかそっかー。まああの人巨乳だもんねー、雨宮くんも男子高校生だし、肉欲に正直になるなら、歳とか関係なくスタイルが良い方を選ぶよねー、そっかそっかー」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「じゃあ、わたしのこと好きって言って?」

「え」


 少し腰を曲げて、上目遣いで俺の顔を覗き込んで、そんなことを言ってくる西川。


 催眠の天才。


「俺は、西川のことが……」

「うん」


 こんなときにも西川はいたずらっぽい邪悪な微笑を浮かべている。


 俺は西川のことが好きか否か。


 常識的尺度で考えれば、俺が西川のことを好きになるはずなどない。というのも、この西川という女は、俺のことを愚弄し、そして愚弄し、次いで愚弄しつくした張本人なのだ。俺が、自分に都合の良いことだけは疑わずに受け入れる愚かな人間だということを、超大掛かりな作戦と、なんでもありな滅茶苦茶な超能力でもって証明してみせた人なのだ。そうやって俺のことをさんざん愚弄した人間を、俺が好きになれるはずがない。むしろ憎悪するのが自然だと思われる。俺が西川に好意を寄せるなんて、常識的に考えて絶対にありえないことだ。


 だけれど、俺は。


 俺の答えは。


「好きだよ」


「……雨宮くんならそう言ってくれると思ってたよ」


 西川は、俺が今まで見たこともないような、一片の曇りもない無垢な笑顔を顔一面に咲かせて、そして俺に抱きついた。


 最初から西川は、これが狙いだったのかもしれない。最初から、俺にこの言葉を言わせるためだけに、西川はあんな大掛かりなことを仕掛けたのかもしれない。俺の感情が揺さぶられる瞬間というのは、殺人事件が起きた瞬間のことではなく、今この瞬間のことを言っていたのかもしれない。それは、西川のみが知るところだ。


 そして、もうひとつ。


 俺の言葉が、自分の意志で言った自分の言葉なのか、それとも西川が俺を催眠して俺の意志とは関係なく無理やり言わせた言葉なのか。


 その真相を知っているのも、世界で西川ただひとりだけだ。

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俺くんの感情を揺さぶるためのたったひとつの冴えたやり方 ニシマ アキト @hinadori11

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