21 キーアイテム

「誰もいないじゃないか……」


 膝に手をついて息を切らせながら河原を見渡してみたが、ここには人っ子一人ないうえに、なにも手掛かりらしきものさえなかった。


 額に滲んだ汗の雫を腕で拭き取ってから、ここに用がないといっても他のどこかに用があるわけではないので、適当にごりごりした河原の石を踏んで散策する。


 それにしても、本当になにもない。殺人犯らしき黒づくめのパーカーを着たような明らかな不審人物はいないし、何か重要そうな手がかりもといヒント、あるいは証拠品なんかもここにはありそうにない。


 川のそばまで来て、しゃがみ込んだ。この川に透明感は皆無だった。茶色いような、深緑のような、なんだかよくわからない色によって若干濁っている。


「…………」


 こうして川のせせらぎを眺めていても、全く心が落ち着く気配がない。むしろ焦燥がどんどん募っていくばかりだ。


 俺はなにを焦っているのだろう。


 なにを焦ることがあるのだろう。


 すると、俺の眺めていた川に、突然、ぽちゃんと小さな水しぶきがあがった。


「あら、ゼロ回……いつの間にかかなり腕が落ちてしまった……」


 しゃがんだまま背後に振り返ると、そこには肩を落としたスーツ姿の女性。いや刑事。


 上条さんがいた。


「雨宮さん、学校はサボりですか? 感心しませんね」


 言いながら、上条さんは腕を組んでこちらに近づいてきた。上条さんのその冷た

い無表情で見下されるのがなんとなく嫌だったので、俺は即座に立ち上がった。


「僕だって、たまにはサボりたくなるときがあるんですよ」

「雨宮さんとは昨日知り合ったばかりなので、わたしのなかで雨宮さんは不良生徒だという印象が根付いてしまいました」

「まあ、別に僕はそれでもかまわないですけど」


 少なくとも俺は、優良で模範的な生徒とは言い難い。だからといって、はっきりと不良生徒であるかといったらそうではないのだけれど。


「それで、雨宮さんは学校も行かずに、制服を着て手ぶらで、暢気に川を眺めて黄昏ていたんですか。わたしはこうして一生懸命仕事に勤しんでいるというのに、高校生は気楽でいいですね」

「…………手ぶらはあなたも同じでしょう」


 ぐうの音も出なかったので、せめてもの抵抗として、自分でも意味の分からない指摘をしてみた。


「わたしは手ぶらのほうがなにかと都合がいいんですよ。というか、わたしが手ぶらであることなんてどうでもいいでしょう」


 ふぅ、とため息を吐く上条さん。


「そういえば雨宮さん、また人を殺したんですか?」

「いや、殺してませんよ。まだ僕のことを疑ってるんですか?」

「今日、また女子高生の銃殺死体が発見されました。本当に嫌になっちゃいますね」


 額に手を当てて、しばし瞑目して上条さんは言った。


「雨宮さん、もう全部バレてるんでさっさと自首しちゃってください」

「いやだから、僕は犯人じゃありません」

「じゃあ誰が犯人なんですか? わたしにはもうわかりません」


 上条さんは珍しく無表情ではなく、ぷいっとそっぽを向いて、子供が拗ねたような表情になった。


 およそ刑事とは思えない言動と表情だった。


「もう雨宮さんが犯人ってことにしちゃいましょうよ。ほら、わたしが今持ってる拳銃に雨宮さんの指紋をべったりつけて、ついでに三発くらい無駄撃ちすれば、立派な証拠のできあがり」

「冤罪なんてやめてください」

「裁判では九十九パーセント検察側が勝つって知ってますか? ゲームみたいに弁護士側が逆転勝利する裁判なんて実際にはほとんど、いや全くと言っていいほどないんですよ。だからこの適当にでっち上げた証拠でも、雨宮さんを刑務所にぶち込むための証拠として十分に機能します」


 冗談抜きで恐ろしい話だった。それに、上条さんが冗談とは思えないような声のトーンで言うので、少し焦る。


「……そ、そんなことがもしバレたら、上条さんは一生社会復帰できなくなるかもしれませんよ?」

「何言ってるんですか。冗談に決まってるじゃないですか。本気にしないでください」


 また、ふぅ、と上条さんはため息を吐いた。こちらとしてはため息を吐かれる意味がわからない。


 相変わらずわけのわからない話し方をする人だった。


「では、わたしは仕事、事件の調査があるので、もう行きますね。雨宮さんもそんなところでいつまでも青春ぶってないで、さっさと学校に戻って授業を受けてきた方が将来のため、身のためですよ。人生の先輩からの助言です」

「はあ、わかりました」


 俺にはこれっぽっちも学校に戻る気はなかったけれど、大人の言うことにはとりあえず頷いておくという高校生なりの大人に対する処世術を身に着けていた俺は、適当に上条さんに頷いてみせた。


「それでは」


 言い残して、上条さんは俺に背を向け、道路のほうへと歩いて行った。


 その後ろ姿を何も考えずに呆然と眺めてから、そして上条さんが完全に見えなくなってから、今更はたと気づいた。


 西川(仮)の言った『犯人のいる場所』であるこの河原に現れた上条さん。


 ということは、つまりは――


「あの人は犯人じゃないよ、雨宮くん」


 急に耳元で囁き声が聞こえて、俺は腰を抜かしそうになった。いや、実査に腰を抜かしてしまった。河原に広がる無数の石ころの上に、派手に尻もちをついてしまった。


「あはは、女の子に囁かれただけで腰を抜かしちゃうなんて、よっぽど女慣れしてないんだね。雨宮くんのそういうところ、わたしは好きだけどな」

「いってぇ……」


 痛みに苦悶しながら、俺はゆっくりと立ち上がった。


 女の子に囁かれたから腰を抜かしたのではなく、西川(仮)の声にはなにか、全身の力を一瞬にして引き抜くような、そういう不思議で不可抗力的な力があって、俺はその力にに咄嗟に対処できずに腰を抜かしてしまっただけ、のような気がする。


 気がするだけで、もしかしたら本当に俺に女の子に対する免疫がないだけかもしれない。


「残念ながら、あの巨乳な女刑事さんは犯人ではありませーん。そして、ここに犯人がいるというのも嘘でしたー。でもがっかりしないで、雨宮くん。まったくの無駄足ってわけでもないんだよ」


 にやにやと嫌な笑みでそう言って、それから俺の五歩先くらいの場所までとんとんとスキップしながら行って、そこで西川(仮)は屈んだ。


「ほら、雨宮くん。ちょっとこっち来て」


 屈んだままこちらを向いて、ちょいちょいと招き猫のように手招きをする西川(仮)。俺は言われるまま、西川(仮)の傍まで来て、そして屈んだ。


「ほら、ここだけちょっと石がもりあがってるの、わかる?」

「んー?」


 確かに、一部分だけ、石が不自然にもりあがっていた。まるで、その一部分だけ地面の高さが高いような。


 すると、西川(仮)はそこの石をひとつどけて、下にある地面を太陽のもとに晒した。


 いや、これは地面……なのか?


「あれー? ナンダローネコレー。タダノツチジャナイゾー?」


 わざとらしくそう言って、俺にもっと石をどけるように手で促す西川(仮)。促されるまま、いや俺の純粋な好奇心でもって、俺はすべての石をどけた。


 そこからは、一冊の文庫本が発掘された。土にまみれて、だいぶ汚れてしまっている。本棚にこの本を入れたいとは微塵も思わない。


「なんだ、これ……」

「ほら、早く土をはらって、本の題名を読み上げて」


 手でぱっぱっと表紙の土を払い、そこに現れた題名を読み上げる。


「流血と肉片の青春……?」

「これ、雨宮くんは見覚えあるんじゃないの?」


 これは……流血と肉片の青春……誰かが持っていた。


 すぐに思い出した。いくら記憶力が悪い俺とはいえ、さすがにここ数日のことならば余裕で覚えている。


 保健室にサボりに行ったとき。あのとき。


 あいつが持っていた小説だ。


「なんでこんなところに、この本が……?」

「ところで雨宮くん、あっちを見てみて」


 西川(仮)が指さした方向には、河原の遥か向こう。ここからは三十メートルほど離れているであろうところに、なにやら黄色い直線が見えた。


 あれは……規制テープか?


 警察が事件現場に張り巡らすことで有名な、立ち入り禁止を意味する黄色いテープ。テレビの中では幾度となく目にした代物だけれど、現実で見るのは初めてだった。


「あそこに規制テープが張られてるでしょ。あそこはね、二人目の被害者である川崎さんが殺された場所なんだよ」


 二人目が殺人された場所。犯行現場。そこに落ちていた一冊の文庫本。その本の所有者ははっきりしている。ということは……。


 いやでも、たったそれだけの証拠であいつを犯人だと疑ってもいいのだろうか。たった、犯行現場の近くに落とし物があったというだけのことで、あいつを犯人だと疑ってもいいのだろうか。


「わたしさ、一昨日の夜見ちゃったんだよね。雨宮くんのよく知っている、肩にちょっとかかるくらいまで伸びた明るめの髪の女子高生が、ここで拳銃をぶっぱなしているのを、見ちゃったんだよ」

「それは……本当か?」


 さっきもこいつは、河原に犯人がいると嘘を吐いた。そしてその嘘を吐いたことを全く悪びれもせず、まるで自分が人を騙せたことを褒めてほしいと言わんばかりな様子で自分の嘘を暴露した。


「嘘じゃないよ。これはほんとに本当。もしもこれが嘘だったら、わたしの身体は雨宮くんの好きにしてもらっても構わないよ」


 俺は屈んでいた体勢からすっくと立ちあがって、それから学校に向けて走り出した。あいつがこの時間帯にいる場所といったら、普通に常識的に考えて学校しかないだろう。


「あはは、学校にいるわけないのに。意外と猪突猛進なんだね、雨宮くん」


 背後から聞こえるその声は無視して、というか脳で処理できなかった。


 精神的疲労に次ぐ肉体的疲労に、俺は正常な判断ができなくなってしまっていたのかもしれない。

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