ある高校生の独白④

 この大きな鈍い音にも、私はだんだんと慣れつつある。


 その音が響き終わるのとほぼ同時に、対象は断末魔をあげる余地もなく絶命し、その身体はばたりと崩れ落ちる。


「ふぅ……」


 意味もなく黒の革手袋を嵌めた両手でパンパンと埃を払いながら、死体へと近づいていく。


 死体の傍で屈んで、その表情を確かめる。三人目も、一人目や二人目と同じような悲痛に歪んだ表情だった。三人それぞれに目の開き具合や口角の歪み具合に差はあれど、同じような表情に変わりない。


「つまんないなぁ……」


 三人とも同じ殺し方をしてしまった私も悪いと言えば悪いのだけれど、それでもこうも同じ死に方と同じ表情をされると、なんだか殺しがいがないというか、マンネリ化していてつまらないというか。


 一応、死んでいるかどうかを確認するため、身体を屈めて、血が滲んで赤黒く染まっている服の上から、死体の心臓部分に手を添える。


 ……鼓動の振動は伝わってこない。


「まあ、そりゃ死んでるよね」


 三人も殺していれば、慣れたものだ。二人とも銃弾一発で殺すことができたのだから、三度目の正直なんて言うまでもなく、確実に殺すことができる。ここまですべて成功してきた私が、今回に限って失敗するはずがない。最初から成功しかしていないのならば、失敗から学ばずとも安定して成功できる。


 屈んでいた体勢からすっくと立ちあがり、首を回して辺りを確認してみる。


 一人目のときは、運良く現場の近くで爆竹を鳴らしている人がいたから、近隣住民にその発砲音を不審がられずに済んだけれど、二人目のときと三人目のとき、つまり昨夜と今夜は、一人目のときのように都合よくちょうど良い雑音が用意されているはずもなかった。私はそこまで運が良いほうではない、いや、むしろはっきりと私は運が悪いのだ。だから今夜は、せいぜい虫の鳴き声くらいしか夜の住宅街には雑音がない。そんな、脆弱な虫たちが発する精一杯の雑音ごときで、強靭なる人間の英知の結晶たる拳銃の発砲音を覆い隠せるはずもなく、それなりに大きい音、雑踏の中で突然この音が発されれば誰もが振り向くほどの大きな音が、むき出しの状態でここら一帯に響き渡ってしまった。


 だから一応、さっきの爆音を不審に思って、その音の発生源たるこの場所に近づいてくる人がいないかどうか、確認する。


「…………んー、まあ、大丈夫かな」


 私に暗視のスキルがあるわけではないから、周囲の薄暗闇をなんとなく見回してみて、それでなんとなく人影の輪郭のようなものが見えなかったというだけだ。だから、確かに周囲に人がいないと断言することはできないけれど、しかし、どうせそこに人がいたところで、私は別に構わないのだ。三人も殺してしまっているから、多分警察が私を事件の犯人だと断定するのも時間の問題だろう。いや、もう秒読みかもしれない。


 ……それに、昨夜の、あの謎の女子高生の件もある。


 あの女子高生は、自信満々に、いや自信満々というより余裕綽々で、私のことを殺人事件の犯人だと断定した。偉そうに上から目線で、『とぼけなくてもいいんだよ。警察に言ったりはしないから、安心して』とかのたまいやがったのだ、あいつは。


 あの、身体の力を根こそぎ引き抜くような不思議な力さえなければ、私はあんな女子高生に精神的優位に立たせたりしなかったのに。あの飄々とした笑顔を一気に青ざめさせるような言葉を囁くことだってできたのに。


 私はあの女子高生に愚弄されたのだ。あの女子高生はあろうことかこの私を愚弄しやがったのだ。三人もの人間の命を奪っているこの私が、あんなただのどこにでもいそうな女子高生一人に愚弄されることなんて、本来あってはならないことだ。本来ありえないはずのことを、耳元で囁くというたったそれだけのことで、あの女子高生はいとも簡単にやってのけやがったのだ。


 ああ、無性に腹立たしい。


 ……もしかしたら、今も、あの女子高生はにやにやした嫌な笑みを浮かべながら、どこかから私のことを観察しているのかもしれない。ああ、想像するだけでも拳に力が入ってしまう。


 でも、だからといって、私は血眼になってどこかから観察しているのであろう女子高生を探し出したりはしない。そんなことは無駄だ。無益だ。無意味だ。


 一度大きく深呼吸をした。わずかに臭い始めている死体の腐臭が入り込んできて、少しせき込んだ。死体の傍では深呼吸も満足にできない。その腐臭ごと大きく息を吐いて、精神を落ち着かせる。愚弄されたからといって、それで頭を熱く沸騰させて怒り狂っていたら、それこそあの女子高生の思うつぼだ。私はそんな愚行はしない。


 そして、死体から離れる。現場から離れる。


 黒の革手袋を外して、あくびを押し殺しつつ、およそ殺人犯とは思えないほど余裕たっぷりな高校生を演じながら、帰路を辿る。


 だが、その演技にはあまり意味がなかった。というのも、その道には誰一人として人が歩いていないから。それもそのはず、もしここに人が歩いていたならば、私は既に警察に通報されていたことだろう。


 と、思っていたのもつかの間。


 街灯が照らす光の向こうの闇から、ぬるりと女性が現れた。スーツ姿で、手には何も持っていなかった。


 どこかの会社員だろうか。ならなぜ鞄やバッグを持っていない? いやそんなことよりも、今この道を歩いているということは、この女性はさっきの発砲音を聞いているかもしれないのだ。発砲音を聞かれていることが、そのまま私が疑われることに繋がるわけではないけれど。


 特に目を合わせることなく、露骨ではない程度に横目で様子を窺いながら、さっさとすれ違ってしまおうとしたすれ違いざま。


「あ、ちょっとそこのあなた」


 女性が突然立ち止まって、私の方に首を向けて、そして声をかけてきた。激烈に久しぶりに、道行く見知らぬ人に声をかけられた。


 女性は無表情だった。


「……はい? 私ですか?」


 この道には私とこの女性しかいない。


「そうです。あなたですよあなた。ここにはあなたしかいないでしょう。まったく、最近の高校生は自意識が不足しすぎてますね」


 無表情で額に手を当てる女性。


「……えーっと、なんですか?」


 なぜ突然、この女性は私に声をかけてきたのだろう。世間話でもしたいのだろうか。だが、この女性は見たところ、大学一年生くらい、つまりぎりぎり十代くらいに見えるルックスをしているから、見知らぬ人と世間話をしたがるほど精神が老いているとは思えないのだけれど。


「ああ、いや、あなたがこんな時間に何をしているのか、興味がありまして」


 女子高生が夜に何をしているのかが気になる女性。字面だけで見ると、そこはかとなく犯罪的だ。


「え、いや、家に帰ってる途中ですけれど……」


 多分そんなことを訊いているのではないだろうことはわかっているけれど、私はあえてはぐらかすようにとぼけてみせた。


「わたしはそんなことを訊いているのではありません。それくらいわかるでしょう。まったく、最近の高校生の間では屁理屈みたいな変な嘘を吐くのが流行っているんですかね」


 また額に手をあてて、やれやれと言った風に言う女性。その冷めた無表情は一向に変わる気配がない。


「わたしは、あなたがこんな夜遅くになるまでいったいどこで何をしていたのかを訊いているのです」

「……なんでそんなことを訊くんですか?」


 もちろん、ここで正直に『人を殺していました』と言うわけにはいかない。だが、かといって私は咄嗟に嘘を思いつくことができなかった。だから無理やり場を繋いだ。


「わたしがそれに興味があるからです。そこに深い意味などありません。わたしの純粋な興味です」

「……通報しますよ?」


 どう嘘を吐こう。現在時刻は多分およそ二十三時。友達と遊んでいたといっても誤魔化せないかもしれない。よほど放任主義の家庭ならばこの時間まで遊んでいても許されるのかもしれないけれど、それはよほどの場合だ。この女性には信じてもらえないかもしれない。ならば、学生らしく塾に行っていたと言おうか。だけれど私は、高校三年生には見えないほど幼い容姿をしているから、これも信じてもらえないかもしれない。高校一年や二年がこんなに夜遅くまで熱心に勉強しているとは考えにくいだろう。


「どうぞご勝手に。通報ならいくらでもしてもらって構いませんので」


 腕を組んで、豊満などっしりした胸をその腕で支えながら、当然のことのように言ってのけるスーツ姿の女性。


 いくらでも通報されても構わないとは、では、この女性は一体何者なのだろう。世捨て人か。いや、世捨て人がこんな綺麗なスーツを着ているはずがない。


「さあ、あなたはどこでなにをしていて、それでなぜこんな夜遅くにここを歩いているのですか? 答えてください」


 およそ人にものを訊ねるときの態度とは思えないほど大きな態度だったけれど、この女性は見た目からの憶測ならば私よりも年上なので、私としてもあまり強気なことは言えない。


「…………………………ちょ、ちょっとコンビニまで散歩を……」


 土壇場で口をついて出たのは、そんな、あまりに低レベルな嘘だった。


「じゃあ、なぜ制服を着ているんですか?」


 女性は『嘘つけ』と私を一蹴することなく、至って冷静に疑問点を挙げた。


「……あー、着替えるのが面倒くさくてー……」


 自分でも低いとわかるほどの低レベルな嘘とはいえ、今更それを撤回するわけにもいかない。一度言ってしまったからには、この嘘で押し通すしかない。


「はあ、そうですか。……ふふふ、懐かしいですね。わたしも高校生の頃は、制服を着たままベッドで眠ってしまって、よく親に叱られたものですよ」

「…………は、ははは……」


 この女性の高校時代の話なんて、私は死ぬほど興味がなかったけれど、とりあえず曖昧な愛想笑いを浮かべておいた。少しでも、私が不審者ではなく愛想のある常識人であるという信頼を得ておかなければならない。


「おっと、これは失礼しました。わたしの高校時代の話なんて聞かされても困りますよね。はい、教えていただきありがとうございます。それではさようなら。くれぐれも夜道にはお気を付けくださいね」


 そう言うと、女性は組んでいた腕を解いて、それから私とは逆方向に歩き始め、やがて夜の闇に溶けていった。


 完全に影が見えなくなったところで、私はまた、大きく深呼吸をした。私は、何かを誤魔化すのが致命的なまでに下手くそなようだ。まったく危ないところだった。


 それに、自分ではいつでも警察に捕まっても構わないとか考えておきながら、いざ疑いを持たれそうになったとき、必死に取り繕って疑いを晴らそうとしていた自分の存在に私は初めて気が付いた。私は自分で思っているよりもずっと浅ましい人間であるらしい。


 いや、違う。浅ましいのではない。


 私はまだ、ここで終わるわけにはいかないのだ。まだ三人しか殺してないのだから、ここで終わってはいけない。どうして私は今まで、いつ終わっても構わないなんて思っていたのだろう。


 まだまだ終われない。ここで終わるわけにはいかない。


 まだまだ全然、掃除は完了していない。


 だから、こんなところで警察の縄にかかるわけにはいかないのだ。


「……よし」


 決意を新たに固めたところで、私は足を家の方に向けて動かし始めた。


 私の掃除はまだまだ終わらない。完了するにはまだまだほど遠い。

 

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