19 思考中毒者
家の玄関の扉を開けると、そこには半裸の女の子がいた。ピンク色の下着が、上半身と下半身にひとつずつ。それ以外の衣服は一切身に着けておらず、その滑らかそうな白い肌を存分に晒している。
「おかえりー、にーちゃん」
妹は一昨日と同じく、腰に手を当てて瓶の牛乳をぐびぐびと豪快に飲んでいる。
「だから、お前ちゃんと服着ろって。風邪ひくぞ」
「めんどくせーし、あたしはそんな弱い身体してないし」
「なんなんだその謎の自信は……」
「お兄ちゃんからすれば謎かもしんないけどあたしからすれば確固たる確かな自信なのー。もー、いいからほっといてよ。受験勉強でストレス溜まってんだからさ」
「……わかったよ。ごめんな」
チッと舌打ちして、牛乳を手に持ったまま妹はリビングのほうへと消えていった。せっかく兄が謝ってやったのに舌打ちされるとは、あの妹もずいぶんと態度がでかくなったものだ。昔は、俺たちがまだ小さかったころは、妹はずっと俺の服の裾をちょいとつまんで、そして俺のあとをずっと付いてきていたりしたのに、今では本当にそんな過去があったのかと疑ってしまうほど、あんなにも傲岸不遜になってしまったのかと思うと、やはり時間の流れというものは残酷なものなのだと思い知らされる。
軽く嘆息してから、のしのしと重い足取りで二階へと階段昇る。家に帰ってきた途端に力が抜けて、一気に疲れがのしかかってきたからなのか、ひどく膝が重い。
猫背になりながら自室の扉を開けて、背負っていたリュックを床に放って、そのままベッドに身を投げ出した。
鉛のように重い瞼を根性で開き、うつ伏せになっていた身体を仰向けに反転させる。どうせ、その重さに任せて瞼を閉じたところで、多分俺は眠ることができないのだろうけれど。
シミひとつない白い天井を眺めながら、もう一度、さっきとは意味の違う嘆息を吐く。
俺の脳内を、さっきからずっとメリーゴーランドのように騒がしくぐるぐると回り続けている事柄。
それは、昨日と一昨日の連続殺人事件。俺の幼馴染、西川美香が殺された事件。なぜか、俺が犯人候補として疑われた事件。
昨日と一昨日で、二日連続で銃殺死体が発見されているということは、つまり、流れ的に考えると今夜もまた誰かの銃殺死体が発見されるということなのだろうか。また、女子高生が銃弾一発で身体を貫かれて、命を奪われてしまうのだろうか。
あの上条とかいう刑事は、あんな弱い根拠を並べ立ててダメ元で俺に疑いを向けるくらいなのだから、おそらく、捜査は難航しているのだろう。そう考えると、あの刑事が今夜起こるかもしれない犯行を阻止することはほぼ不可能だといえる。
今夜もまた、女子高生が殺害されるのだろうか。俺の身の回りにいる、俺となんらかの関わりを持っている女子高生が、殺されるのだろうか。いや、あの被害者二人が俺と関わりがあったのは、普通に考えれば単なる偶然か。たった二つのケースの共通点から規則性を見出すのはあまりに時期尚早だし、そもそも愚行というものだろう。
それをいうならば、女子高生というのも、被害者のたった二人が女子高生だったというだけなのだから、犯人が女子高生だけを狙っていると断定することはできないのだ。もしかすると、俺が狙われている確率だって、ゼロとは言えない。犯人が、老若男女関係なく目につく人を無差別に殺している場合だって、十分に考えられる。
それに、思考のどこかにひっかかるのが、事件が始まってから現れた、西川美香を名乗る(騙る)あの謎の女子高生。人の良さそうな笑顔で、わけのわからないことを減らず口でべらべらと好き勝手に喋りまくるあの女子高生。
あの女子高生はなぜ俺にあそこまでつっかかってくるのだろう。なぜ俺なんかにちょっかいをかけてくるのだろう。俺という人間のどこにそこまで興味を惹かれているのだろう。俺にはなにもわからない。
それに、怪奇現象なのか超常現象なのか、なんだか得体の知れない謎の現象。急に視界の九割が真っ暗闇に支配されたり、いくら俺の体内時計があまり正確ではないとはいえ絶対に三時間も過ぎているはずがないのに三時間も時間が経過していたり、といったような、あの西川(仮)の近くにいるときだけ起こる謎の現象の数々。これに関しても、オカルト的知識のない俺にはなにもわからない。科学的なことさえわからないのに、非科学的なことがわかるはずがない。
「なんなんだ、あいつは……」
無意識に閉じてしまっていた瞼の裏を見つめながら、俺の知る西川とはどこも似ていない西川(仮)の姿を思い浮かべる。
髪色は日本人らしい純粋な黒。髪型はキノコを連想させるようなショートボブ。顔はそれなりに整っている。ただ、その黒い瞳には、ずっと見つめていると、吸い込まれてしまいそうになる錯覚に陥るような、奇妙な魅力がある。でもその瞳は綺麗というわけではなくて、吸い込まれるといっても、それはブラックホールのようなものに吸い込まれそうになる感覚と似ているから、やはりその瞳は奇妙に尽きる。そして、身体からはほんのりと花の蜜のような良い匂いがする。身長はおそらく、俺との目線の高さの差から考えると百五十五センチほどだろう。胸は控えめ、揺れているところを見たことがない。胴は短く足が長い。いつも黒のタイツを履いている。服装は、いつも学校指定のブレザー。ブレザーの下はワイシャツとリボンのみで、セーターなどは着ていない。
高校生とは思えないような子供っぽい雰囲気を纏うこともあれば、それがまるで幻想であったかのように大人っぽい雰囲気を纏うこともある。とにかく、西川(仮)の印象を一言でいうのなら、不思議の三文字に尽きる。
そう、兎にも角にも、あの女子高生は、不思議で謎で奇怪で奇妙で摩訶不思議なのだ。
俺には、あの女子高生の人格を紐解くことなど、到底できそうにない。
「……それなら、考えていても仕方がない……」
殺人事件にしても、西川(仮)のことにしても、俺がいくら考えたところで状況はなにも変わらない。俺がいくら必死に頭を回したところで、真実に辿り着くには何十年、いや、幾星霜の時が必要だろう。
俺にできることなど、こうして無意味に思考を回すことぐらいしかない。殺人事件を解決することなんてできないし、超常現象を解明することもできないし、謎の女子高生の正体を暴くことだってできない。俺は物語の主人公ではない。そこら辺をふらふら歩いている一般人Aでしかない。だから、身の回りで殺人事件が起きたって、超常現象が起きたって、謎の女子高生が現れたって、俺にできることなどなにもない。せいぜいこうして、目を塞いで無意味な思考を回して暇を潰すくらいしか、物語に関わる方法がないのだ。
「主人公じゃない……」
疲れの赴くままに、制服のままベッドに仰向けになって、自分の前の事実から目を塞いで、考えるだけ考えて結局自分には何もできることなどないと結論付ける。
どこまでもどうしようもなくて、どこまでもくだらない人間。それが俺。
この現実には主人公なんて都合の良いヒーローは存在しない。なにもかもを快刀乱麻ですぱっと解決してしまえる、いっそ超能力者かのような人は存在しない。
ノンフィクションほど聞き心地の悪い話もない。
「もう、どうでもいいや」
主人公ではない俺は、幼馴染が殺害されてしまった事件からも目を逸らす。
逸らして逸らして逸らして逸らして逸らして逸らして逸らして逸らして、結局四度見くらいして、それからもうそのことについては忘れてしまったということにして、知らんぷりをして、自分勝手に納得する。
現実には自分勝手な人間ばかりだ。自分勝手ではない人間が不気味に見えるくらいに、現実の人間は皆自分勝手だ。
だから、殺人事件が起きてしまうのも仕方がないこと。人間は自分勝手なのだから仕方がない。
俺がそれについてあーだこーだと思考するのはあまりに無駄なこと。人間という生物の根本的な部分を変えなければ、殺人事件はなくならないし、いじめはなくならないし、さらにいえば戦争はなくならない。
「……………………よし、風呂入ろう」
また一歩、自分の哲学を間違った方向に進めてしまったところで、俺は目を開けて、白い天井から視線を外してベッドから降りた。
世界中で、毎日人は死んでいる。それがたまたま、昨日と一昨日に、俺の近くにやってきたというだけのこと。
だから、あの殺人事件は俺には関係ない。
俺には関係ない。
俺には関係ない。
関係ない。
関係ない。
関係、ない。
絶対に関係ない。
翌日、佐倉咲の銃殺死体が発見された。
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