18 家路と先輩

 スターバックスからの帰り道。オレンジ色の空の下をちんたらとぼとぼ歩いていると、後ろからとんとんと二度肩を叩かれた。


 振り返ってみると、そこにはやはり神崎先輩がいた。


「こんちゃー、雨宮くん」


 神崎先輩の顔ににこぱっと笑顔が咲いた。


「こんばんは、神崎先輩」

「うおー、あまのじゃく」


 俺に悪態をつきながらも、俺に歩調を合わせて隣に並ぶ神崎先輩。


 ……三日連続で神崎先輩に遭遇したことなんて、今までに一度でもあっただろうか。いや、ない。


「あれ、そういえば、雨宮くんの家って、こことは完全に別方向じゃなかったっけ?」

「そうっすよ。今日はちょっと用事があったので」

「へー。雨宮くんに用事が発生することなんてあるんだー」


 ずいぶんと俺のことを馬鹿にしたような言い方ではあるが、否定することはできない。俺は基本的に放課後は学校からそのまま家まで直帰するのが常なのだ。だから、昨日や今日のように放課後に誰かと連れ立ってどこかへ行くというのは、かなりのレアケースなのだ。


「用事っていうのは、誰かとどっかに遊びに行ったりとか、そういうあれ?」

「そういうあれっすね」

「え。雨宮くんって放課後に遊ぶような友達いたの?」

「あー……まあ……いますよ、そんくらい……」


 あの上条恋日とかいう刑事は、絶対に俺の友達とは言えない存在だけれど、俺に友達がいないことが露呈して、それのせいで神崎先輩に余計な心配はかけたくなかったので、俺は嘘ではぐらかしておいた。


 見栄をはりたいのではなく、あくまで先輩に心配をかけたくないという、健気な後輩の、先輩を想っての行動である。


「その言い方は、いないんだね?」

「はい。いませんね」


 疑われたのであっさりと認めた。というのも、神崎先輩にはもとより俺を心配するような心がないのを知っているからだった。


「あはは、そうだと思ったー。あたしすごいでしょー、雨宮くんの嘘なら全部お見通しなんだよー」


 実際、俺には特に放課後や休日にどこかへ遊びに行くような友達と呼べる友達はいない。たまに休み時間に教室で少し駄弁る程度の、友人と知人の狭間のような関係性の人ならそれなりの数いるのだけれど、休日にわざわざ学校外で集まるような友達は一人もいない。


 そのことについて嘆いたり不平不満を持ったりしたことは一度もないのだけれど。


「じゃあ、友達じゃないなら、今日は誰と一緒にいたの?」

「それは……」


 ここで、正直に女刑事と言ってしまってもよいのだろうか。刑事とともにスターバックスでコーヒーを飲みながら、殺人事件の犯人候補として担ぎ上げられ、喉元に刃の切っ先を向けられたと、正直に今日の出来事を話しても良いのだろうか。そんな物騒な話を、神崎先輩に向かってずけずけと言ってしまってもよいのだろうか。


 いや、別に話してもいいか。俺は現時点で揃っている弱い証拠の中で、脆い推論の上に成り立っている犯人候補でしかない。この先捜査が進めば俺への疑惑はいとも簡単に綺麗さっぱり晴れるだろう。それならば、現時点で疑いを向けられていることを神崎先輩に知られたところで、俺にとってそこまで不都合にはならない。


「今日は、なんかよくわからない女刑事と一緒にカフェオレを飲んでました」

「……は?」


 神崎先輩は立ち止まって、目を丸くして、口も丸く開いてしまった。


 驚くのも無理はない。刑事と二人で話すことなんて、たとえ十八年間生きていても、そうそう巡り合える状況ではないだろう。


「女刑事……って。……誰よその女!」

「誰って言われても……、俺だってあの人の素性なんか何もわかりませんよ」

「あはは、違うよ。言ってみたかっただけ」


 軽く笑ってから、神崎先輩はまた歩き出した。さっきまで丸くなっていたはずの目は、興味で光り輝いていた。


「それで、雨宮くんはその女刑事となにを話したの? あ、それか、雨宮くんって実は現役高校生探偵だったりするの?」

「俺がそんな頭良さげな人に見えますかね?」

「うーん? 全然見えないけど」

「じゃあそういうこと言わないでくださいよ……」

「いーじゃん別に。細かいことは気にしなーい」


 今日の神崎先輩はやたらとテンションが高いような気がするけれど、俺の気のせいだろうか。


「……神崎先輩は、ここら辺で起きた殺人事件を知ってますか?」

「ああ、そりゃー知ってるよ。あたしらの学校の人が殺された事件でしょ?」

「そうっす。その事件について、二人で話してたんですよ」

「おお、やっぱり現役高校生探偵だ」

「いや、事件の解決に向けて話し合っていたわけじゃないっすよ。俺が犯人として疑われてて、それで問い詰められていたというかなんというか」

「おお、現役高校生シリアルキラーだ」

「勝手に俺を精神異常者にしないでくださいよ」

「ねえ雨宮くん。世の中にはね、友達がいない人はみんな精神異常者だと決めつける人もたくさんいるんだよ。そういう人が見れば、雨宮くんはシリアルキラーと言えなくもないってことだね」

「はあ……とにかく俺はシリアルキラーでも凶悪殺人犯でもないっすよ。俺は完全なるシロ、無実なので」

「まあ、雨宮くんに、違法で銃を手に入れてそれから二人もの女子高生を銃殺するなんて甲斐性が備わっているとは思えないしね。少なくともあたしは雨宮くんのことを疑っていないから安心していいよ」


 神崎先輩に疑われていないからと言って、安心できるはずがない。神崎先輩がずばり事件の犯人を言い当てている場面を俺は絶対に想像することができない。要するに、神崎先輩は馬鹿そうだということ。


「でも、雨宮くんのことを犯人だと疑うなんて、その刑事さんはよっぽど人を見る観察眼がないね。人間観察力というか」

「……まあ、そうっすね」


 ……いや、でもあれは、上条さんは、一周回って観察眼があると言えるのかもしれない。だいたいの殺人事件の犯人というのは、ガテン系のいかにも悪役っぽい顔立ちをした悪漢だったりはしない。それこそ、俺のような人殺しとは無縁そうな、ふらふらした高校生なんかが犯人だったりするケースが多い。といってもこれは創作物の中での傾向であるから、現実ではどうなのかわからないけれど。


「だからさ、そんな馬鹿な刑事の言うこと鵜呑みにしちゃダメだぞ~後輩くん」


 と言って、俺の額を人差し指で強く押す神崎先輩。俺の後頭部は神崎先輩の力によって大きく後ろに仰け反る。


 最近はまってるのか、それ。


「……鵜呑みにするわけないっすよ。あの刑事に限らず、俺はいつだって誰の言葉も鵜呑みになんてしないので」

「それもどうかと思うけどね。やっぱり雨宮くんは捻くれてんなー」


 言ってから、神崎先輩は駆け足で俺の数十歩先のバス停まで行った。


「じゃ、あたしはここでバス乗るから、ここでさよならだね」

「ああ、そうっすか」


 すると、俺たちに示し合わせたようにバス停にバスが到着した。バス停には神崎先輩以外に人はいなかったうえに、バスから降車してくる人もいなかったので、神崎先輩だけがバスに乗り込む。


 神崎先輩がバスに乗る直前、一瞬だけこちらを向いてにこっと微笑んだ。俺はただそれを眺めるのみだった。


 やがてバスはぷしゅーと排気ガスをふかして発車し、そしてバスは俺の視界から消えていった。その様子を意味もなくぼーっと眺めてから、俺はまた歩くのを再開する。


 それにしても。 


 神崎先輩は、学校が終わってから今まで、どこでなにをしていたのだろう。


 昨日や一昨日のように、教室でだらだらと無為に時間を過ごしていただけなのか、あるいは。


 全然違う、別のなにかを、ひっそり一人で秘密で淡々とこなしていたのか。

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