16 新たなる刺客

 教室に戻ると、クラスメイトたちがどたばたと各々がそれぞれに帰り支度をしていた。どうやら俺は本当に授業三時間分をまるまるサボってしまったらしい。


「やあ少年。今までどこ行ってたんだい?」

「…………ちょっと散歩」

「三時間も学校の中を散歩していたの? ははは、キミはよほど暇を潰すのが得意なんだね」

「まあな」


 俺としては冗談のつもりで言ったのだけれど、まさか、佐倉がそのまま額面通りに俺の冗談を信じるとは思わなかった。


 いや、信じたふりをしている、信じるのもまた冗談なのか。


「お前、今日はすぐ帰るのか?」


 自分の席に座ってから、俺は佐倉がもう帰り支度をもう完了して、大きいハンドバックを肩に提げていることに気が付いた。いつもなら、クラスメイトたちが皆めいめいに帰り支度に勤しむなか、俺と佐倉だけは全く支度に手をつけずにだらだら駄弁っているのだけれど、今日はいつもとは例外らしい。


「今日はちょっとやることがあるからね」

「やること?」

「やることっていうか、用事だよ。わたしだって普通の高校生なんだから、放課後に用事ができることだってある」


 放課後に用事が発生する機会なんてほとんど無に等しい俺は、それなら普通の高校生ではないのだろうか。


「ほーん……。まあ、そうか。たまにはそういう日もあるよな」

「そうそう。わたしだっていつまでもどこまでも暇なわけじゃないんだ。わたしはいつまでも永遠にキミの話し相手なってあげられるわけじゃあないんだよ。……あ、今の、なんかドラえもんの最終回みたいだね」

「……そうだよな」


 佐倉は多分おそらく俺よりも数倍頭の良い大学に進学するだろうから、俺と佐倉は卒業と同時にあの幼馴染みたく疎遠になってしまうかもしれない。そもそも、三年生に進級する際のクラス替えで、俺と佐倉のクラスが離れてしまう可能性だってあるのだ。あるいは、極端な話、死が互いを分かつ場合だってある。


 なんにせよ、人と人との関係に、永遠は存在しない。


「わたしはもう行くから。じゃあね」

「ああ、また明日」


 片手を挙げた佐倉は、俺に背を向けて、椅子と椅子の間を縫うように歩き、そして教室の扉をくぐって廊下へと出て行った。


 また明日。


 明日が確実に存在するのかなんて、誰にもわからないのに。



 佐倉が教室から出て行ってから、俺も帰り支度を始めて、今日はいつもとは違ってこの学校における常識的な下校時間に学校を出た。


 普段俺が駐輪場を通るときには人っ子一人いないうえに停まっている自転車の数もまばらなのだが、今日は自転車に足を引っかけている人が数人見受けられたし、自転車もかなりの台数がまだ停まっていた。新鮮な光景だ。優良な生徒ならば、俺が普段見ている光景のほうがよっぽど新鮮なのだろうけれど。


 大声で品のない笑い声をあげている女子の一団を追い抜き、低い声でなにかを早口で語り合っている男子の一団も追い抜いて、それから校門を通り抜けた。


「……あ、おっと。キミ、そこのキミ。キミだよキミ」


 四回も黄身と連呼する女性の声が俺の後ろから聞こえた。そこまで黄身が好きならば、卵かけごはんを食べるときはわざわざ白身を抜いて黄身だけを白米のうえにのせるという奇行に及んだりするのだろうか。


 ……戯言だ。


「ちょっと、キミだって、キミ。絶対気付いているのに、無視しないでくださいよ」


 がしっと後ろから肩を掴まれた。そして後ろを振り返ると、そこには俺と同じ目線の高さで、金髪の長いポニーテールが垂れ下がっていて、見た目大学生くらいの年齢に見えるスーツ姿の女性が立っていた。


 真剣な面持ちで、真っすぐに俺の目を見ていた。


「突然ごめんなさいね。少しキミに訊きたいことがあるので」

「……誰ですか?」


 冷静にこの女性の見た目を分析していた俺だけれど、俺の人間関係の中にこんな若くて美人な女性は存在しない。この人は俺にとって全くの他人なのである。


「ああ、すいません。実は私、こう見えて警察の者なんですよ」


 警察、か……。


 およそ警察には見えないような、スーツ姿ではあるけれどだいぶ着崩しているというか気の抜けた着方、大学生が成人式に出席するときのようなスーツ姿だけれど、警察だということはこの女性は二十代後半なのだろうか。いや、第一印象で大学生という先入観をもってしまったけれど、その先入観を捨てて改めてもう一度この女性を客観視してみると、なんなら女子高生と言われても簡単に納得してしまいそうな目鼻立ちをしておられる。


 そうはいっても、この女性はさっきからずっとものすごく冷めた表情で俺の目をじっと凝視しているし、俺とそう変わらない身長の高さから、それとなく刑事らしいただらぬ風格は感じる。だけれど、いかんせんどこかかわいらしさが抜けないというかなんというか。


 そう、婦警なのに、この女性には凛とした印象が絶無なのだ。


「……こういうときは、普通警察手帳とかを見せるんじゃないですかね?」


 適当なドラマのイメージでは、こうして自分の身分を警察だと明かす際、警察役の役者はよくどや顔で警察手帳を開いている。


 だけれど目の前の女性は、腕を組んだまま、口頭で警察を名乗るのみだった。


 組んだ腕には、たわわな双丘がのっかっていた。


 どうでもいいけれど。


「ごめんなさい。今は警察手帳を持っていないので、私が警察だということを証明することはできませんね」

「……はあ、そうですか」

「もし信じられないようでしたら、いつでも警察に通報してもらって構いませんので、ご安心ください」

「はあ、わかりました」


 別に俺は、この女性が信じられないから先のような発言をしたのではなかった。ただ言ってみたかっただけ、そして警察手帳を見てみたかっただけだった。


「それで、警察が僕に何を訊きたいんですか?」


 この女性が発する威圧感の影響かなんなのかわからないが、なぜか無意識に俺の一人称が僕へと変わってしまっていた。


「それは色々あるんですけれど。とりあえず、場所を移しましょうか」


 女性は俺から視線を外してあたりを見回して、言った。


 気づけば、俺と女性の二人は、周りからかなりの視線を集めていた。校門から通っていく生徒たちが、俺たちを見て、一緒に歩いている友人とひそひそと何かを小声で囁き合っている。


 この女性の、高校生と見まがうまでの見た目的若さと、圧倒的なまでの美貌とスタイルのせいだろうか。


「あらあら。高校生たちの間で噂になるなんて、何年ぶりでしょう」


 周りの生徒たちに視線を送りながら、にやっと、その女性は口だけで笑った。


 別に噂にはなっていない。


「懐かしいですね。私も学生時代は、よく校内で噂されたものですよ」

「そうですか」


 死ぬほど興味の湧かない話題だった。


 そこで、ぴくりとその女性の表情が変化し、俺の眼球に視線を戻した。が、すぐにまた冷めた表情に戻る。


「……キミって、人見知りなんですね」

「そうですか? 自分ではそんなことないと思うんですけど」

「そうなんですか。それじゃあ、私の魅力に酔っちゃってるとか?」


 女性は冷めた表情のままで言った。


 まあ、確かに男子高校生を魅了するほどの魅力は備わっているけれど……。


「……あなたって、よくわからないですね」

「そうですか? 職場の同僚からは、よく単純だと言われるんですけれど」

「それはその同僚の人が、あなたによっぽど興味がないんですよ」

「む。そんなことあるわけないでしょう。みんな私に興味津々メロメロですよ」

「……はあ、そうですか」


 またこの手合いか。


 この人も、あの自称西川と同じく話し相手をひたすら困惑させるタイプの人かもしれない。言っていることが冗談なのか真実なのか、理解が混濁してくる。まだそこまで会話を重ねているわけではないからわからないけれど、西川(仮)と話し方の雰囲気がどこか似通っている気がする。


「さて、それでは行きましょうか。ここから徒歩三分の場所に、密会に最適な行きつけのカフェがあるので」

「カフェで密会……?」

「密会といえばカフェなんですよ。私についてきてください」


 俺はその女性の言われるがまま、カフェに向かった。

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