ある高校生の独白③
二人目の殺人を終えてから、私は家を出た当初からの目的であったコンビニに入った。入り口の自動ドアが私を出迎えるように開いて、それと同時に生ぬるいエアコンの風が私の頬を撫でる。
とりあえず、まずはお菓子コーナーに行って、ポテトチップスを一袋取る。それから飲み物のコーナーに移動して、冷蔵庫の扉を開けてコーラのペットボトルをひとつ取った。
「ねえ」
冷蔵庫の扉を閉じた刹那、とん、と私の肩に手の平がのせられた。さながらマネキンの手のように冷たくて温もりのない手だった。
振り返ってみると、そこには笑顔の女子高生がいた。人の良さそうな、第一印象で人の警戒心を剥いでくる笑顔だった。
「ごきげんよう」
目を細めて、とても愉快そうに笑う女子高生。そこからなにかの思惑を読み取ることは不可能に等しかった。
「…………えーと、なんですか?」
「んーなんでもないよー」
女子高生の表情は全く崩れることはない。完璧に、完全無欠に、完膚なきまでに笑顔だった。
「……あの、もういいですか?」
「あのさ、ひとつ質問なんだけど。あなたが犯人なんでしょ?」
「は?」
「あなたが、事件の犯人なんでしょ?」
表情はもちろん、声のトーンや高さや雰囲気まで全く変えることなく、つまりは『ごきげんよう』と言うのと同じ感覚で、女子高生は私を犯人だと決めつけた。
事件の犯人。ここら一帯で事件といったら、間違いなく私が起こしたあの殺人事件のことなのだから、この女子高生の言っていることは間違っていない。
だが、この私がそう簡単に認めるわけがないだろう。
この女子高生がどこからどのようにして情報を集め、それからどういう推理でもって私が犯人だという結論に辿り着いたのかはわからないが、もし決定的な証拠を突き付けられたとしても、私は自分が犯人であると認めることはない。いつだって、真犯人こそが一番往生際が悪いのだ。
「何の話ですか? 事件って、最近ここら辺でなにかあったんですか? すみません、あまりそういう事情に疎いもので」
「あは。今、ちょっと食い気味に言ったね。ということは、あなたは嘘を吐いてるってことだ」
「…………」
メンタリズムの話か。人間は、嘘の答えを言うときに少しだけ食い気味になって言葉を言うとか。私も詳しくは知らないけれど、なんとなくは聞いたことがある。
「××に一般的な心理学が適用されるとは思わないでほしいですね。そこまで愚鈍な人間ではないつもりですので」
「あはは、なにその謎の理論は。愚鈍とか機敏とか、心理学とは何も関係ないと思うけどね。人の無意識の習性みたいなものなんだからさ、いくら機敏だからって、いくら頭が切れるからって、理性ではどうにもならないと思うけど」
「……そうですか。でも××は本当になにも知らないので、その、事件? というのの調査には協力できません。ごめんなさい」
「いや、だから、別にとぼけなくてもいいって。わたしはもう全部わかってるからさ」
そこで、女子高生は細めていた目を開いた。目が開くだけで、その笑顔は邪悪な印象に変わる。その女子高生の纏うオーラが、ふわふわとしたオレンジ色のものから、赤黒く濁ったものへと様変わりする。
ふふふ、と女子高生が笑って、そして私の左耳に口を寄せてくる。お互いの身体が急接近する。女子高生からは、体臭も柔軟剤の香りも全く感じられなかった。
「あなたが西川美香を殺したのは知ってるから、もうとぼけなくていい。警察に言ったりはしないから、安心して」
ぞわり、と一気に全身に寒気が駆け巡る。
全身が総毛立ち、心臓がテニスボールのように身体中を暴れまわる感覚。そのまま腰が抜けてしまいそうになったが、すんでのところで持ちこたえる。
「あはは、どうしたのー、そんなに青白くなっちゃって。西川美香って誰ですかー? とか言って、さっきみたいに精一杯とぼけてみせなよ」
女子高生は私からすっと離れて、それからまた笑った。
普通だったら、いやこの女子高生が普通の人間だったならば、そんなことを言われても、今女子高生の言った風にとぼけることができたのだろうが、実際の私はこのように腰を抜かしそうになっている。
その女子高生の囁き声は、そういう力があった。人の余裕を根こそぎ奪い取るような、人の不安の芽を急成長させるような、そういう正体不明の力があった。
「……あ、あぇ、えっと、あなたは、なんなんですか」
耳に囁かれただけなのに、私は満身創痍になりながら、かろうじて口を開いた。
「だからなんでもないってさっきも言ったじゃん。なんでもないけど、ただあなたにわたしは犯人を知ってるよってことを伝えておきたかっただけ、ね。まぁ、こんなこと、ほとんど意味なんかないんだけどさ」
また、ははは、と軽く笑って、「じゃあね」と言ってその女子高生は去っていった。
私はコーラとポテトチップスを両手に持ったまま、呆然と立ち尽くしてしまった。それから何事もなかったかのようにレジに並ぶのは、殺人犯である私にもさすがに無理だった。
私はあの女子高生のことを一ミクロンも理解することができなかった。
なぜあの女子高生は私が殺人事件の犯人であることを知っていたのか。なぜ体温がなかったのか。なぜ匂いがなかったのか。なぜ私はあの女子高生の囁き声を聴いただけで全身の力が抜けてしまったのか。なぜあの女の子は、一貫してずっと愉快そうにしていたのか。
なにひとつ、私には理解ができない。
理解できない。理解できない。
――理解する必要もない。
あの女子高生は私が殺人事件の犯人であると言った。そして、私は現実に殺人事件の犯人だ。彼女はそのことを警察には告発しないと言ったけれど、本当に告発しないのかどうかはわからない。彼女が善良な市民ではないと断言することはできないし、その保証もない。でもいずれ、あの女子高生が告発しないにしろ、私が犯人である事実は白日のもとにさらされることになるだろう。私はそれでいいと思っている。既に二人も人を殺しておいて、それでも警察から逃れようなんてことは考えていない。一応証拠が残らないように細心の注意を払ってはいるが、私のIQはホームズを欺けるほど高いわけではないから、それも完璧ではないかもしれない。だから私は、警察に自分の罪が露呈しようが、構わない。
そもそも最初から、警察に捕まることを承知で始めたことなのだ。
これは世界をより良くするための行動だ。警察に捕まってしまっても、私は別に構わない。私の殺人によって世界がより良くなったならば、それでいい。
あの女子高生は、私がまさに人を殺している現場を見て、そしてそれを他ならぬ犯人の私に自分はすべてを知っていると囁くことで、私が動揺してうろたえる姿を見ようと画策していたのかもしれない。そして実際に私はうろたえてしまったのだが、それは別の理由があったからであって、私は誰かに自分の犯罪を知られてしまったことに対してうろたえていたのではない。
あの女子高生は、これから私がいつ警察に告発されるのかとびくびくしている様子を見て楽しもうとしているのかもしれない。あの邪悪に愉快そうな笑顔で、その愚かな私を高みから眺めて悦に耽ろうという魂胆なのかもしれない。が、それは不可能だ。できない。私はその程度のことで精神が弱ったりしない。
残念ながら、私はあの女子高生の期待に沿うことはできない。
「ふっ」
ふと、笑みが零れる。それから私はやっとレジに向かって、そして会計を済ませ、コンビニから出た。外は、私がコンビニに入ったときよりも若干肌寒くなっていた。
ちらほらと星が煌めいて見えるようになってきた夜空を仰ぎ見る。遠くから川のせせらぎの音が聞こえてきた。
今夜、私の人生で二回目の殺人をした。
前回と同じく、心臓のあたりを狙って、それから思いっきり引き金を引く。たったそれだけのことで、対象の身体はばたりと崩れ落ち、それ以降対象の身体が動き出すことはなかった。
「くひひひ」
かしゅっという音ともにコーラの蓋を捻り、飲み口を私の口に運ぶ。甘い液体が口の中で弾ける。おいしい。
「さて、明日はどうするかな」
軽くスキップでもしたくなる気持ちを抑えて、落ち着いて、いかなる状況にも対応できるように帰路を冷静に確実に辿る。本物の拳銃を持っているのだから、落ち着いていさえすれば、およそ考えられるすべての状況に対処することが可能だろう。
そう、私はもう二人も人間を殺しているのだから。
私は拳銃を持っているのだから。
あんな、たかだか不思議な雰囲気を持っているだけの女子高生なんて、私の敵ではない。
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