11 ゲームセンターでの青春

「オラァ!」


 神崎先輩が乱暴なかけ声とともにバッドを振ると、かきーんと小気味良い音が響いてボールが飛ばされ、そしてそのボールはホームランの的のど真ん中に吸い込まれていった。


「すげぇ……」


 さっきからずっと、神崎先輩は同じような球しか打ってない。つまり、打つ球すべてがホームランのど真ん中に命中している。すべての球が、同じ軌道を描いてホームランの的へと飛んでいく。


「ヨッシャァ! 次ィ!」


 そしてまた次の球が投げられても、神崎先輩は腕がはち切れそうなほど思い切りバッドを振り抜き、そしてその打たれた球はまたも的に命中する。


 フォームも素人丸出しのそれだし、バッドの振り方も滅茶苦茶なのに、なぜかバッドにはボールが当たるし、そして球は魔法のように的へと一直線に飛んでいく。


 その光景はまるで不思議で仕方がない。神崎先輩が雑にてきとーに簡単そうにやってのけるから、あれなら俺にもできるんじゃないかと、一瞬だけ思ってしまう。


「ふー、これで終わりか」


 結局、神崎先輩が打った球は全部ホームランだった。全球パーフェクトだった。


 神崎先輩は爽やかな笑顔で網をくぐって、俺が座っていたベンチに腰かけた。


「いやー、久しぶりにやると疲れるねー」


 肩をぐるぐる回しながら言う神崎先輩。ごきごきとテレビのSEのような音が聞こえてきた。


「すごいっすね、全部ホームランなんて」

「んー? 別に普通でしょ?」

「普通なわけないじゃないですか……」

「あはは、冗談だよ。あたしは昔からやってるから。長いこと続けていれば、自然とこれくらい上手くなるもんだよ」

「そういうもんすかね……」


 俺はそこまでバッティングセンターに通い詰めているわけではないから詳しいことはよくわからないけれど、十八歳の女子高生が、長期間練習すれば全球ホームランを打てるというのは、いささか信じがたい話だ。


 そうはいっても、今実際に目撃してしまったから、何も言えないのだけれど。


「まあ、雨宮くんめっちゃへたくそだったからねー」

「ぐ……」


 俺は野球が苦手だった。というより、俺はスポーツ全般が苦手分野だった。


「まずそもそもバッドにボールが当たる回数が少ないし、当たったとしても全然飛ばないし。……あはは、思い出しただけで面白いね」


 いや、同意を求められても。


「でも気を落とすことはないよ、雨宮くん。人には向き不向きというのがあるからさ、雨宮くんが得意なことだってきっとどこかにはあるよ。だいたい、バッドにボールを当てられなくて、それで人生で困ることがあるわけでもないんだから」


 口ではそう言うが、神崎先輩の表情は完全に俺を嘲笑っていた。どうしようもなく口角が吊り上がってしまっている。


「そうっすね。いやー、それに比べて神崎先輩は本当にすごいなー。いやー本当にすごい。全球ホームランなんて、常人かつ凡人の俺には想像することさえできませんよ。あーすごい」

「あっはは、それほどでもなくもなくもなくもなくもないかなー。あははは」


 わかりやすいお世辞を言ったらわかりやすく喜ばれた。これではどちらが嘘を吐いているのかわからない。


「……てか、せっかくゲーセン来たのになんでバッティングなんてやってるの。どうせならユーフォ―キャッチャーとかやろうよ。いややろう。いややらなければならない!」


 ゲームセンターの自動ドアが開いた途端に、何も言わずにバッティングコーナーに向かって全力疾走していたのはどこの誰だったっけ。


「いや、あれはなんか身体が勝手に動き出シチャッテサー。ホント困っちゃうよねー。だからあれはあたしがバッティングの腕前を自慢したかったとかそういうのでは全くないから。ね、わかった?」

「……わかりましたー」

「よろしい。じゃあ行こうか。ちゃんと荷物持ってね」


 先輩は立ち上がって、軽くスキップしながら俺に無慈悲な命令を下す。


「……置いていったりはしませんから、いちいち確認取らなくてもいいっすよ」


 深いため息を吐いてから、俺はベンチから立ち上がった。


「おいおい後輩。せっかくこんなにかわいい女子高生とデートしてるんだから、ため息なんて吐いちゃだめでしょ? ほらほら、もっと楽しんで」

「それはこれからの神崎先輩の振る舞い次第っすかねー」

「な、なにぃ!? 試されていたのは実はあたしの方だったのかー!?」


 逆に神崎先輩は今まで俺のことを試していたのか。何を試していたんだ。


 そんな疑問は放置しておいて、俺は中に鉄の塊でも入っていそうなほど重い鞄と、筆記用具とルーズリーフしか入っていないぺらぺらの鞄を両手に持って、神崎先輩の隣を歩き出した。


 そして、ゲームセンター特有の色々な音が交じり合った混沌とした爆音が轟き、ぎらぎら輝く筐体がいくつも乱立しているエリアに足を踏み入れた瞬間、神崎先輩がすごい勢いで俺の肩を叩きはじめた。


「ねえねえ! あたしあれほしい! 雨宮くん取ってー?」


 神崎先輩は俺の肩を叩いていないもう片方の手で、手前側のユーフォ―キャッチャーの筐体を指さしている。


「そうっすか。自分で取ってくればいいんじゃないすかね」

「……なにその反応は。あたしがわざわざかわいい彼女の演技をしてあげたというのに」


 あれは演技だったのか。自然過ぎて気が付かなかった。


 女の子の闇を垣間見てしまった気がする。


「やり直し」

「…………よしわかった。この俺が取ってきてやろうじゃないか! はっはっはっはっはー」

「やーんうれしー」


 ……頭がおかしくなりそうだ。


 俺たちは神崎先輩が指さした筐体に向かって、そしてその前で立ち止まった。


「これっすよね」

「うんそうそうー。早く取ってー、ダーリン」

「いや、ダーリンはさすがにちょっと……」

「ねえ、ガチで嫌そうな顔すんのやめてよ」


 電球のスイッチがオフに切り替わったように、神崎先輩のだらしない笑顔が急に真顔に切り替わる。怖い。


 俺たちの目の前のユーフォ―キャッチャーの景品は、なんとなく見覚えのあるご当地ゆるキャラのぬいぐるみだった。正直、俺としてはこんなものタダでもいらないくらいなのだが。


「演技じゃなく、本当にこれが欲しいんすか?」


 お金を無駄に使いたくはないので、一応確認をとっておく。


「うん、欲しいよ。取れるんなら取ってみてよ」


 ……それなら、取るか。


 俺は財布から百円玉を取り出して、筐体の縦穴に投入した。ぴろりんと筐体が短く鳴くと、やかましいBGMが流れ始める。


 神経を集中させて、想像力を総動員させて、まずは右にキャッチャーを動かす。


「お、珍しく真剣な表情」


 神崎先輩のことは無視して、ぴったり想像通りの位置にキャッチャーを止めてから、俺は一度ボタンから離れて横側から筐体を眺める。その視覚情報を完全に頭にインプットしてから、もう一度正面にもどり、冷静にキャッチャーを奥側へと移動させる。


 そしてボタンを離すと、キャッチャーは降下を始め、ぬいぐるみと接触する。


「良い感じ、かな?」


 ぬいぐるみの後頭部にキャッチャーが嵌まり、ぬいぐるみの頭が持ち上げられていく。


 ちょうどぬいぐるみが立ったような体勢になったとき、キャッチャーがするりとぬいぐるみから離れていってしまう。


「あーあ。……と、あれ?」


 だが、ぬいぐるみは立ち上がった勢いのまま、顔を地面にうちつけるように前方に倒れ込み、そのまま転がり落ちた。


「わーお。上手いね、雨宮くん」


 身を屈めて取り出し口から景品を取り出しながら、神崎先輩はきらきらした瞳で言った。


「まあ、こんなもんすよ」


 本気でかかったとはいえ、俺もまさか一発で取れるとは思っていなかったが、まるで当然のことのように言っておいた。俺にだってかっこつけたくなるときくらいある。


「ホントにすごいよ。ちょっとかっこよかったかも」

「ははは、またまたご冗談を」

「冗談じゃないよ?」


 …………まだあの演技を続けているのだろうか。


 神崎先輩から目を逸らしつつ、辺りを見回してみると、隣の筐体で、ガラス版にに額がくっつきそうなほど熱心に景品を凝視してキャッチャーを動かしている女子高生がいた。


 ……ん、あれ、この娘、どこかで見たような気が……。


「ねえねえ雨宮くん、あれ取ってよー」

「えっ」


 そのショートボブで小柄な女子高生は突然俺に首を向けて、そして俺に縋るような目で見つめてきた。まさか自分に話しかけてくるとは思わず、驚いてしまった。


 それになにより、この女子高生は、俺の名前を知っていた。


「なになに、雨宮くんの知り合い?」


 神崎先輩は両手でぬいぐるみを抱きしめながら、俺の背中から顔を出してその女子高生を見た。


「お、あたしたちと同じ学校の人だね」


 確かに、この謎の女子高生は、神崎先輩と同じ制服を着ていた。


「雨宮くんユーフォ―キャッチャー上手いんでしょ? ならさっきみたいにわたしにもやってよー」


 駄々をこねる子供のような幼い口調。だが、その声には、どこか演技くささのような嘘っぽさがあった。


「雨宮くん、やったげなよ。あれくらい余裕でしょ?」


 謎の女子高生が格闘していた筐体の景品は、拳銃のエアガンだった。二本の突っ張り棒の上に、エアガンが入っているのであろう箱が置いてある。


「雨宮くんお願い!」


 手を合わせて目をきつく閉じて、俺に願をかけるようにする謎の女子高生。


「……まあ、別にいいですけど……」

「やった! じゃあ、はいこれ」


 謎の女子高生は百円玉を四枚俺に手渡してきた。つまり、四回以内で仕留めろということか……。


 俺は女子高生と場所を交換して、その筐体の前に立つ。


 こういうタイプのやつは簡単だ。つまりは、うまく景品の箱にキャッチャーのつめをひっかけて、箱の位置を少しずつずらしていって、そして二本の突っ張り棒の間に箱を落とせばいい。ただ、どうすればいいのか想像するのは簡単なのだが、それを実行に移すのがなかなか難しい。


「ふぅ……」

「がんばえー」


 特殊性癖の男をおちょくるようなかけ声を謎の女子高生が発したが、俺は特殊性癖を持ち合わせていないので気にならない。


 冷静に、集中して、想像して、予測すれば、こんなものは簡単だ。


「……………………」


 一回目、想像できる範囲で、おそらく最大に箱をずらすことができた。


 二回目、さっきとは逆側を最大にずらす。


 三回目で、拳銃の箱は足を踏み外し、突っ張り棒の上から転がり落ちてきた。


「うわー、すごいね雨宮くん。ありがとう!」


 取り出し口から景品を取り出して、きらきらした瞳で拳銃の箱を見つめながら、口だけで俺に礼を言う女子高生。


「……でも、これはわたしが自分の力で取ったのじゃないから、雨宮くんにあげちゃおうかな」

「え」

「えぇ!」


 なぜか俺よりも神崎先輩のほうが驚いていた。


「そんなのもったいないよ! 雨宮くんがそんな拳銃持ってても全然似合わないし、キミが持ってた方が絶対に良いよ!」


 拳銃が似合わないとは、一体どういうことなのだろうか。


 いや、しかし、俺としてもこれ以上拳銃はいらない。なんなら、今、拳銃をひとつ持ち歩いているくらいなのだ。


 昨日、昼休みに新条からもらった拳銃のエアガンが、まだ俺のブレザーの内ポケットにしまったままなのだ。


「あーでも、雨宮くんはもう拳銃をひとつ持ってるから、別に要らないか」

「え」

「え、雨宮くん拳銃持ってるの?」


 なぜ、それを初対面の女子高生が知っている?


「なんで、それを……」

「ん? だって、さっき雨宮くんを持ち運んだときにちらっと見えたから」


 ……持ち運んだ?


 俺を?


 この小柄な女子高生が?


「あれ、憶えてないんだ」


 俺が眉をひそめたままだったからか、女子高生は落胆するように肩を落とした。


「結構頑張って運んだんだけどな。そっか、忘れちゃってるのか。寂しいなぁ」

「いや、運んだって言ったって……」


 この小柄な体格の女子高生が、俺のような特別体重が軽いわけでもない男子高校生のことを、持ち運ぶことができるものだろうか。……いや、今はその方法については考えるべきではない。そんなもの、荷台を使うなりなんなり、どうとでもなる。


 今、考えるべきこと。


 この女子高生と俺は、この場所で初対面のはずなのだ。


「今日、保健室まで運んであげたの。憶えてない?」

「…………あ」


 思い出した。


 今日、保健室に向かう途中で俺に話しかけてきた女子生徒。


 体温が感じられない手のひらで俺の肩を叩いた女子生徒。そして、俺と様々な思い出を作ったとか、俺の記憶力が悪くなっているとか、『あんなこと』がどうたらとか、そういうわけのわからない話をずっとしていて、そして俺もいつの間にかわけのわからないことを言っていて、その内俺は気を失ってしまった。


 あのとき、いやあのあと、俺が気を失ってしまったあとに、俺を保健室まで運んだのが、この女子高生ということか。


「君は、あの廊下の……」

「お、思い出してくれたんだね。……まあ、雨宮くんがそのことを思いだしてくれても、わたしが嬉しいってだけで、別になにもないんだけどさ」

「ん? なになに、どういうこと?」


 神崎先輩が俺とその女子高生の顔を見比べながら言う。


「じゃ、わたしはもう行くから、また明日会おうね、雨宮くん」


 女子高生は手を振ると、小走りで俺たちの前から去っていった。何が何だかよくわからなかった。


「……えーと、とりあえず、雨宮くんとあの女の子はどういう関係なの?」

「……俺にもわかりません」

「は? どういうこと?」


 あの女子高生が去っていった方向を呆然と見つめる。


 俺はまだ、あの娘の名前を知らない。


 思い出せないのではなく、知らない。


「……どうということもありませんよ。俺みたいな軸が不安定な人間には、ああいう曖昧で不安定な人間関係がついてまわってくるんですよ。それだけです」

「……あっそう」


 つまらなそうな顔でぬいぐるみの頭の上に顎をのせている神崎先輩は、もう俺のことを楽しませることなど忘れてしまっているのだろう。


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