二章 二日目 殺人と謎。
6 被害者
重いまぶたを擦りながら、よろよろとおぼつかない足取りで階段を下り、俺はリビングの扉を開けた。
「おはよー、にーちゃん」
「ああ……」
妹はさすがに下着姿ではなく中学校の制服、セーラー服姿で食パンをかじっていた。父親は難しそうな顔で新聞を読みながらコーヒーを飲んでいて、母親はキッチンでせわしなく動き回っている。
いつもの、平日の朝の光景。
俺もテーブルの椅子に腰かけて、既にそこに用意されていた食パンにバターを塗りながら、ぼんやりとテレビのニュースを眺める。
テレビ画面には、政治関係のよくわからないニュース。眼鏡をかけた気難しそうなおじさんが、これまた気難しそうな話をしている。俺には話の内容の四割程度しか理解することができない。テーブルの向かい側に座る父親は、新聞を開いたままで、テレビのそのおじさんの顔を険しい表情で凝視していた。父親はあの全くつまらなくて意味の分からないおじさんの話に興味があるのだろうか。どうでもいいけど。
俺はテレビから目を離して、父親が両手で開いているその新聞の表紙を読むことにした。……今日の新聞の表紙を飾る大見出しは、なんだかよくわからない難民問題の話題だった。本当は、俺のようなうら若き高校生たちが、こういう話題に積極的に興味を持つべきなのだろうが、はっきり言って全く興味をそそられないし、無理やりに興味を持つことさえもできないし、正直どうでもいい。こんなことを大人に対してぼやくと、大人は「そんなことでは将来人の上にたつ人間にはなれない」とか偉そうに言うのだろうが、そもそも俺は将来人の上に立つような立場に身を置くつもりはない。そんな責任のある立場は俺には分不相応だ。
「ん、あれ、にーちゃんの高校の人じゃない?」
「え?」
俺が朝からくだらない屁理屈を脳内で並べ立てていると、ぐびぐびと牛乳を飲んでいた妹が、突然驚いた顔をしてコップから口を離し、そしてテレビ画面を指さした。
俺も慌ててテレビ画面へと首を向けると、そこには女子高生が五人くらいで集まって撮られた集合写真が映っていた。ただ、ひとりを除いて全員にモザイクがかけられていた。
「あ……この、人は……」
隣の友達と腕を組んで、控えめな笑顔で、ぎこちなくピースマークを指で形作っている女子高生。
「ほら、にーちゃんの学校の制服って、確かこんなんだったんじゃない?」
画面の右上には、女子高生殺害の文字。
そして画面の下側には、
「これってこの辺の地域の話でしょ? 物騒だよねー」
妹はテレビから視線を外してまたもぐもぐと食パンを食べ始めたが、俺は手に持っていた食パンを取り落としてしまった。
「え……、と、は?」
一度目をぎゅっときつく閉じて、顔を手のひらで擦って、そしてもう一度目を開けた。景色は変わっていない。
夢だと信じたかった。嘘だと信じたかった。
その女子高生は、昨夜、公園で倒れていたところを近隣住民である老人に発見されたらしい。警察が駆けつけてきたときにはもう完全に死んでおり、緊急搬送しても無意味だった。
銃弾が一発、心臓を貫いていたのだという。
テレビのアナウンサーは無感情に事実だけを淡々と述べていく。
嘘をついているようには、みえなかった。
「あ……ああ、あ」
「どうしたの? にーちゃん。血を全部吸われたみたいな顔になってる」
信じられない。
テレビ画面に映っていた女子高生は、あの、幼馴染だった。
昨日の朝の登校途中に会話した、あの幼馴染だった。
俺が今の今まで名前を忘れてしまっていた、あの、幼馴染だった。
西川美香。
そう、あいつの名前は確かに西川美香だった。
俺が幼馴染の名前を思い出したのは、幼馴染が死んだあとだった。
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