3 後輩
「せんぱーい。まずいっすよー。せんぱーい」
気の抜けた様子でせんぱいせんぱいと俺の隣で連呼する女子生徒。
「まずい状況ならもっと切羽詰まった感じで言ってくれないと助ける気にならない」
「せんぱぁい! まじやばいっすよ! まじぱないっす! ッべーんすよまじで!」
「うおお、急に大きい声出すなよ。耳がキーンとする」
「なんですかそれ。せんぱいが言えって言ったんじゃないですか」
「大きい声出せばそれでいいってわけじゃないだろ?」
「じゃあどうすればよかったんですか? 早く教えてくださいよ」
「いや、もういい。どうせ今回もそこまでまずい状況でもないんだろ」
「まあ、見方によってはそうと言えなくもないですけどねー」
昼休みに、後輩に校舎の隅の階段の踊り場に来るようにメールで呼び出されて、そしていざ来てみたら案の定これである。
「で、そのまずいことっていうのは何なの?」
「驚かないで聞いてくださいよ?」
「いや、お前の話で驚いたことなんかないし。てか、驚くようなことがあるのか?」
「それはそれは驚くようなことですよ。せんぱいみたいな心も体も貧弱な人だったら、腰ぬかしちゃうんじゃないんですかねー」
新条が俺に頼るような案件といえば、テスト勉強に協力してくれとか、長期休みの課題を半分やってくれとか、代わりに委員会に顔を出してきてくれとか、そういう、俺を便利屋扱いしているとしか思えないほどのくだらない案件ばかりのはずだけれど、驚くべきこととは、一体何だろうか。
「そんなことで腰ぬかさねーよ。で、何?」
「それがですね……実は昨日、銃を拾ったんですよ」
「銃?」
銃? 銃を拾った? 銃刀法が存在する平和主義のこの日本で?
……確かに、それは驚くべきことかもしれない。
「銃って、ライフルとか、拳銃とか、リボルバーとか、そういう銃か?」
「そうです。数字の十でもフリーの自由でもないです。弾を撃つやつです」
銃。銃か。銃刀法があるといっても、やはり日本に銃は存在するのだろう。誠実そうでイメージの良い芸能人が大麻を所持しているように、そこら辺を歩いている人々が本物の銃を持っていてもおかしくはない。いや、本当はおかしくないといけないのだけれど。
「……なあ、それって、今持ってたりする?」
「まあ、持ってますけど」
言って、新条は立ち上がってから、埃っぽい空気の充満した階段を下りて廊下の様子を窺いに行った。たまたま周囲に居合わせた人間に、自分が銃を所持していることを知られたくないのだろう。それなのになぜ俺には知られても構わないのかはわからない。
「こんな校舎の奥の奥の階段を登りに来る奴なんていないから安心しろ。それより、早く見せてくれよ」
どうせ、その正体は玩具のエアガンなのだろうという予想が俺の脳内会議ので過半数の票を獲得していたが、それでも、本当に本物の銃なのではないかという予想の票も少なくはなかった。
「じゃあ……はい、これです」
新条は、さながら刑事のように、ブレザーの懐から一丁の拳銃を取り出した。
目立った特徴があるわけでもない、鴉の翼のように黒く輝くただの拳銃だった。
「……えーっと、触ってもいい?」
「もちろんいいですよ」
もしこれが本物だったとしたら、この拳銃に俺の指紋がべったりと付着してしまうと、後々面倒なことになるのではないだろうか。まあでも、新条も既にべたべたと素手で触ってしまっているし、別に気にすることないか。
俺は新条の手から拳銃を受け取った。
「おお……。お?」
思いのほか、軽い。本物を触ったことがないので確かなことはわからないのだけれど、この拳銃には明らかに中に実弾がつめられているような重量感がない。『武器』、というような貫禄や重厚感が全く感じられない。というか、この特有の軽さ、俺には覚えがある。
「……これ、エアガンじゃないか?」
「え、いや、そんなはずないですよ。こんなにリアルで精巧なエアガンがあるわけないじゃないですか」
「いや、見た感じそこまで精巧ってわけでもないし、これくらいのレベルのやつなら普通に売ってる」
よく見れば、このエアガン、俺が中学生の時分に持っていたものにそっくりだ。この重さも、握り心地も、このエアガンのなにもかもが懐かしく感じる。
俺はエアガンの握る部分にある小さなボタンを押して、エアガンのマガジンを取り出した。
「え、なんですかそれ。どうやってやったんですか」
俺が勝手知ったる顔でマガジンを取り出したのが不思議だったのか、後輩が言った。まあ、この小さいボタンは、エアガンの知識がない人からしたらわかりにくいだろうな。
そして、やはりマガジンには、実弾が入っているはずもなく、薄黄色のBB弾が詰め込まれていた。
「ほら、BB弾しか入ってないだろ?」
「うわ、ほんとですね。焦って損しました」
あれで新条は焦っていたらしい。そんなことは微塵も感じさせない振る舞いをしていたけれど、新条はかなりのポーカーフェイスなのだろうか。
俺はマガジンをエアガンの中に入れなおして、その上部をかちゃっと音が鳴るまで手前側に引いた。
「せっかくだから、一発撃ってみるか」
「それいいですね。なんかおもしろそうですし」
お互いに小学生みたいな感性をしているなぁと思う。今朝出会ったあの間抜けな顔をした男子小学生がこのエアガンを見つけたとしたら、大喜びして小躍りすることだろう。そしてかくいう俺も、久しぶりにエアガンを手にしたことで気分は小躍りしている。
「じゃあ、いくぞ」
踊り場から下へと下る階段に向かって、俺が躊躇なく引き金を引くと、クラッカーが弾けたようなパンっという音が鳴り、そして下の廊下にBB弾が転がった。
「へー、思ったよりしょぼいんですね」
「ま、まあ、こんなもんだよ、エアガンは……」
所詮は玩具だ。それに、このエアガンは拳銃だ。エアガンと言っても、ライフルやショットガンといったスケールの大きいエアガンだったならば、もっと大きな銃声が鳴って、そして飛んでいくBB弾の飛距離や威力も相当なものなのだろうけれど、この安っぽい拳銃タイプのエアガンならば、これぐらいの、クラッカーとそう大差ない銃声と、ぴょーんと弧を描くような飛距離が限界なのだ。
新条は階段を下りて、下の廊下で転がっているBB弾を拾いに行った。そしてBB弾を掲げて、それを俺の方に投げてきた。投げられたBB弾は俺の足元で着地し、ころころと転がった。
「それ、もったいないんでまた入れておいてください」
「すごいリサイクル精神だな……」
BB弾一発くらいそこらへんに転がしておけばいいのに。だが、一応このエアガンの所有者は今のところは新条なので、俺はそれに従うことにする。
俺は足元のBB弾を拾って、それをマガジンに詰めながら、階段を下りて新条のもとに向かった。
「まあいいです。わたしの不安要素は解消できたので」
「それはよかった」
言いながら、俺はエアガンを新条に差し出した。
「あ、いや、それいらないんでせんぱいにあげますよ」
「ああ、そう……。じゃあもらっとくわ」
どうせ俺に譲渡するつもりだったのなら、なぜ新条はわざわざBB弾をリサイクルしたのだろうか。あれか、たとえ人のものであってももったいないと感じてしまうような、もったいない精神が強い人なのか、新条は。
俺はエアガンをブレザーの懐にしまい込んだ。
「ねえせんぱい。もしこのエアガンが本物の拳銃だったとしたら、せんぱいはどうしてましたか?」
もう昼休みが終わりに近づいているので、俺たちは教室棟へと足を向けて、歩き始めた。
「……まあ、普通に通報するかな。そんなのどうしたらいいかわからないし」
「せんぱいってたまにすっごいつまんないですよねー」
「なっ……」
いや、そんな質問で面白さを求められても困るのだが……。
「せんぱいは、殺したい人とかいないんですか?」
「……急に何の話だ?」
まさか新条の口から殺しなんて物騒な言葉が出てくるとは、俺は予想していなかった。話がぶっ飛んでる。
「たとえばの話ですよ。もし自分が本物の銃を手に入れたとしたら、身の回りにいる人みんな殺し放題ですよ?」
「殺し放題っていっても、それは犯罪だろ?」
「バレなきゃ捕まりませんよ。うまくトリックを駆使すれば、現実世界には名探偵なんていないんですから、意外と全然バレないかもしれませんよ?」
にひひ、と新条はシニカルに笑う。
いや、その笑みは、シニカルというより、不気味にも見えた。
「そうなったらせんぱいは、一体誰を殺すんですか?」
「……そんなの、実際にそのときになってみないとわからない」
「いない、とは言わないんですねー」
新条は愉快そうに笑っている。殺しの話題でこんなに盛り上がる女子高生は、多分新条くらいのものだろうと思う。
だが俺は逆に訊きたい。
自分が殺したいと思う相手がいない人間なんて、果たしてこの世に存在するだろうか。
もし、人殺しが合法化して、倫理的な問題も解消されたとして、それでも本当に誰一人殺さないという人間が存在するだろうか。
答えは否。存在しない。
そう、誰も殺そうとしない人間は、存在しない。
そしてきっと、誰からも殺されない人間も、存在しない。
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