一章 一日目 始まりと拳銃。

1 幼馴染

「……あ」

「…………あ」


 朝の通学路を歩いている途中、幼馴染にばったり遭遇した。

 彼女は間抜けに口を開けて、それからその口をゆっくりと閉じてから、あからさまに俺から視線を外した。そして、口笛を吹きながら早歩きでどこかへ去っていこうとした。


「えーっと……久しぶり?」


 制服を見る限り俺と彼女は同じ学校に通っているはずだから、つまり行き先は同じで、これから歩く道も同じなのである。だから、そういう風に無視をされて、そして学校に着くまでお互いが誰なのかをわかった状態で知らない人のふりをされるのはあまりにも気まずいだろうと、俺は今のこの一瞬で判断し、先手で声をかけた。


「……よ、よーっす! ひさしぶりー! 元気してたー?」


 すると、彼女はくるっと俺に振り返ってから、ぶんぶんと手を振って言った。だけれど若干表情が強張っていたから、無理にテンションを上げているのがばればれだった。


「そんなテンションだったっけ?」

「……あー、ご、ごめん……。ちょっと無理した……」


 と言って、さっきとは対照的にしおしおと俯いてしまった。無理にテンションを上げた意味もなく、結局気まずい空気に落ち着いてしまった。


 俺とこの幼馴染は、世間一般でいうところの幼馴染ほどに仲が良くないし、逆に腐れ縁過ぎて険悪になってしまっているということもない。小学生のときからの知り合いで、それから中学に上がるタイミングでなんとなく疎遠になってしまったという、そういう関係性だ。


「……その、同じ高校、だったんだな」

「そ、そうだね。ゼンゼンキヅカナカッタナー」

「そうだな。俺も、全然気づかなかった」

「えっ」


 幼馴染はそこで急にびっくりしたような声をだして、そして裏切り者を見るような青い顔色で俺を見た。


「なに、どうした」

「……いやー、なんでもないよー。……そんでさ、せっかくだし、学校、一緒に行かない?」


 すると、彼女はすぐに顔色を戻して、そう俺に提案をしてきた。


「そうだな。まあ、せっかくだし」

「じゃあ行こっか」


 俺は幼馴染と隣り合って歩き出した。それにしても、まさか彼女が俺と同じ高校に進学しているとは思ってもみなかった。いや、そもそも、そんなことを思ってみるほど俺は彼女と親しくなかっただけかもしれない。だが、二年生になるまで、約一年間もその存在に気が付かないなんてことはないだろうに、俺はどこまで注意力散漫なのだろうか。


「ところでさ、雨宮あまみやくん。久しぶりだから一応訊くけど、わたしの名前くらいは、ちゃんと覚えてるよね?」

「…………あ、あたりまえじゃないか。変なこと訊くんだな、ははははは」


 実を言えば、俺は彼女の名前を忘れていた。

 

 というのも、俺と彼女は中学生時代には何の交流もなかったのだ。本当に、一言だって会話をしていなかったのだ。そして、高校一年生の一年間も同じく、いやこちらに至っては存在すら認知してなかったのだからもっと酷い。俺は約四年間、彼女と全く関わりがなかった。時間的感覚で言えば、十代の四年間は三十代の十年間に相当するだろう。さすがにそこまで長い時間全く交流がないとなれば、名前を忘れてしまっていても仕方がない。この件に関して俺はそこまで悪くないはずだ。むしろ、まだ顔を憶えていたことを褒めたたえてほしいくらいである。


「じゃあさ、小学生のときみたいに名前で呼んでよ」

「……と、いうと?」

「小学生のときは、わたしのこと下の名前で呼んでたでしょ? ほら、あのときみたいに」


 小学生のときの俺はこの幼馴染を下の名前で呼んでいたらしい。はて、果たしてそんなことが本当にあっただろうか……。いや、名前まで忘れてしまっている俺にそこまで思い出せるわけがないか。


 さて、どうやって誤魔化すかな……。


「な、なんで急にそんなこと言い出すんだ? というか、俺らもう高校生だしさ、異性を下の名前で呼ぶとか、付き合ってもいないのにそういうこと軽々しくやっていいものかな?」

「いいじゃん、別に。下の名前で呼ぶくらい普通でしょ?」

「いや、全然普通じゃないと思うけどな」

「………………あーもう! 普通とか普通じゃないとか、どうでもいいじゃん! わたしが下の名前で呼べって言ってるんだから、素直に従えばいいでしょ!」

「お、おい、ちょっと落ち着けって。なんでそんなに怒るんだよ」

「そりゃ怒るよ! だってさぁ、」


「あー、ちわげんかだー」


 声のした方を向くと、間抜けに口を開けた男子小学生が、不躾に俺たちを指さしていた。


「ちょ、ちょっと! 人のこと指さしたらいけないんだよ!」


 すると横から、しっかりしていそうな明朗な印象の女子小学生が、その気の抜けたような男子小学生の脇腹を小突いた。


「す、すみません! ほら、行くよ」


 女子小学生が俺たちに向かってぺこりと頭を下げてから、男子小学生の手を引っ張って、引きずるようにして歩き始めた。あの女子小学生は精神年齢が高そうだ。月並みの小学生だったら、この状況で丁寧にお辞儀をしようとは思い至らないだろう。それも、別に大人だというわけでもない高校生に対して。


「ちわげんかー」


 男子小学生は女子小学生に引きずられながらも、俺たちを指さすことをやめなかった。意味不明な執念だ。


 その小学生二人組は手を繋いだまま角を曲がっていって、姿が見えなくなった。


 それから、沈黙。


 急に現れた小学生にわけのわからない横やりを入れられて、会話が分断されてしまった。俺と幼馴染が言葉のキャッチボールをしているその間に、突然あの小学生が割り込んできて、そして俺たちのボールを勝手にとって勝手にどこかへ投げ飛ばされたような心持ちになった。


 あの小学生に、完全に会話のペースをぶっ壊されてしまった。


「……別に喧嘩してたわけじゃ、ないよね?」


 先に、幼馴染が気まずそうに、頬を掻きながら口を開いた。


「まあ、そうだな」


 幼馴染も調子を乱されたのか、さっきまでの激昂した様子は完全に冷めてしまっていた。


「痴話喧嘩って、そんなの、ねぇ?」

「そうだな。別に俺たちの間に色恋沙汰があるわけじゃないしな」

「そ、それはそうだけど……さ」


 そこで幼馴染はなぜかしゅんと肩を落とした。


「……とりあえず、学校、行こうか」

「……う、うん、そうだね」


 そう言って、俺たちはまた歩き始めた。


 それからは会話もなく、本当になにひとつ一切言葉を交わすことがないままで、俺たちはずっと黙々と足を動かしているだけだった。


 今までの人生の中で一番気まずい登校の時間だった。


 幼馴染は必死に会話の種を探しているのか、終始目線をきょろきょろと動かしていたけれど、それでも彼女は一言も話しかけてこなかったから、その努力は無駄に終わったらしい。俺も話題を探していたけれど、そもそも現在の幼馴染がどのような人間になっているのか、どんな性格に成長しているのかを把握していなかったから、どんな話題を出していいのかわからなかったし、そしてどんな話題を出してはいけないのかもわからなかった。

 

 次に会うときまでには、なんとかして彼女の名前を調べておこうと、俺は強く思った。

 




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