(3/4)

「ちょっとそこの公園で休憩してから帰ろっか。暑いけど、人混みで疲れちゃった」


 それは事実でもあり口実でもあった。


 ショッピングモールでウィンドウショッピングと少しばかりの買い物を終えた二人は近くの公園へとやってきた。西日が公園全体を鮮やかなオレンジに染め上げ、冷房で冷えた肌を日中の余韻よいんが残る暑さが包む。子供たちの姿はすでになく、せみも鳴いていないそこは一組の姉妹だけの場所だった。


「暑いねぇ。何か自販機で買ってくるけど、何がいい?」


 先にベンチに腰掛けさせた杏奈にたずねると、少しだけ彼女は悩んだあと、


「お姉ちゃんと同じのでいいよ」


 と答えた。


 自販機の前まできた姉は、


(コーヒーにするつもりだったけど……)


 ボタンを押して出てきたのはミルクティーが二つ。普段の真希なら選ばないチョイス。


 片方を杏奈に渡しつつ自分も同じベンチに並んで腰を降ろし、くぴりと一口。


(甘い)


 甘いものは嫌いではない。だが、特別好きということもない。横目でうかがうと杏奈は美味しそうに口に運んでいるので間違った選択ではなかったらしい。


「……………」


 残された時間は少ない。今を逃せばしばらく杏奈と二人きりになれる時間はないだろう。


 父が作ってくれたこの時間。それを無駄にしないためにも。


「杏奈、さ」


 何を言うべきか。どう切り出すべきか。そんなことは決めていない。口を開き、声を出し、思ったことをそのままに。


 考えたって分からなかった。だからもう、腹を割って話すしかない。


 それに杏奈が応えてくれると信じる。


「無理、してない?」


 真剣なことが伝わるように、妹の瞳を真っすぐに見据みすえる。


「――無理なんかしてないよ」


 苦笑するような笑顔。もっと踏み込まないと彼女の本音は引き出せない。


「ハルの誕生日からさ。いつにもましてハルに構うようになったよね。もしかして誕生日をちゃんと祝ってあげられなかったから、その穴埋めのためにとか、思っちゃったのかな」


 仲のよい兄妹であるために。


「……………」


 杏奈は答えなかった。答えないことが無言の肯定こうていだった。


 だから真希は――


「無理に仲良くしようとしなくたっていいんだよ?こういうのはさ、何もしなくたって、自然に……」


「駄目だよ」


 はっきりとした、否定だった。


「何もしなかったら、後悔するもん。どうしてあの時何もしなかったんだろうって。だから、くしたくないものがあるなら、手を離さないようにずっと努力しないと」


 ようやく引き出せた彼女の本音。それはあまりにも切実で、悲痛な思いだった。


 彼女の過去に何があったのか。その生い立ちから類推るいすいすることは容易たやすい。幼い彼女が、その小さな身体に不釣り合いな負い目を感じているのが分かった。


 する必要のない後悔こうかいと共に。



「律子さんと杏奈ちゃんは、とてもよく似てるよ」


「外見も、そして性格もそっくりだ。何事にも一生懸命で、少し思い詰めてしまうところも」



 昨夜の父の言葉がよみがえる。まさしくその通りだ。


 思い詰めて、そして一生懸命努力したのだろう。のだろう。もう後悔しないために。


 それが母にとっては家事だった。それが娘にとっては、兄と仲良くすることだったのだろう。


 ――何かが、ちくりと真希の心に刺さった。


「……でもさ、それにしたって、もっと別の方法があるんじゃないかな」


 何かが真希の琴線きんせんに触れた。それが何なのか分からないまま、口が動いていた。


「やっぱり家族とはいえ異性なんだしさ、あんなにべったりするのはおかしいと思う」


 何かが気に食わなかった。なぜか杏奈の言動がかんさわった。


 溺愛できあいしている日葵はるきをとられたから?――違う。妹に対して、そんなことで腹を立てるほど真希は心の狭い人間ではない。


 真希が杏奈に苛立った、その本当の理由は……


「普通の兄妹はあんなにべったりしたりしないよ!それに、――!!」


 ハッとして口元をおさえた。


 ああ、そうか。そういうことだったのか。


 なんてみっともない。なんて恥ずかしい。なんて子供っぽい。


 でも、姉としてはきっと正しい感情。


(私……杏奈がハルとばかり仲良くして私にかまってくれないのがさみしかったんだ……)


 姉が自分の本音に気付いた時、妹は――


 真希から自身のひざに視線を移した杏奈は、小さくつぶやいた。


「普通って……普通って何……?」


 ミルクティーの缶がにぎられた手に力がこもる。


「私は……普通の兄妹のつもりだったよ……?」


 コトリと杏奈が缶を脇に置いた。そのままゆっくりと立ち上がる。


「杏奈……」


 自身の名を呼ぶ声に、杏奈が一度キッと唇を噛みしめる。


 立ち上がり、姉に向き直った妹は姉が今まで見たことのない表情が浮かんでいた。


「私、一人っ子だったから、普通の兄妹なんて分からないよッ!だから……だからッ……!!」


 精一杯やった。それでもうまくいかなかった。その不満、鬱憤うっぷんが爆発した。


 それは姉の心からの言葉が、妹の本音を引き出したとも言えるだろう。


 だが、妹の本心は、姉にとって想像だにしないものだった。



「普通の兄妹が分からないから!ずっとしてたんじゃないッ――!!」



 その言葉に、その叫びに、真希は一瞬目の前が真っ白になった。


「――え?」


 そんなほうけた声が口かられた。


(私の……真似……?)


 つまり杏奈は、普通のの関係性が分からなかったから、もっとも身近なを参考にした、ということ。中でも同性である姉の弟への態度たいど真似まねすることがもっとも普通へ近づく方法だと思った、と。


 世界に色が戻ってくるにつれ、色んなことが脳内でつながり始める。


 真希と杏奈が張り合ったお弁当対決。だがそれはそもそも真希がしていることを杏奈が真似したことで結果的にそういう形になっただけではないか。その後杏奈は悔しがることもなく真希に料理の教えをうた。それは勝敗は彼女にとっては二の次で、姉と同じことをすることが真の目的だったからではないのか。


 家に日葵の女友達が遊びに来たとき、その去りぎわ、杏奈はなんと言った?彼女はしっかりと確認したのではなかったか。


 ……?と。



「なんか妹ちゃんがアンタみたいになってきた気がする」



 友人である千佳子ちかこの言葉が思い起こされた。杏奈は意図的いとてきにそうあろうとしていた?


「嘘……」


 嘘ではないことは杏奈の表情を見れば分かる。彼女は本気で、普通の家族であるために真希を真似たのだ。


「つまり、全部……」


 私が元凶――?


「ねぇお姉ちゃん。私、何が駄目だった?何が間違ってたの?」


 杏奈が真希に詰め寄った。もう全て吐き出してしまった以上、杏奈も吹っ切れたのかもしれない。


「普通の兄妹ってどんなの?私精一杯やったよ?なのに……どうして駄目なの?どうやったら普通のきょうだいになれるの?」


「そ、れは……」


 沈みゆく西日が杏奈の背中に隠れ、杏奈の作り出した影に包まれた真希は言葉に詰まった。


 彼女の求める答えを真希は言うことができない。分からないわけではない。だが、それを口にするということは、に他ならない。


 それは、それだけは……。


 黙してしまった姉の様子に杏奈の表情がくもる。


「――ねぇ、どうして教えてくれないの?私じゃ、普通のきょうだいにはなれない……?」


「――ッ!違う!そうじゃなくて……!」


 杏奈が真希と日葵の関係を普通のきょうだいと思っているのなら、それは違う。


 ――そんなこと、真希だって分かっているのだ。なんてことは、よく、分かっているのだ。


「私の真似なんて、しなくていいんだよ!だって……だって私――!」


 真希の真似を続ける限り、杏奈は日葵と普通とは違う距離感しかとれない。


 なら、言うしかない。


「私……私は……!!」


 杏奈に正しい距離感を理解してもらうには、まず、真希が特殊だと理解してもらう必要がある。


 それは、今後の生活にも必要なことだろう。きっといつかは杏奈も気付くはずだから。


 なら今、今言わなくては。


 杏奈が思いのたけを全て言葉にしてくれた今、この時に、真希自身がそれを言うことに意味がある。


 大きく息を吸い込んで立ち上がった姉の言葉を妹が固唾かたずを飲んで待つ。


「私の真似なんてしなくていい。だって、私、普通じゃないもん。だって私――」


 思えば、他人からそう言われることこそあれ、自分からこう宣言するのに真希にとって人生で初めての経験だった。



「ブラコンだからぁっ!!」

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