ブラコンお姉ちゃんは妹に知ってもらいたい。(1/4)

(1/4)

 翌日から、杏奈あんなは変わった。


「……あ」


 リビングで日葵はるき鉢合はちあわせした杏奈は少しだけ表情をくもらせたが、それも一瞬のこと。


「杏奈、昨日は……」


 咄嗟とっさに謝ろうとした日葵の言葉を、彼女は首を横に振ることでさえぎった。


「お兄ちゃん、昨日は急に大きな声出してごめんね。ちょっと機嫌きげんが悪かっただけだから」


 そしてうすく、はにかんで見せる。


「そう……なら、いいんだけど……」


 日葵自身、あやまろうとはしたものの自身の何が悪かったのかは把握はあくしていない。杏奈がただ虫の居所いどころが悪かっただけだと言うのなら、それ以上追及ついきゅうはできない。


 明らかにうそだと分かっていても。


「お母さん、昨日お父さん帰ってきたの?」


 すぐに杏奈は視線を日葵から母へと向けた。キッチンで洗い物をしていた母がその手を止める。


「あら、気づいてたの?昨日はもう寝ちゃったんだと思ってたわ」


「寝る寸前すんぜんでちょっと声がこえたの」


 その当の父はまだ部屋から出てきていない。疲れているだろうことは明白なので誰もまだ起こしには行っていなかった。


 杏奈はそそくさとテーブルにつき、用意されていた朝食に手をつけ始めた。一連の様子をコーヒーカップ片手にながめていた真希まきは、自身の向かいに座った妹の様子に違和感を覚えた。


「杏奈、大丈夫?元気ないよ」


 杏奈はきょとんと首をかしげ、


「え?元気だよ?」


 確かに体調的な面で不調はないのだろう。だがそういうことではない。


「……無理しちゃ駄目だよ」


 それだけ言って話を終えるしかなかった。


 不思議そうに姉の様子を眺めていた杏奈も再び食事に戻る。


(全然ハルにかまおうとしないじゃん……)


 真希が感じた違和感の正体がそれだ。昨日まで何かにつけてお兄ちゃんお兄ちゃんと構いに行っていたのにそれがない。たとえ食事中だとしても、常に杏奈の視線はとなりに向いていたのが常だったはずだ。


 しばらく食器のカチャカチャと鳴る音が響く中、それに耐えきれなかったのか日葵が、


「――そうだ、お姉ちゃん。お父さんどれぐらいお休みなのか聞いた?」


「うん。一週間ぐらいだって」


「そっか。せっかくだし、夏休みなんだから皆でどこか行ったりとかしたいね。……杏奈はどこか行きたいところとかない?」


「私は……どこでもいいよ」


「そっか……」


 話しかければ答えは返ってくる。ただ、自分から話しかけてはこない。笑顔も見せるが、対応は最低限。


 これが普通なのかもしれない。一般的な兄妹の対応としても、彼女の本当の立ち振る舞いとしても。


 昨日のやりとりをて、彼女なりに考えをあらためたのかもしれない。もう少し、距離を置いたほうがいいのだと。


にが……)


 なぜかいつもより苦く感じたコーヒーを真希はテーブルに置いた。砂糖の分量を間違えたのだろうか。


 追加の砂糖に手をばそうとしたところで、大きな欠伸あくびをしながら父がリビングへと入ってきた。顔を洗った程度ていどでパジャマ姿のまま、髪は寝癖ねぐせでぼさぼさだ。


「ふああぁ……おはようみんな」


 各々おのおの挨拶あいさつを返す中、昨日は会えなかった杏奈の姿を父が見つける。


「杏奈ちゃん!やぁ!元気だったかい?」


「うん、元気だよ」


 そうかそうかと頷いて、父は真希の隣の席に腰を降ろした。ちょうど杏奈の真向まむかい。


律子りつこさん!せっかくだからみんなで食べよう!」


 父がキッチンの母に声をかける。


「私は片づけが終わってから……」


「そんなもの後でいいだろう?片づけは逃げはしないよ」


 苦笑しながら肩をすくめた母は、やれやれと自身の分の食事の配膳はいぜんを始めた。


 自分が杏奈のことで頭を悩ませているというのに、この父は……と思う一方、真希は自分ができなかったことをさらりとやってのける父になんともいえない感覚を抱いた。


 多少強引だとしても、母に家事の手を止めさせた。一緒に落ち着いて食事をるということはあまり多くなかったのだ。


 母が席についたところで、やおら腕を組んだ父は満足気まんぞくげうなづく。


「――こういう光景を、僕は見たかったんだ」


 その言葉には、皆一様みないちように頷いた。


 家族全員が同じ食卓についている。とても当たり前で、そしてとても尊いもの。一度失った皆だからこそその尊さが分かる。


「そしてここでは目玉焼きに醤油をかけることができる!んー幸せだ!」


 家族全員が苦笑する。確かに外国ではなかなか醤油は手に入るまい。


「あ、そうだお父さん。せっかく夏休みなんだし、皆でどこか遊びにいこうよ」


 先ほどまで話していたことを日葵が切り出す。


「それはいいねぇ。でもこの時期どこもんでるからなぁ」


 ふーむとうなりつつ、父が隣の真希に視線を送る。


「私はいいって。あんまり人混み得意じゃないし」


 それに大学生にもなって家族でどこかに出かけるというのもあまり気乗りしない。日葵と一緒といえど、人前でくっつき過ぎると日葵に嫌がられる。


「つれないなぁ。彼氏もいないしひまなんだろう?」


「……なんでしばらく会ってないのに彼氏がいないなんて……」


「お前の性格でそうそう彼氏なんてできるわけないだろう。ま、その方がお父さんとしては安心だけどな!」


 はっはっはっと笑う父を真希が無言でにらむ。


 事実なので否定はしないが。


「私も、いいかな。今年はあついし、バテちゃいそう……」


 たははと杏奈が苦笑する。確かに今年の暑さは一際ひときわだが、言葉の端々はしばし遠慮えんりょのニュアンスが感じ取れる。


「なんだ皆つれないな。よぉし、じゃあここは男二人で楽しもうじゃないか!あ、律子さんは?」


 ひらひらと母は手を振る。私も結構よというジェスチャー。


「えー……二人でって……」


 日葵としては、家族の仲を深めるために提案ていあんしたことなのに父と二人では何のための提案なのか分からなくなってしまう。


「楽しめるかはともかく、この休みの間に撮影機材さつえいきざいをちょっと見に行きたくてな。ハルならそういうのちょっと興味あるだろ?」


 不意の提案に日葵は目をぱちくりと。


「それは……まぁ少しは」


 日葵は父の撮る動物の写真が好きだ。子供心に父の真似まねをして写真をることもある。だが将来の夢が父と同じ職業というとそういうわけではないらしい。あくまで数ある選択肢の一つ。


 父としても同じ職業にいてほしいとは思ってはいまい。特殊な職業だ。安定とはほど遠く成功するには技術以上に運もいる。


 それでも、我が子が自身の職業に興味を持ってくれるのは嬉しいというのが親心。


「決まりだな。さっそく今日行こう!」


「今日?急だね……」


「昨日帰ってきたばかりでしょ?せめて今日はゆっくり休めばいいのに。時差ボケとか大丈夫?」


 母が父の体調を案じるが、それを父は笑い飛ばす。


「動物と向き合うことに時間は関係ない。どのみち現地じゃ時差も関係ないぐらい睡眠時間もタイミングもぐちゃぐちゃだったからね。なんか長時間寝れなくて」


 もとより行動的な父のこと、ジッとしているよりかは軽く動いているほうが楽なのかもしれない。


「そうだ!」


 ふと何かを思いついたように父が、


「僕とハルが出かけている間、真希は杏奈ちゃんと出かけなさい」


「はいぃ?」


 父の妙な提案に真希と杏奈は顔を見合わせた。


「いい機会だ。家に誰かいると律子さんは家事やりすぎちゃうから。僕より律子さんがゆっくり休む日にしよう」


「私は別に……」


「そして夜になったらみんなで外でご飯でも食べようじゃないか。うん、それがいい」


「もう、強引なんだから」


 父が帰ってきてから、母は苦笑してばかりだ。だが、決して心底嫌がっているふうではない。


 相手を思いやるがゆえのその強引さ。それはさながら、家のことをまかせて自分の好きな仕事を続けろと父に言い放った真希のようだった。血は争えない。真希本人はそうと認めないかもしれないが。


「私と杏奈が……」


「お姉ちゃんと二人で……」


 なんとなく、困ったように二人は顔を見合わせる。


 思えば、日葵をかいさずに二人だけで何かするという経験はほとんどはなかった。だからこそ、どうしたらいいか……。


「さて、それじゃあ準備しようかな」


 早々そうそうに朝食を終えた父が席を立つ。


 ぎわ、ポンと真希の肩に手が置かれる。


「じゃ、あとはたのんだぞ」


 真希がジト目をその背中に向けるが、父はそしらぬ顔でその場を後にした。


(全部予定通りってわけか……)


 これだから父にはかなわない。奔放ほんぽうなふりをして、実際は全て父の思惑おもわく通りに事を運んでいたというわけだ。


 目的は真希と杏奈を二人きりにすること。昨日の夜の言葉通り、杏奈のことは全て真希に任せるつもりなのだ。


(それにしたってもっとヒントとかさ……)


 真希が気づいていない何かを父は気付いている。だがそれを教えてくれない。それを教えてくれないことに不満はあるが、教えてくれないことにも意図いとがあるような気がする。


 おそらく、それは真希自身が気づかねばならないことなのだ。


「――お姉ちゃん?」


 突然の予定に困惑こんわくしているのは杏奈も同じ。どうしよう、という意図の視線が姉に投げかけらている。


「……どこか適当てきとうにぶらぶらしよっか」

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