(3/3)

「ただいまー」


「「おかえりー!」」


 大学から帰宅きたくした真希まきを、リビングで日葵はるき杏奈あんな出迎でむかえた。二人で並んでソファにすわり、お菓子かしを食べていたようだ。


「大学生はまだ夏休みじゃないんだよね。お疲れ様」


「あーんありがとうハルぅ!」


 ねぎらってくれる弟に思わず荷物をほうり出して抱きつく。


 とはいっても、夏休みに入るタイミングが中学生よりも遅いだけで夏休み期間は大学生の方が長い。


「大学がお休みになるまでは、お兄ちゃんは私がひとめだもんね!」


 負けじと杏奈が日葵の腕をとって身体からだせた。中学生の杏奈と日葵はもう夏休み期間中だ。真希が大学に行っている間は杏奈が日葵を独占どくせんできる。


「うー……あついー……」


 姉と妹、双方から抱き着かれるのにはれている日葵だが時期が時期なので暑いものは暑い。瀬野家せのけのエアコンはつけても二十八度設定までである。


(おっと)


 思い出したように真希が放り出した荷物のもとへ戻った。てっきり日葵の争奪戦そうだつせんになるものと思っていた杏奈は意外にもすぐに引き下がった姉の様子を怪訝けげんに思う。


「今日はね、日葵に渡したいものがあるんだ」


 そう言って何やらかばんあさる姉に日葵もはてと首をかしげる。


「じゃーん!」


 効果音と共に取り出した紙袋かみぶくろを真希が日葵の前に差し出した。受け取った日葵が紙袋と姉を交互こうごに見ると、姉はこくんとうなづいた。


 日葵が紙袋を開けると、中から出てきたのはシックなデザインのペンケースだった。


「誕生日おめでとう!ハル!」


「あ、そっか。今日誕生日だった」


 ようやく日葵は事態じたいを飲み込めたようだった。自分の誕生日のことをすっかり忘れていたらしい。


「やっぱり忘れてたんだね」


「あはは、うん。時期が時期だからね」


 日葵の誕生日は学生にとって夏休みに入る直前、あるいは直後だ。前者はテスト期間ともかさなるし、後者は夏休みに入った解放感から忘れがちだ。そのせいで日葵は友達に誕生日をいわってもらった経験があまりない。


 だから毎年日葵はこうして姉に祝われることで自分の誕生日を思い出す。本人は忘れても真希だけは絶対に忘れることはないからだ。


「わぁー!新しいペンケース欲しかったんだ!なんで分かったの?」


「フフフ、お姉ちゃんだから、かな!」


 もちろんこれは佑真ゆうまあんである。日葵が以前から使用していたペンケースがボロくなってきたのでそろそろ買いえようと思っていると言っていたのを佑真が聞いていたのである。


 デザインは真希のチョイスだ。日葵の容姿ようしならもっとファンシーなものでも似合うのだが、本人はもっと落ち着いたものが好みなのである。なので装飾華美そうしょくかびではなく、だが地味じみ過ぎないようなものを求めて真希が文房具屋ぶんぼうぐや梯子はしごして見つけてきた。


 日葵の様子を見るに、その選択は正しかったらしい。内心ほっと胸をで下ろす真希である。


「ありがとう!大切にするね!」


「喜んでくれてお姉ちゃんも嬉しいよぅ!」


 向けられたその笑顔に辛抱しんぼうできなくなって真希は再び日葵を抱きしめる。日葵もそれを抵抗なく受け入れた。


 毎年毎年り返されてきた姉弟していのやりとり。これからも繰り返されるであろう抱擁ほうよう


 いつもと変わらない誕生日。同じ親から生まれ、同じ多くの時間を過ごした二人のやりとり。


 それを見た、彼女は――


 ふと、自分の右腕に抱き着いていた感触が消えていることに気付いて日葵が視線を横にやった。


「――杏奈?」


 その呼びかけに笑顔の返答が帰ってくることはなかった。


「――どうしよう……私……なんにも準備してない……」


 口元に手をやり、何かを恐れるように視線を下に落す。どうしよう、どうしようというつぶやきがゆびの間かられ出していた。


「あ、杏奈……?」


 何か、ただならぬ様子に真希が日葵を抱擁ほうようから解放して、わりに杏奈に寄りった。


 こんな状態の杏奈は初めて見る。


 あわてたように日葵が、


「ご、ごめんね……?自分でも忘れてたから誕生日教えてなかった。準備とかそんな、しなくても大丈夫だから――」


駄目だめだよッ!!」


 突然り上げられた大声に、真希と日葵が硬直こうちょくした。


「あ……」


 自分でもこんなに大きな声が出るとは思っていなかったのか、また杏奈が自分の口を押える。


「ちょっとなにー?大きな声がこえたけど」


 家事をこなしていた母が何事かとやってくる。


「お母さん……今日、ハルの誕生日で……」


 真希が誕生日のことを母に教えると、


「ええ!?そうなの?なんでもっと早く教えてくれなかったの!」


 杏奈ほどではなかったが、母もまた大仰おおぎょうおどろくので真希と日葵は動揺どうようした。


「もう!すぐ準備しなきゃ!夕飯はハル君の好きなもの作るから!何がいい?」


「え、いいよ!僕なんでも……」


「いつもなんにも我がまま言わないんだから、今日ぐらい我がまま言わないと!じゃあこれから一緒にお買い物行きましょ!直接選ぶのがいいわ。食べ物以外にも何か欲しいのがあったら言ってね。誕生日プレゼント。お母さん男の子の欲しいものは分からないから教えてね」


 そしてバタバタとやりかけだった家事かじを一段落つけに動き回る。


「お母さん」


 その背中に杏奈が声をかけた。


「私も付いていっていい?お兄ちゃんへの誕生日プレゼント、買いたい」


「ああ、そうね。それじゃあもうみんなで行こっか!」


 こくんとうなづいて、杏奈も出かけるための身支度みじたくととのえに向かった。その横顔に、普段の悪戯いたずらっぽい笑みはなかった。


「――お姉ちゃん、杏奈、どうしたんだろう……」


 不安げに姉に問う弟に、姉は、


「仲間外れにされたって、思ちゃったのかな……。ごめん、杏奈がハルの誕生日知らないこと分かってなかった。お姉ちゃんが教えてあげてればよかった」


 いつの間にか、真希と杏奈との距離が近くなっていたことが裏目に出た。


 本当に家族だと思っていたからこそ、知っているものと思っていた。まだ同居どうきょを始めて四カ月ほど、そんなわけないのに。


「お姉ちゃんがあやまることないよ。僕も自分の誕生日忘れてたわけだし。誰も悪くないよ」


 そして、母親の準備が整ってから家族皆で買い物に向かった。


 日葵の好きな夕食のおかずの材料や出来合いのお惣菜そうざいを買い、洋菓子店でケーキも買った。他に雑貨屋ざっかやにも寄り、そこで杏奈は日葵に何枚も写真がかざれるフォトフレームを日葵にプレゼントした。日葵の部屋に父のった動物の写真がいくつもかざってあったのを覚えていたのだろう。


 即席そくせきで選んだとは思えない、とても良いプレゼントだった。日葵はとても嬉しかったし、真希もそのチョイスには舌をく思いだった。日葵が喜んでくれたことで、杏奈にも笑顔が戻っていた。


 だが、日葵の誕生日を前もって準備できなかったという事実は変わりようがなく。


 杏奈の笑顔のはし一筋ひとすじかげしていたことに真希と日葵は気が付かなかった。

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