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 小和こより日葵はるきの家におとずれてから、一時間ほど。


 日葵の部屋に入ったという興奮こうふん緊張きんちょうも冷め、カリカリとシャーペンがノートに筆跡ひっせききざむ音がひびいている。


「んっ……」


 びをするフリをして小和が今一度日葵の部屋を流し見る。


 ベッド、勉強机、クローゼット、本棚ほんだな……どこも綺麗きれい整頓せいとんされている。普段は立てかけて収納しゅうのうできるあしりたためる丸テーブルが今は置かれ、二人は座布団ざぶとんいてそこで勉強している。四人しっかり参加していたら少し手狭てぜまだったかもしれない。


 男の子の部屋、というと少し散らかっているのを想像しがちだが、この整理整頓ぶりは小和には想定内。むしろ日葵が散らかった部屋で生活しているイメージがかない。


「あ……」


 小和がらした声に、日葵も顔を上げた。壁にやっている小和の視線を追う。


「どうしたの?」


「あ、うん……ちょっと気になって。近くで見ていい?」


 日葵がうなづく。小和が立ち上がって壁にけられているコルクボードに向き合った。


 そこにられている沢山たくさんの写真。整頓されていて物が少ない日葵の部屋を閑散かんさんとさせていないあざやかないろどり。日葵がうつっているものもあるが、ほとんどのものに人間の姿は写っていない。


 様々な表情の、様々な動物達。


「せ……日葵君。動物、好きなんだ」


「うん。とっても」


 目を細める猫、草地にけだす犬。身近な動物から、ライオンやぞうといった動物園でしか見られない動物まで。共通しているのが、そのどれもが生き生きと写真に写っていること。写真の知識がない小和でも分かる。素人しろうとが思いつきでシャッターを押してもこうはならない。


「この写真って……」


「全部僕のお父さんがったものだよ」


「すごい!もしかして、お父さんのお仕事って……」


「動物カメラマン」


 ほえぇ……、と思わず小和は声を漏らした。


 日葵が少々複雑ふくざつな家庭環境にあるということは何となく小和も知っていた。だが、流石さすがに父親の職業までは知らなかった。


「すごいなぁ。ちょっとうらやましいかも。私のお父さん、ただの会社員だし……」


 言い終わってから、はっと小和は口元をおさえた。


 こういう場合、えてして否定の言葉が返ってくるものだ。特殊な職業ならなおのこと、余人よじんには想像できない苦労くろうがあるはず。


 だが、小和の心配は杞憂きゆうだった。


「いいでしょ。僕の自慢じまんだからね」


 その屈託くったくのない笑顔に、思わず小和は見惚みとれて言葉を失った。謙遜けんそんも、羞恥しゅうちもなく。ただただ純粋じゅんすいほこらしさからくる笑み。


 こんな笑顔をできる人はそうそういない。少なくとも小和の知る限りでは日葵の他にいない。


 子供っぽい?いな、その逆。自分の大切なものをちゃんと好きだと言えることはかっこいい。


 小和が日葵にかれる理由は彼の外見も少なからずあるが、それと同じぐらい、こういった不意に見せるかっこよさにある。他の同年代の男子にそれを求めるのは少々こくだろう。日葵はその小柄こがら身体からだつきと中性的な容姿ようしからおさなく見られがちだが、その実、内面はとても大人びている。


新田にったさん?」


 呼びかけられてハッと我にかえる。


 席に戻りつつ、胸の奥で高まった衝動しょうどうが彼女の背中を押した。


「あ、あのね!日葵君!」


 突然声を張り上げた小和に日葵がきょとんと首をかしげる。


「できれば……できればでいいんだけどっ……!」


 たいしたことではないのかもしれない。実際に何食わぬ顔で口にする人もいる。だが、彼女にとってはとても勇気のいることだった。


 緊張で鼓動こどうが早くなるのが分かる。もしかしたらほほも赤くなっているかもしれない。


「できれば、その、私のこと……」


 ここまで来たらもう後には退けないと自分に言い聞かせ、そして――


「私のことは、下の名前で――」


 トントン


 がくん、小和の上体がくずれた。完璧かんぺきなタイミングだった。


 完璧なタイミングで鳴らされたノックの音が小和の言葉を途切とぎれさせた。


「ハルー、ちょっとドア開けてー」


 ドア越しにこえた声に日葵が立ち上がって、


「ちょっと待っててね」


 そう小和にことわってドアを開けにいった。





 日葵がドアを開けると、そこには御盆おぼんかかえた真希まきの姿があった。


のどかわいたんじゃないかと思って」


 言葉通り、そのぼんの上には二人分のコップと麦茶の入ったピッチャーが乗っていた。冷蔵庫から出したばかりであろう冷えたピッチャーには結露けつろした水滴すいてきが浮かび始め、実に涼やかだ。


「確かにそうかも。ありがとう!」


 そう言って日葵は手を伸ばすが、いいよいいよと断ってするりと真希は日葵の横をすり抜けた。


 丸テーブルの脇ではいきおいをがれて項垂うなだれる小和の姿がある。その姿を見て、気づかれないように真希はニヤリと口をはしを持ち上げた。


 ノックのタイミングは完璧だった。そしてそれは決して偶然ぐうぜんではない。


 真希の部屋は日葵の部屋の壁一枚へだてたとなりだ。防音性ぼうおんせい皆無かいむというほどではないが、息を殺してよぉく耳をませば会話の内容も聴きとることができる。今も杏奈あんながこちらの様子をぬすみ聴いているはずだ。


(悪いけど、今日はもうこれ以上の進展しんてんはない、と思っていただこう……)


 テーブルに盆を乗せ、コップに麦茶をそそぐ。隣の部屋で逐一ちくいち二人の言動に耳を澄ませ、何かあやしげな動きがあった場合、こうやって直接妨害ぼうがいする。


 過保護かほごというより、ここまでくればもはや狂気きょうきに近い。


「ありがとうございます……」


 少し疲れたような声色で小和が麦茶の入ったコップを受け取った。


「いいのよ。それじゃあ、、頑張ってね」


 やはり勉強という部分を強く強調きょうちょうして、真希は日葵の部屋を後にした。


「新田さん、さっき何言おうとしてたの?」


「ふぇ!?いや、その……ナンデモナイデス……」


 ドアの前、背中しにそんなやりとりを耳にして、真希は小さくガッツポーズ。


(あとはお菓子かしの差し入れで一回妨害ぼうがいするのが私の切れるカード。その後は杏奈、たのんだよ……)


 やっていることは非常に大人げないが、みょう体裁ていさいだけは気にする姉であった。

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