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「お待たせー」


 食欲をそそる甘酸あまずっぱいかおり。サクッとげた鶏肉とりにく香味こうみソースをかけた油淋鶏ユーリンチーが今日の日替ひがわり定食のメイン。それに白米、味噌汁、小鉢こばちを合わせてもわずか三百八十円。大学の学食は何かと金欠きんけつになりがちな学生のふところにとても優しい。


 その日替わり定食の乗ったトレイを持った千佳子ちかこが真希の正面の席に腰掛けた。


 学食はお腹を空かせた学生達でにぎわっている。大学を出れば近隣に飲食店は多いし、何なら学校の敷地内しきちないにコンビニもあるが、やはり学食の手軽てがるさにはえがたい。ズラリと並んだテーブルのほとんどがすでにまっており、すべり込みで二人分の席を確保できた真希まきと千佳子より後に来た者は席の確保に苦労している。


「なにそれ?」


「ゆーりんちー。油がさみしいとりと書く」


「油にえてんの?デブなの?」


「お前よりはデブじゃないよ」


「胸が重いからね」


「こいつ……!」


 心底くだらない軽口かるぐち応酬おうしゅう。ある意味、ここまで軽快けいかいに言い合えるのは仲の良さのあかしだろう。


 手を合わせていただきますとつぶやき、昼食を始める千佳子。


「揚げた鶏に香味ソースがかかってるのか。手軽そうだし美味しそうだね」


「そちらも何か差し出すのならば一切れ分けてしんぜよう」


 カバンから弁当箱を取り出した真希。


「今日のお弁当は私作でも母作でもない。私の妹作だ」


「ほう。妹ちゃん。それは興味深い」


 千佳子も注目する中、弁当の包みをほどき、カパリとふたを開ける。


「中学二年生だっけ?すごいじゃん!」


 千佳子の言う通り、そこにはちゃんとしたお弁当があった。


 メインはぶた生姜焼しょうがやき。いろどりにほうれん草のおひたしに卵焼きと、まさしく中学生らしい調理実習でならうラインナップ。素朴そぼくだが、それがまたいい味になっている。


「いただきます」


 とりあえずメインである生姜焼きを一口。


「……うん、美味しい」


「どれどれ」


 向かいからつとはしびてくる。


「……ふむ。これ作った妹ちゃん欲しい。ちょうだい」


「じゃあ千佳子と私が結婚するしかないな……」


「なんでお前なんだよ……せめて弟君だろ……いやお前がそれを認めるとは到底とうてい思えんけど」


 ともかく、味付けは完璧かんぺき。千佳子の先の言葉通り、これを作ったのが中学生の妹ならばとてもよくできた妹だと誰もがうらやむだろう。


 日葵はるきもさぞ気に入るに違いない。


(これはもう、お弁当勝負は杏奈あんなの勝ちでいいな。いや、むしろそうさせてほしい……)


 ここまで妹が頑張がんばって、それでも姉がどうだすごいだろうと威張いばるなどかっこ悪いにもほどがある。


(あれ……これお弁当に限らず、どんな勝負でも勝負する前に勝敗が決まっているのでは……)


 今になって、姉が妹に張り合うということのかっこ悪さにようやく気が付いた姉であった。


 当然この杏奈の作ったお弁当は日葵にも好評であることだろう。どちらが上かなどと日葵が明言めいげんすることはないだろうが、少なくとも真希のように杏奈が日葵に怒られることはないのは確実だ。


 くやしいようなホッとしたような、そんな不思議な気持ちで杏奈の作ったお弁当をみしめる真希。結果としてはなんともいえないものとなったが、ひさしぶりに料理をすること自体はなかなか楽しかった。腕がにぶらないように、これからちょくちょく作ってもいいかもしれない。


「ん?」


 おかずの入ってる段ではなく、ご飯の方に目が行く。


 さけフレークなどをまぶして俵状たわらじょうにぎったおにぎりが三つほどめられている中で、一つ、とりわけ目を引いたものがあった。


「あら可愛い。犬かな?」


 千佳子の言葉に真希は首を横に振る。


「猫だよ」


 おにぎりの一つに、小さく切った海苔で何かの顔を表現したものが一つ混ざっていた。持ち運んでいる時に少し崩れたのか、それとも最初からこうだったのかは分からないが、少しばかりいびつな何かのキャラクター。


 そのくずれた顔からのぞく対抗心に姉は笑った。


「――こんなお弁当を作る妹を千佳子にはあげられないなぁ」


「くー、一人っ子はつらいぜ」


 本当にうらやましそうな千佳子の様子が真希には嬉しかった。


 勝ち負け云々うんぬんではなく、もっと料理の勉強をしようかと思う。うかうかしていては追い抜かれるかもしれない。


 弟がいるだけではこの感覚は分からなかったろう。り合おうとしてくる姉妹がいるのはなかなかどうして悪い気分ではない。


(今度一緒に料理でもしてみようなかな)


 二人並んでキッチンに立つ真希と杏奈。そして二人が作った料理を食べて笑ってくれる日葵はるきと両親。


 うん、悪くない。


「あ、そうそう」


 妹手製てせいの弁当をある程度ていど食べ終えたところで、真希が思い出した。


「さっき生姜焼き一枚持ってったでしょ。ゆーりんちー一切れよこせ」


「もう全部食べちゃった」


「こいつ……!」


 しっかり最初の軽口の仕返しをくらった真希だった。





 少し日がって。


「ただいまー」


 日葵が学校から帰宅するとすでに姉と妹のくつ玄関げんかんにあることに気が付いた。ドアを開けてリビングに入ると、予想通り姉妹が手を振って出迎でむかえてくれる。


「「おかえりぃー」」


 その後にそれぞれハル、お兄ちゃんと続く。


 二人はダイニングテーブルをはさんで向き合って座り、何やら話し合っていたようだった。杏奈の手元にはメモ代わりの裏返したチラシとボールペンがある。


「何してるの?」


 あまり見慣みなれない光景に日葵は興味をかれた。姉と妹が二人でいるところを弟はほとんど見たことがなかったのだ。


 その大きな理由としては両者ともが日葵を見るとかまわずにはいられないというものがげられるが、それを抜きにしてもよく見る光景こうけいでなかったことは事実であった。


 日葵がメモをのぞき込むと、そこにはいくつかの食材名の羅列られつ所謂いわゆる買い物メモとなっていた。


「明日ね、お弁当お姉ちゃんと二人で作ろうと思って」


 意外な答えにほえぇと日葵の口から間の抜けた声がれた。


 意外、そう意外だ。この二人は仲が良いというイメージが日葵の中にはなかった。仲が悪いということは断じてないが、日常会話以上の会話はしない。二人が仲良く肩を並べて料理するということがパッと頭に浮かばなかったのだ。


「このあいだ、お姉ちゃんがお弁当作ってくれたでしょ?あれで分かったの。お料理の腕はまだお姉ちゃんにはかなわないなぁって」


 敵わないとは言いつつも杏奈がしょげている様子はない。


「そしたら、お姉ちゃんがお料理教えてくれるって!」


 姉はたははと笑う。


単純たんじゅんに経験の差だと思うけどねぇ……私も修行しゅぎょうしないとすぐ追い抜かれちゃいそう」


 そう言って苦笑する姉だが、弟には分かる。


 嬉しそうだ。


 奇妙きみょうな話だが、自分以外のことで嬉しそうな姉の姿を弟はひさしぶりに目にした。それがなぜだか嬉しくて日葵は笑った。


「買い物、今から行くの?」


「あー、うん、そうしようかな」


「じゃあ僕が荷物持ちに付いていくよ。あ、でもそんなに買わないだろうし必要ないかな?」


 日葵の申し出に、真希と杏奈は顔を見合わせた後、声をそろえた。


「「そんなことないよぉう!!」」


 その後のスーパーまでの道のり、両側から腕を組まれた日葵はとても恥ずかしく自分の言葉をちょっぴり後悔こうかいした。


 だが、スーパーに入ってカートを押している間、前を歩く姉妹が肩を並べて歩いているのをながめているとその後悔もすぐに消えた。

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