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「お姉ちゃん、何してるの?」


 夕食を終えた後、明日のお弁当のための下準備を始めた真希まき杏奈あんなが話しかけてきた。事前に言っておいた母親はリビングでテレビを見ていて、日葵はるきはお風呂に入っている。


「明日のお弁当、私が作ろうと思って」


 タネに混ぜる用の玉ねぎを微塵切みじんぎりにしつつ、真希は答えた。トントントン、という小気味良こぎみよ包丁ほうちょうがまな板をたたく音。その手際てぎわの良さに杏奈が関心する。


「お姉ちゃん料理得意なんだ」


「あれ、作ったことなかったっけ?」


 こくんと杏奈がうなづく。


 杏奈達が来るまでは毎日していただけに、すっかりすでに振る舞ったものと思っていた。


「もちろん杏奈の分も作るからね」


「ほんと?楽しみ!」


 そう言って花の咲くような笑顔を浮かべる妹。思わず姉の表情もほころぶ。勝負とは言ってもお互いを蹴落けおとそうとしているわけではない。


(ま、り付けは変えるけど)


 おかずなどの具材はそのままに、日葵のお弁当だけはできうる限りの愛を表現するつもりだ。


(姉のあふれんばかりの愛情をその身にきざむがいい……いや、その身に入れる?まぁいいやどっちでも。ふふふ)


「……お姉ちゃん?」


 ハッとして調理ちょうりに戻る。り付けに手をかけるのは明日の朝にやることだ。今は貴重きちょうな朝の時間をなるべく節約せつやくするべく下準備である。


 微塵切みじんぎりにした玉ねぎはボウルに入れてレンジでチン。挽肉ひきにくに玉ねぎ、パン粉、牛乳を入れて塩胡椒しおこしょうで味を調ととのえる。それをよくこねた後、しっかり空気を抜きつつ食べやすい大きさに成形してラップに包んで冷蔵庫れいぞうこに入れておく。朝になった焼くだけだ。余計なものは入れない。シンプルだが、焼く時にはスライスチーズを乗せて焼けば見栄みばえもするし、グッと美味しくなる。


 その調理の様子を興味深きょうみぶかげにながめていた杏奈は、うむむとうなる。


「……次は私がお弁当作る」


 対抗心たいこうしんやした杏奈がとてとてと母にそのむねを伝えに行った。


(杏奈も料理できるのかな……でも、ちょっと大人げないけど負ける気はしないかな)


 実際、真希の料理の腕はなかなかのものだ。派手はでさはないが、家庭的でシンプルに美味しい。友人の千佳子ちかこから言わせれば黙って男に出せば簡単に胃袋いぶくろつかめるレベル。


 それが真希自身も分かっているからこそ、その得意分野で日葵にアピールしようと決めたのだ。


(これはハルのみならず、杏奈も私のこと尊敬そんけいしちゃう感じかなー。ふっふっふっ)


 勝利を確信したがゆえの笑みを浮かべ、れた手付きで下ごしらえを終えた真希は明日にそなえて今日は早めに寝ることを決めたのだった。





 チャイムの音が鳴りひびく。スピーカーから流れるその音の波を負けじと押し返すさわぎ声。先程さきほどまでの静けさなど嘘のよう。押し込められていた反動が一気に爆発し、しばらくおさまることはない。


 毎日のようにり返される学び一幕いちまく。その一日の中で、最もさわがしい時間が今だ。


 ここは日葵と杏奈のかよう中学校。時刻じこくは十二時。つまり昼休みである。


「あー腹減はらへった。メシメシ」


 トントンと先ほどまで机に広げていた教科書類きょうかしょるい綺麗きれいに整理し、かばんにしまおうとしていたところの日葵の前の席にどっかと腰掛こしかける一人の少年。その席の本来のあるじはチャイムが鳴り終わるやいな購買こうばいへと走っていってしまった。弁当を持参じさんしていない生徒にとって、いかにスタートダッシュを決められるかどうかは死活問題である。


二限にげんが終わった時からお腹減ったって言ってたよね」


 教科書を鞄の中にしまい込み、日葵が苦笑すると空いた机の上に大き目の弁当箱がドスンと置かれる。


「しかたねぇだろ。朝飯そこねたんだから」


 待ちきれないとばかりに弁当の包みをほどきにかかる少年。名前は相田佑真あいだゆうま。日葵のクラスメイトにして友人である。


 ツンツン髪と活発かっぱつそうな目元、大きな弁当箱に比例ひれいするように体格もがっしりしている。図体ずうたいが大きいというよりは、付くべきところに筋肉がしっかりついているアスリート体型。日葵と並ぶとその差がよく分かる。


 その体型のイメージ通り、部活はバスケ部に所属しょぞく。日葵はくわしくないが、将来有望ゆうぼうで注目されているエースらしい。


 そんな佑真と帰宅部の日葵の出会いは小学生の頃までさかのぼる。今でこそ他者にいだかかせるイメージが正反対の二人だが、そんなことは関係ないころからのえんがずっと続いているのだ。


「うわっ、プチトマト入ってんじゃん。嫌いだって言ってんのに」


 憎々にくにくにその赤い球体にはしを突き立てた佑真は、うへぇっと口をへの字に曲げつつも意を決してそれを口に放り込む。苦虫をつぶしたような顔でんで飲み込む。プチトマトはもう一つ入っているのでそれも同様に。残したり日葵に押し付けたりしないあたり佑真の性格が出ている。


 口直くちなおしに水筒すいとうからお茶をのどに流し込み、一息ひといき


「嫌いって言ったら、いっぱい食ったら嫌いじゃなくなるとか言うんだぜ。どんだけ食ってもまずいもんはまずいって!」


「あはは……」


 なんともゴリ押しな克服法こくふくほうにまたしても日葵は苦笑。


 毎度こんなやりとりを繰り広げる二人だが、この中学校では女子の人気を二分する人気者だったりする。


 スポーツマンで男らしい佑真。女子もうらやむ愛らしさの日葵。当然、昼食を共にしたいと望む者も多いのだが、佑真と日葵が二人でいる時に声をかける者はほとんどいない。


 その理由は佑真と日葵が一緒にいることに価値を見出す女子の一派いっぱが存在するからなのだが……それを二人が知ることはないだろう。


「あ……」


 自分も弁当箱の包みを鞄から取り出し、はたと日葵は何かを思い出す。


「今日のお弁当、お姉ちゃんが作ったんだった」


「お前の姉ちゃんが?」


 いつもと同じオレンジ色の包み、いつもと同じ二段式の水色の弁当箱。ただ中身を作った人が違う。


 一年二年の時の弁当は毎日姉が作ってくれていた。新しい母が弁当を作ってくれるようになってまだ三カ月ほどだが、それでもどこかなつかしいと感じる。


「いいよなぁ日葵は。超美人の姉ちゃんと滅茶苦茶めちゃくちゃ可愛い妹がいて」


 一人っ子の佑真にとって姉妹がいることは非常にうらやましい。


「まぁ、うん……そうだね。お姉ちゃんと……妹がいてよかったと思うよ」


 少しばかり気恥きはずかしいが、それでも、中学三年生になった弟には姉がどれほど自分のために頑張がんばってくれていたかよく分かる。恥ずかしくても、いないほうがよかったなどとは決して言えない。


 この場に真希がいれば悶死もんししていただろう。


「なんだよお前シスコンかよー。でもくっそ羨ましい。ちくしょー」


 ガツガツと弁当をかき込む佑真を見ていると日葵もいい加減お腹が空いてきた。


 包みをほどいてランチョンマットわりにし、弁当の一段目を持ち上げたところで、ぴたり、と日葵の手が止まった。


「……どした?」


 怪訝けげんに思った佑真が日葵の弁当をのぞき込む。


「――うわ」


 思わず声を上げた佑真のリアクションに、近くを通りかかったクラスメイト達も視線を送り、同様の反応をしめす。


 弁当箱の一段目には、とても、が込められていた。


 具体的には、白米の下地に桜でんぶで大きくハートマークがえがかれ、そこに海苔のりでこれまた大きくLOVEの文字。恐る恐る日葵が二段目のふたも開けると、おかずもまた愛情たっぷりだった。メインのチーズが乗ったハンバーグはごくごく普通だ。だがそれ以外の隙間にハート型にカットされたカマボコだったりハート型にカットされたハムだったり、ととにかくハートが多い。


 絵に描いたような愛情弁当。漫画やアニメなんかで新婚の夫が新妻に持たされるような、そんな冗談のような弁当がそこにはあった。


「……すごいな。っていい?」


 言いつつもすでにパシャリと写真が撮られている。スマホを持ち込むのはいちおう校則違反だが、今の時代、教師もそこまで厳格げんかくに取りまったりはしない。


 その音を皮切りに女子達の間にさざ波のような衝撃がはしった。


「「瀬野君が彼女の手作り弁当を持ってきてるって!?」」


 誰が最初に言ったか分からないが、そんなうわさまたたく間に女子の間に広がっていった。


 そう、この愛情弁当を見てブラコンの姉が弟に向けて作った物と誰が思おうか。いくら日葵がこの中学で人気者だとしても、学校に現れることのないその姉がブラコンなどとは佑真以外には誰も知るよしもないからだ。


「嘘よ……きっと何かの間違いよ……!!」


「相手は誰!?この学校ではそんな素振そぶりは一度も……まさか他校の生徒……!?」


 にわかに騒々そうぞうしくなる教室の片隅かたすみで、当の日葵はうめくようにポツリと、


「うぅ……お姉ちゃん……」


「なんつーか、あれだな」


 自分の弁当をおかずを米粒一つ残さずに全てたいらげた佑真が羞恥しゅうちちぢこまる日葵を見て思う。


「姉に好かれ過ぎるってのも、大変かもな」


 しみじみと。


 以後、しばらくの間、女子達は日葵の彼女が誰か、という話題で持ち切りになるのだった。

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