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「本当に仲がいいわねぇ」


 そう声をかけつつ、コトリと目の前に湯気ゆげを立てるハムエッグが乗った皿が置かれる。艶々つやつやった黄金の球体ははしを入れればトロリと中身がこぼれて塩気の強いベーコンをまろやかにコーティングするだろう。鼻孔びこうくすぐる香ばしい油の香りがいやが応にも食欲をそそる。次いで置かれたのはレタスの緑とトマトの赤があざやかなサラダ。その一品で栄養バランスのみならず、食卓が一気にはなやかになる。


 チンッという甲高かんだかい音がこえると、最後に焼き立てのトーストが並べられる。時に味気あじけなくも思える食パンだが、焼くだけでどうしてこんなにも美味しそうに思えるのか。焼き加減も適度、食パンを使ったレシピは数あれど、湯気を立てる狐色きつねいろのクッションはトーストこそがもっとも食パンを美味しくする調理法なのではと思わせる。


 どれもそれほど手間のかかる料理ではない。だが、ご飯よりもパン派の真希達に合わせた完璧かんぺきな朝食だ。


「ありがと、お母さん」


 朝食の用意をしてくれた女性に、日葵は花が咲いたような笑顔を向けた。


 その笑顔におだやかな微笑ほほえみを返した女性は、


「お弁当の用意が残ってるから先に食べちゃってね」


 そしてパタパタとキッチンにい戻る。家事をするものにとって、朝の時間はいつだってせわしない。


 それは少し前までその役目をになっていた真希にもよく分かる。すぐに朝食には手をつけず、真希は自分に変わってこの家の家事を担うことになった女性を見やった。


 その人はキッチンでせっせと三人分のお弁当を用意してくれている。父より三歳若い四十一歳。あまり大声を出すところが想像できない、落ち着いた雰囲気の綺麗きれいな人。


 父が新たなパートナーに選んだ人。真希と日葵の新しい母親。


 父から再婚を考えていると聞かされた時、真希も日葵も素直に父の決断を受け入れた。


 おどろきはした。だが、再婚がき母への不義理ふぎりとは思わない。なぜなら、母が亡くなった時、誰よりも悲嘆ひたんれたのは父であることを真希は知っていたから。その父が共に生きていけると思える人を見つけたのならば、祝福しゅくふくこそすれ非難ひなんなど真希にはできない。


 何度か家族全員で顔合わせの会食をた後、同居どうきょを始めたのが三カ月ほど前。それがちょうど四月。真希達の新学期に合わせた形になる。


 日葵はるきがなんとなしにダイニングから廊下ろうかのほうへと視線を送った。湯気を立てる朝食は魅力的みりょくてきだが、まだはしはつけない。


 なぜなら、まだ全員そろっていないのだから。


 ほどなくドアが開き、今、この家にいる最後の一人が姿を現した。


「おはよっ!」


 元気いっぱいの挨拶あいさつに、されたほうも思わず笑顔になる。


 真希と日葵が挨拶を返す中、とてとてと彼女は食卓しょくたくに駆け寄り椅子いすすわる。場所は日葵のとなり。そこが彼女の指定席。母にもそれが分かっているので食事も初めからそこに配膳はいぜんされていた。


「ごめんね。いつも待たせちゃって……」


 そう申訳もうしわけなさそうに言う彼女に日葵はほとんど待ってないよとかぶりを振る。


髪結かみむすぶの時間かかっちゃって……私もお姉ちゃんみたいなストレートにしようかな……」


 こちらに視線が向いたので真希は、


「いいじゃない。三つ編み。似合ってるし可愛いと思うよ」


「そう?お姉ちゃんがそう言ってくれるなら……」


 彼女はくりくりと自身のおげを指で回したあと、にっこりと微笑んだ。


(可愛い)


 素直な感想を真希は胸に抱いた。


 うるみがちな大きなひとみ、対し小さくまとまった顔の各パーツ。身体からだつきも小柄こがらな日葵よりももう一回り小さく、お下げ髪と相まって幼児性ようじせいを強く残したお人形さんのようなその容姿ようし所作しょさ一つとっても小動物のような愛くるしさがあり、気を抜けば真希でなくともその頭に手を乗せてでてあげたくなってしまう。


 彼女こそが真希と日葵の父……なんてことは当然なく。


 彼女の名前は瀬野杏奈せのあんな。真希と日葵の、妹である。


 父の再婚相手に連れ子がいることを知った時は、再婚を告げられた時に以上に驚いたのを真希は覚えている。父が再婚を決めただけでも驚きであるのに、それに加えて再婚相手も一度パートナーと離別りべつした身であるとは。


 ただ母親の方はパートナーと死別したわけではなく離婚らしい。詳しい原因は真希も知らない。知る必要もないだろう。


「「「いただきます」」」


 三人そろったところでようやく朝食に手を付ける。なお、父は今は家にいない。


 動物カメラマンである父は家にいるよりも世界各地を飛び回り動物と向き合っている時間のほうが長いのだ。今頃はライオンの寝顔でもっているに違いない。


 母の死にさいして、父は家を空けがちなその仕事をめようとした。だがそれは真希がさせなかった。家事を自分から率先そっせんしてこなし、なるべく父の負担ふたんらそうとした。真希は知っていたのだ。父の撮ってくる動物の様々な表情を見ることが母は好きだったことを。そしてその血をいだ日葵も同じく大好きなことを。


 新しい母も父のその仕事には理解を示している。生き物の見せる様々な表情について語る父が好きなのだとも。そうでなければ再婚など考えまい。


 真希はまだ温かいトーストにバターをってかじり付く。トーストの温もりに乳白色にゅうはくしょくかたまりは抵抗をなくし染み込んでいく。サクッとした表皮を歯が割ると、中にはフワフワの白い羽毛が詰まっている。香ばしさにバターの塩気とうまみが追加され、まだ目覚めきっていなかった胃のに食欲を目覚めさせる。たとえ近所のスーパーで買ったような安物でも焼き立ては極上ごくじょうだ。そこに愛情という隠し味がふくまれていればなおのこと。


「!!」


 ふと真希が何かに気付く。その突然舞い降りたチャンスにテーブルの上を見回すが……、


「あ、お兄ちゃん、ちょっとこっち向いて!」


 真希よりも早く、真希が探していたもの……ティッシュを一枚手に取った杏奈は日葵をこちらに向かせた。


「んぅ?」


 キョトンとした日葵のほほには、その手に持っているトーストに塗られているいちごジャムがちょこんとくっついていた。


 バターではなく苺ジャムを選択するそのチョイスが可愛いと思うし、なんでほっぺにジャムが付いたこと気付かないんだってゆうかそのジャム付いた顔できょとんってするの滅茶苦茶めちゃくちゃ可愛い!と真希が悶絶もんぜつする中、手に持ったティッシュで杏奈が兄の頬についたジャムをき取ってしまう。


「ジャム付いてたよ!そのまま学校に行ったらみんなに笑われちゃうよ」


「あはは……ありがと」


 ジャムを拭きとったティッシュを片手に仕方ないなぁと言わんばかりの苦笑。拭き取ってもらった日葵も恥ずかしそうに笑う。


 苦笑、という体をとってはいるが第三者から見ればありありと分かる。そんな少し抜けた兄の面倒を見るのが楽しくて仕方ないといった顔だ。


 その妹がチラリと姉に視線を送る。


「……ふふ」


「くッ……!」


 兄に気付かれないように口角を上げた妹と、その様子に歯噛はがみする姉。


(あらかじめ事態じたいを想定してティッシュを手元にせていたか……!一歩先んじられた……!)


 姉妹の間でわされる静かな攻防。だがその攻防の中心にいる日葵は何か感じいる様子もなく朝食に戻ってしまう。


 姉と妹が自身を取り合って日々小競こぜり合いをり返しているなどつゆほども知らずに。


(そもそもこの正面の席は咄嗟とっさにハルにスキンシップをはかるには不向き……ハルをながめていてもそんなに不自然じゃないという利点を差し引いてもこれは……)


 今後のことも考えてポジショニングについて真希が思案しあんしていると、


「お兄ちゃんパン一枚でいいの?もっと食べないと大きくなれないよ!」


 そう言って杏奈がごく自然に隣の来春の腕に触れる。


「腕周りもこんなに細いし……女の子みたい」


「うーん……朝からそんなに食べられないよぉ」


 多少は気にしているのか、自身の腕をさする日葵。元々の体格が小柄だというのもあるし、特にスポーツ等をしているわけでもないので筋肉質でもない。そのうえ、病的とまではいかないまでも白くき通った肌。陽ざしをけているような素振そぶりはないのにどうしてそんな綺麗きれいな肌になるのかと、女性ならば興味きょうみを引かれずにはいられない。


 むにむにと来春の二の腕あたりをみつつ、杏奈はチラリと視線を真希の方へ。


「……ふふ」


「うぬぅ……!」


 うらやましさに思わずうなった真希に、さしもの日葵を目をぱちくり。


「お姉ちゃん?」


「ふぇ!?え、あ、いや、ちょっとトマトのたねが歯の隙間すきまにね……!」


 ごまかすために適当てきとうな言い訳を言ったが、言った後で入れ歯かよと自分にツッコミを入れる。


 が、問題はそんなことではない。


(地の利をとられている……!!)


 そう、勝負が始まる前から真希は不利な状況に立たされていたのだ――!


(完敗だ……)


 朝の時間は短い。あまりのんびりしていては真希は大学、日葵と杏奈は中学に遅れてしまう。なのでこれ以上の勝負はあきらめて真希は敗北を認めた。


 もっとも、細かな裁定さいていも明確な勝利条件すらも存在しない勝負といっていいものかすら怪しいやりとりだ。


 それが真希と杏奈の、日葵争奪戦。


 事の発端ほったんを知るには数日前の朝にさかのぼる必要がある――

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