第15話

陸奥介は、下役の者どもとの会同において、常に、十七条憲法の一番最後のものを念頭に置いていたものである。


けれども、はっきりとは、このようなこと、決して外には現さなかったのである。


そうしたところは、彼の政治姿勢の一端をよく物語っていた。








陸奥介は、古くから在地してある官人、及び、この土地で生まれ育った者どもの意見を、一瞬訝(いぶか)しいと思われるようなことであれ、言下に切り捨てることを避けた。


そういう信条を実際に行うのは非常に難しいものであると、彼は、日々感じるのであった。


彼の陸奥ににおける施政は、当初混沌の内にあった。





彼の巡察は、国人達から“物見遊山”と見なされた。





彼の統率力の無さは、“その無能故”と陰口が聞かれた。





彼の、上司に似つかわしくない風体は、“己が不遇に対するやけくそ”と揶揄された。





それが、新任の上司への「鵜の目鷹の目」の時期がとうに過ぎ去ったと思われる頃より、当地の民政の質が徐々に向上し始めると、人は、彼のことを“清廉で、律儀なお方”などと呼びそやし始めたものである。








明国が陸奥国に赴任した当初、そして、それよりずっと以前から、国府の市は、官衙からやや離れて、街の南郊に位置していた。





陸奥介は、未だかつて見られないほどの執心ぶりで、新しい施策を国府の官人達に提示、尚かつ、それについて諮問を求めた。


それは、市の移動である。


陸奥介のそれに関する要旨は、かくのごとしであった。


「新設の市は、官衙(かんが)と鎮守府の間を貫く南北に延びた幅広の道の一部で、官衙の前で特に広場状であるところに持って来させるものである。」 


これには、案の定異論が沢山上がった。


その中でも、“一番厄介である”と衆目が一致して認めたことは、そこが、鎮守府の晴れの閲兵の場であったことである。


陸奥介は、この事で、鎮守府、すなわち文室将軍に掛け合った。


将軍の意見はこうであった。


「土地は沢山ある。」


こうして、陸奥介の市の移動に関する施策は緒に就いたのであった。


でも、どうして彼はそこにこだわったのであろうか。





新設の市は、民草にとり、非常に“風通しの良い”ものであって、色んな者達が種々(くさぐさ)の物品を持ち寄り、また、色んな者達がこれらを買い出し、買い付けに来るなどして、大変栄えたのであった。


以後、不穏な“風の噂”はあまり聞かれなくなったものである。

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