第16話

陸奥介が任国に赴いてから、どれくらい時が経ってのことであろうか、彼は、文室将軍に誘われて、鎮守府での酒宴に参じた。


すでに、このようなことは数度あった。


主人と客人の立場をお互いになり代わりながら。


かような時、将軍は座に着きしな、かわらけを持つ手はいつも、利き手にあらずしたものである。


そして、利き手の傍らには、いつでも刀がよい具合に用意されてあった。


また、彼の双眸(そうぼう)は、いつもと変わらずあの鋭くもあり、鈍くもあった底知れぬ光を湛えていたものである。








「私めは、この辺境にあり、お上のご治世、及び皇国(みくに)の繁栄、そして、平安を陰ながらお支え申し上げておりますことを、無上の喜びとするものであります。」


文室将軍は、こう陸奥介に語り掛けた。


そして、彼は、京で名のある博士の弟に話しが及ぶに至って、何だか照れ隠しのような表情を垣間見せるのであった。





文室将軍には一人の男の子がある。この子は、彼が今の地位に就いて暫くは、陸奥の地で親子ともにあった。そして、数年前、勉学のことなどもあり、京の弟の許に託されたのである。





彼の奥方はこの世をすでに去っていて、それ以来彼は独り身である。








陸奥介の家族や家人達は、当地に赴いた当初、誰がどの新天地に投げ込まれたとしてもそうであるように、逐一逐次に戸惑いを禁じ得なかった。


けれども、彼らがお互いたった一人でそうあるわけでないのを、勿怪(もっけ)の幸いと捉えて、皆で“殿のお仕事に響かないように”と頑張る内に、辺境での生活に一人一人が馴染んでいった。


辺境とは言え、そこは、大体において国府でありもして。


そして、彼らにとって一番の懸念材料であった陸奥国における冬の寒さは、確かに彼らの想像を凌駕した。


ただし、それも数度経験してのち、あまり苦にならなくなった。


彼らは、比較的陸奥国の中でも、温暖で雪の少ない土地にばかりあったのである。


たまに、彼らのところに出羽国の官人が訪れることがある時に、その地の雪深さをまるで呪うかのごとく表現するのが、彼らには腑に落ちなかったものである。

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